顔氏家訓 / 風操
思魯等第四舅母、親吳郡張建女也、有第五妹、三歲喪母。靈牀上屛風、平生舊物、屋漏沾濕、出曝曬之、女子一見、伏牀流涕。家人怪其不起、乃往抱持、薦席淹漬、精神傷怛、不能飲食。將以問醫、醫診脈云:「腸斷矣!」因爾便吐血、數日而亡。中外憐之、莫不悲嘆。
新字:思魯等第四舅母、親吳郡張建女也、有第五妹、三歳喪母。霊牀上屛風、平生旧物、屋漏沾湿、出曝曬之、女子一見、伏牀流涕。家人怪其不起、乃往抱持、薦席淹漬、精神傷怛、不能飲食。将以問医、医診脈云:「腸断矣!」因爾便吐血、数日而亡。中外憐之、莫不悲嘆。
書き下し
思魯等の第四の舅母は、親しく呉郡の張建の女なり。第五の妹有り、三歳にして母を喪う。霊牀上の屏風は、平生の旧物なり。屋漏り沾湿し、出して之を曝曬す。女子一たび見て、牀に伏して流涕す。家人其の起たざるを怪しみ、乃ち往きて抱持す。薦席淹漬し、精神傷怛して、飲食する能わず。将に以て医に問わんとす。医脈を診て云う、「腸断えたり」と。因って爾に便ち血を吐き、数日にして亡ず。中外之を憐れみ、悲嘆せざるは莫し。
現代語訳
思魯たちの四番目の叔母は、呉郡の張建の娘である。その五番目の妹は、三歳で母を亡くした。霊前に置かれた屏風は、母が生前に使っていた古い物であった。雨漏りで濡れたので、外に出して干した。娘はそれをひと目見るなり、寝台に伏して涙を流した。家人は起き上がらないのを怪しんで、行って抱き起こした。敷物は涙で濡れそぼち、心は痛み傷ついて、飲み食いができなくなった。医者に診せようとした。医者は脈を診て言った。「腸が断ち切れている」。そのまま血を吐き、数日で亡くなった。身内も外の者もこれを憐れみ、悲しまない者はなかった。
解説
三歳で母を亡くした娘が、母の使っていた屏風をひと目見て倒れ、数日で亡くなった。医者の診断が「腸断えたり」——腸が断ち切れている。顔氏家訓の中で最も痛切な一段です。顔之推はこれを教訓として使わず、ただ記録しました。前段までが形見の扱い方の実務論だっただけに、その直後にこの出来事が置かれている意味は重い。物には人を殺すほどの力があるという事実です。同時に、この娘は三歳で別れたので母の記憶はほとんどないはずです。それでも屏風が引き起こした。悲しみが何をきっかけに噴き出すかは、本人にも予測できない。人の回復を測るとき、時間の経過は当てになりません。
この章句が説くこと
霊牀上の屏風腸断えたり三歳にして母を喪う時間で測れないもの
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