顔氏家訓 / 風操
二親旣沒、所居齋寢、子與婦弗忍入焉。北朝頓丘李構、母劉氏、夫人亡後、所住之堂、終身鎖閉、弗忍開入也。
新字:二親旣没、所居斎寝、子与婦弗忍入焉。北朝頓丘李構、母劉氏、夫人亡後、所住之堂、終身鎖閉、弗忍開入也。
書き下し
二親既に没すれば、居る所の斎寝は、子と婦と入るに忍びず。北朝の頓丘の李構、母は劉氏なり。夫人亡き後、住する所の堂は、終身鎖閉して、開き入るに忍びざるなり。
現代語訳
両親が亡くなった後、その人が起居していた部屋には、子も嫁も入るに忍びない。北朝の頓丘の李構は、母が劉氏であった。夫人が亡くなった後、その住んでいた堂は、生涯にわたって鍵をかけて閉ざし、開けて入ることに耐えられなかった。
解説
母の部屋に生涯鍵をかけたままにした人の話です。ここから始まる一連の段は、身内を亡くした人がどこまで日常を変えるか、という主題を扱います。李構の行為は極端ですが、顔之推はまず事実として記します。次の段で、この人の感受性がどれほど鋭かったかを示す出来事が語られ、さらにその次の段で、こうした自制がどこまで許されるかの限度が示されます。三段構えの導入です。人が触れられたくない場所を持っていること、そしてそれが外から見えないことを、まず知っておく——後続の段はその上に成り立っています。
この章句が説くこと
李構終身鎖閉開き入るに忍びず触れられない場所
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