顔氏家訓 / 風操
夫人、宋廣州刺史纂之孫女、故構猶染江南風教。其父奬、爲揚州刺史、鎮壽春、遇害。構嘗與王松年、祖孝徵數人同集談燕。孝徵善畫、遇有紙筆、圖寫爲人。頃之、因割鹿尾、戲截畫人以示構、而無他意。構愴然動色、便起就馬而去。舉坐驚駭、莫測其情。祖君尋悟、方深反側、當時罕有能感此者。
新字:夫人、宋広州刺史纂之孫女、故構猶染江南風教。其父奨、為揚州刺史、鎮寿春、遇害。構嘗与王松年、祖孝徴数人同集談燕。孝徴善画、遇有紙筆、図写為人。頃之、因割鹿尾、戯截画人以示構、而無他意。構愴然動色、便起就馬而去。舉坐驚駭、莫測其情。祖君尋悟、方深反側、当時罕有能感此者。
書き下し
夫人は、宋の広州刺史纂の孫女なり。故に構は猶お江南の風教に染まる。其の父の奬は、揚州刺史と為り、寿春に鎮し、害に遇う。構嘗て王松年・祖孝徴数人と同じく集まりて談燕す。孝徴は画を善くし、紙筆有るに遇いて、図写して人と為す。頃くして、鹿尾を割くに因り、戯れに画人を截ちて以て構に示す。而して他意無し。構愴然として色を動かし、便ち起ちて馬に就きて去る。挙座驚駭して、其の情を測る莫し。祖君尋いで悟り、方めて深く反側す。当時能く此を感ずる者有ること罕なり。
現代語訳
李構の母は、宋の広州刺史であった劉纂の孫娘であった。それゆえ構はなお江南の教養に染まっていた。その父の李奬は揚州刺史となり、寿春を守っていて、殺害された。構はあるとき王松年、祖孝徴ら数人と集まって談笑していた。孝徴は絵が上手で、紙と筆があったので人の姿を描いた。しばらくして鹿の尾を切り分ける際、ふざけて描いた人の絵を切ってみせ、構に示した。他意はなかった。構は悲しげに顔色を変え、そのまま立ち上がって馬に乗り、去ってしまった。一座は驚いたが、誰もその心中を測れなかった。祖君はやがて気づき、深く悔やんだ。当時、こうしたことを察せられる者はまれであった。
解説
父を殺された人の前で、描いた人物の絵を切ってみせた。悪気はまったくない、ただのふざけです。それでも李構は席を立って帰りました。祖孝徴は後になって気づき、深く悔やんだ。顔之推はここで、悪意の有無を問題にしていません。「当時能く此を感ずる者有ること罕なり」——察せられる人がまれだった、と書くだけです。相手の履歴を知らなければ、無害な冗談が刃になる。しかも傷つけた側は、指摘されるまで気づかない。人と長く働くなら、相手が何を経験してきたかを知っておくことは、配慮というより実務上の必要です。知らないまま踏む地雷は、関係を一瞬で終わらせます。
この章句が説くこと
祖孝徴戯れに画人を截つ他意無し履歴を知る
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