学問のすゝめ / 十五編・事物を疑いて取捨を断ずること・ただ後世博識家の確説を待つのみ
竊に按ずるに日本の耶蘇教も西洋の仏法も、その性質は同一なれども、野蛮の国土に行なわるればおのずから殺伐の気を促し、文明の国に行なわるればおのずから温厚の風を存するによりて然るものか、あるいは東方の耶蘇教と西方の仏法とは、はじめよりその元素を異にするによりて然るものか、あるいは改革の始祖たる日本のルーザと西洋の親鸞上人とその徳義に優劣ありて然るものか、みだりに浅見をもって臆断すべからず。ただ後世博識家の確説を待つのみ」と。
書き下し
竊に按ずるに日本の耶蘇教も西洋の仏法も、その性質は同一なれども、野蛮の国土に行なわるればおのずから殺伐の気を促し、文明の国に行なわるればおのずから温厚の風を存するによりて然るものか、あるいは東方の耶蘇教と西方の仏法とは、はじめよりその元素を異にするによりて然るものか、あるいは改革の始祖たる日本のルーザと西洋の親鸞上人とその徳義に優劣ありて然るものか、みだりに浅見をもって臆断すべからず。ただ後世博識家の確説を待つのみ」と。
現代語訳
ひそかに考えるに、日本のキリスト教も西洋の仏法も、その性質は同一なのに、野蛮な国土で行われれば自然と殺伐な気を促し、文明の国で行われれば自然と温厚な風を保つからそうなるのか、あるいは東方のキリスト教と西方の仏法とは、はじめからその要素を異にするからそうなのか、あるいは改革の始祖である日本のルターと西洋の親鸞上人とでその徳義に優劣があってそうなのか、むやみに浅い見識で決めつけてはなりません。ただ後世の博識家の確かな説を待つだけです、と。
解説
入れ替えの評論が結ばれます。同じ教えでも土地によって働きが変わるのか、教えそのものが違うのか、始祖の徳に差があるのか。三つの可能性が並べられて、結論は保留されます。むやみに決めつけず後世の確説を待つ、という締め方が誠実で、思考実験が相手を打ち負かすためではなく、判断の枠組みを揺さぶるために行われたことが分かります。
この章句が説くこと
仮説保留誠実三択実験
関連する章句
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孟子・離婁章句下孟子曰く、「言に實無きは不祥なり。不祥の實は、賢を蔽う者之に當る。」 <解説> この節は分かりにくい。朱注に云う、「或いは曰く、天下の言實に不祥なる者有る無し、惟れ賢を蔽い不祥の實を為すと、或いは曰く、言にして實無き者は不祥なり、故に賢を蔽い不祥の實を為す、二説同じからず、未だ孰れが是なるか知らず、疑うらくは或いは闕文有らん。」私は後説を採用し、かなり強引な解釈をした。やはり朱子の言うように闕分が有るのだろうか。
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尚書・周官德を作せば心逸んじて日々休く、偽を作せば心勞して日々拙し。
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論語・為政篇子曰く、詩三百、一言以て之を蔽えば、曰く、思い邪(よこしま)無しと。
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孟子・離婁章句上孟子曰く、「下位に居りて、上に獲られざれば、民得て治む可からざるなり。上に獲らるるに道有り。友に信ぜられずんば、上に獲られず。友に信ぜらるるに道有り。親に事えて悅ばれずんば、友に信ぜられず。親に悅ばるるに道有り。身に反して誠ならずんば、親に悅ばれず。身を誠にするに道有り。善に明らかならずんば、其の身に誠ならず。是の故に誠は、天の道なり。誠を思うは、人の道なり。至誠にして動かざる者は、未だ之れ有らざるなり。誠ならずして、未だ能く動かす者有らざるなり。」
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