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学問のすゝめ / 十五編・事物を疑いて取捨を断ずること・細事を推して経済論の大義に付会して

洋人は鼻汁を拭うに毎次紙を用いて直ちにこれを投棄し、日本人は紙に代わるに布を用い、したがって洗濯してしたがってまた用うるの風ならば、論者たちまち頓智を運らし、細事を推して経済論の大義に付会して言わん、「資本に乏しき国土においては、人民みずから知らずして節倹の道に従うことあり。日本全国の人民をして鼻紙を用うること西洋人のごとくならしめなば、その国財の幾分を浪費すべきはずなるに、よくその不潔を忍んで布を代用するは、みずから資本の乏しきに迫られて節倹に赴くものと言うべし」と。日本の婦人、その耳に金環を掛け、小腹を束縛して衣裳を飾ることあらば、論者、人身窮理の端を持ち出して顰蹙して言わん、「はなはだしいかな、不開化の人民、理を弁じて天然に従うことを知らざるのみならず、ことさらに肉体を傷つけて耳に荷物を掛け、婦人の体においてもっとも貴要部たる小腹を束ねて蜂の腰のごとくならしめ、もって妊娠の機を妨げ、分娩の危難を増し、その禍の小なるは一家の不幸を致し、大なるは全国の人口生々の源を害するものなり」と。

書き下し

洋人は鼻汁を拭うに毎次紙を用いて直ちにこれを投棄し、日本人は紙に代わるに布を用い、したがって洗濯してしたがってまた用うるの風ならば、論者たちまち頓智を運らし、細事を推して経済論の大義に付会して言わん、「資本に乏しき国土においては、人民みずから知らずして節倹の道に従うことあり。日本全国の人民をして鼻紙を用うること西洋人のごとくならしめなば、その国財の幾分を浪費すべきはずなるに、よくその不潔を忍んで布を代用するは、みずから資本の乏しきに迫られて節倹に赴くものと言うべし」と。日本の婦人、その耳に金環を掛け、小腹を束縛して衣裳を飾ることあらば、論者、人身窮理の端を持ち出して顰蹙して言わん、「はなはだしいかな、不開化の人民、理を弁じて天然に従うことを知らざるのみならず、ことさらに肉体を傷つけて耳に荷物を掛け、婦人の体においてもっとも貴要部たる小腹を束ねて蜂の腰のごとくならしめ、もって妊娠の機を妨げ、分娩の危難を増し、その禍の小なるは一家の不幸を致し、大なるは全国の人口生々の源を害するものなり」と。

現代語訳

西洋人が鼻をかむのに毎回紙を使って直ちに捨て、日本人は紙の代わりに布を使い、洗っては繰り返し使う風だとすれば、論者はたちまち機転をきかせ、細事を推し広げて経済論の大義にこじつけて言うでしょう。資本に乏しい国土では、人民は自分で知らないうちに節倹の道に従うことがある。日本全国の人民に西洋人のように鼻紙を使わせれば、その国財のいくらかを浪費するはずなのに、よくその不潔を忍んで布を代用するのは、自ら資本の乏しさに迫られて節倹に向かうものだ、と。日本の婦人が耳に金の輪を掛け、腹を締めつけて衣装を飾ることがあれば、論者は人体の理を持ち出し、顔をしかめて言うでしょう。甚だしいことだ、開化しない人民は、理を弁えて自然に従うことを知らないばかりか、わざわざ肉体を傷つけて耳に荷物を掛け、婦人の体で最も大切な腹を束ねて蜂の腰のようにし、妊娠を妨げ、出産の危険を増している。その禍いは小さければ一家の不幸を招き、大きければ全国の人口の源を害するものだ、と。

解説

入れ替えが続き、批評の身勝手さがさらに際立ちます。布で鼻をかむ習慣は、西洋の側にあれば賢い節倹と説明され、日本の側にあれば不潔とされる。耳飾りとコルセットも、こちらがやれば体を傷つける野蛮とされる。同じ事実に正反対の説明がつくのは、説明が後から作られているからです。細事を経済論にこじつける、という言い方に皮肉が効いています。

この章句が説くこと

入替こじつけ節倹装飾二重基準

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