学問のすゝめ / 十二編・人の品行は高尚ならざるべからざるの論・まさしく二個の人あるがごとくして
また人の見識、品行はただ聞見の博きのみにて高尚なるべきにあらず。万巻の書を読み、天下の人に交わり、なお一己の定見なき者あり。古習を墨守する漢儒者のごときこれなり。ただ儒者のみならず、洋学者といえどもこの弊を免れず。いま西洋日新の学に志し、あるいは経済書を読み、あるいは修身論を講じ、あるいは理学、あるいは智学、日夜精神を学問に委ねて、その状あたかも荊棘の上に坐して刺衝に堪ゆべからざるのはずなるに、その人の私につきてこれを見ればけっして然らず、眼に経済書を見て一家の産を営むを知らず、口に修身論を講じて一身の徳を修むるを知らず、その所論とその所行とを比較するときは、まさしく二個の人あるがごとくして、さらに一定の見識あるを見ず。
書き下し
また人の見識、品行はただ聞見の博きのみにて高尚なるべきにあらず。万巻の書を読み、天下の人に交わり、なお一己の定見なき者あり。古習を墨守する漢儒者のごときこれなり。ただ儒者のみならず、洋学者といえどもこの弊を免れず。いま西洋日新の学に志し、あるいは経済書を読み、あるいは修身論を講じ、あるいは理学、あるいは智学、日夜精神を学問に委ねて、その状あたかも荊棘の上に坐して刺衝に堪ゆべからざるのはずなるに、その人の私につきてこれを見ればけっして然らず、眼に経済書を見て一家の産を営むを知らず、口に修身論を講じて一身の徳を修むるを知らず、その所論とその所行とを比較するときは、まさしく二個の人あるがごとくして、さらに一定の見識あるを見ず。
現代語訳
また人の見識や品行は、ただ見聞が広いだけで高尚になるものではありません。万巻の書を読み、天下の人と交わり、なお自分の定見がない者があります。古い習慣を墨守する漢学者のようなものがこれです。ただ儒者だけでなく、洋学者もこの弊害を免れません。今、西洋の日々新しい学に志し、経済書を読み、修身論を講じ、物理や哲学を学び、日夜精神を学問に委ねて、そのさまはまるでいばらの上に座って刺の痛みに堪えられないはずなのに、その人の私生活を見れば決してそうではない。目で経済書を見ながら一家の財産を営むことを知らず、口で修身論を講じながら一身の徳を修めることを知らない。その論じるところと行うところを比べると、まさしく二人の人がいるようで、一定の見識があるとは見えません。
解説
この章句が説くこと
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『墨子』耕柱子墨子、駱滑氂に謂いて曰く、「我れ子の勇を好むと聞く」と。駱滑氂曰く、「然り。我れ其の鄉に勇士有りと聞かば、吾れ必ず従いて之を殺さん」と。子墨子曰く、「天下、其の好む所に與して、其の惡む所を奪わんと欲せざるは莫し。今、子、其の鄉に勇士有りと聞かば、必ず従いて之を殺さんとす。是れ勇を好むに非ざるなり、是れ勇を惡むなり」と。
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『墨子』耕柱子夏の徒、子墨子に問いて曰く、「君子に鬬有りや」と。子墨子曰く、「君子に鬭無し」と。子夏の徒曰く、「狗狶すら猶お鬬有り。惡んぞ士有りて鬬無からんや」と。子墨子曰く、「傷ましいかな。言えば則ち湯・文に稱し、行えば則ち狗狶に譬う。傷ましいかな」と。
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易経・繋辞上子曰く、「君子其の室に居りて、其の言を出だすに、善なれば則ち千里の外も之に応ず。況んや其の邇(ちか)き者をや。其の室に居りて、其の言を出だすに善ならざれば、則ち千里の外も之に違(たが)う。況んや其の邇き者をや。言は身より出でて、民に加わり、行いは邇きより発して、遠きに見(あら)わる。言行は君子の枢機(すうき)なり。枢機の発するは、栄辱の主なり。言行は、君子の天地を動かす所以なり。慎まざるべけんや」と。
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『墨子』耕柱子墨子曰く、「言、以て行いを復するに足る者は、之を常とす。以て行いを舉ぐるに足らざる者は、常とする勿かれ。以て行いを舉ぐるに足らずして之を常とするは、是れ口を蕩かすなり」と。
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説苑・說叢君子の言は寡くして實あり、小人の言は多くして虛あり。君子の學や、耳に入り、心に藏し、之を行うに身を以てす。君子の治や、見るに足らざるに始まり、及ぶべからざるに終わる。君子は福を慮ること及ばず、禍を慮ること之を百にす。君子は人を擇びて取り、人を擇ばずして與う。君子は實なること虛の如く、有ること無きが如し。
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『墨子』貴義子墨子曰く、言、以て行いを遷すに足る者は、之を常とす。以て行いを遷すに足らざる者は、常とする勿かれ。以て行いを遷して之を常とするは、是れ口を蕩かすなり。