学問のすゝめ / 十一編・名分をもって偽君子を生ずるの論・人物の頼み難きにあらず専制の頼み難きなり
ただ一つの心配は己が預かりの帳面に筆の働きをもって極内の仕事を行なわんとするの一事のみ。鷲に等しき旦那の眼力もそれまでには及び兼ね、律儀一偏の忠助と思いのほかに、駆落ちかまたは頓死のその跡にて帳面を改むれば、洞のごとき大穴をあけ、はじめて人物の頼み難きを歎息するのみ。されどもこは人物の頼み難きにあらず、専制の頼み難きなり。旦那と忠助とは赤の他人の大人にあらずや。その忠助に商売の割合をば約束もせずして、子供のごとくにこれを扱わんとせしは旦那の不了簡と言うべきなり。
新字:ただ一つの心配は己が預かりの帳面に筆の働きをもって極内の仕事を行なわんとするの一事のみ。鷲に等しき旦那の眼力もそれまでには及び兼ね、律儀一偏の忠助と思いのほかに、駆落ちかまたは頓死のその跡にて帳面を改むれば、洞のごとき大穴をあけ、はじめて人物の頼み難きを嘆息するのみ。されどもこは人物の頼み難きにあらず、専制の頼み難きなり。旦那と忠助とは赤の他人の大人にあらずや。その忠助に商売の割合をば約束もせずして、子供のごとくにこれを扱わんとせしは旦那の不了簡と言うべきなり。
書き下し
ただ一つの心配は己が預かりの帳面に筆の働きをもって極内の仕事を行なわんとするの一事のみ。鷲に等しき旦那の眼力もそれまでには及び兼ね、律儀一偏の忠助と思いのほかに、駆落ちかまたは頓死のその跡にて帳面を改むれば、洞のごとき大穴をあけ、はじめて人物の頼み難きを歎息するのみ。されどもこは人物の頼み難きにあらず、専制の頼み難きなり。旦那と忠助とは赤の他人の大人にあらずや。その忠助に商売の割合をば約束もせずして、子供のごとくにこれを扱わんとせしは旦那の不了簡と言うべきなり。
現代語訳
ただ一つの心配は、自分が預かる帳面に筆の働きで内緒の仕事をしようという一事だけです。鷲のような旦那の眼力もそこまでは及びかね、律儀一辺倒の忠助だと思っていたのに、駆け落ちか頓死かのその後で帳面を改めれば、洞のような大穴が開いていて、はじめて人は頼りにならないと嘆息するだけです。しかしこれは人が頼りにならないのではなく、専制が頼りにならないのです。旦那と忠助とは赤の他人の大人ではありませんか。その忠助に商売の取り分を約束もせず、子供のように扱おうとしたのは旦那の考え違いと言うべきです。
解説
この章句が説くこと
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『墨子』尚賢下若の國の士に問う、孰か喜び孰か懼れんと。我れ以て必ず忠信の士は喜び、忠ならず信ならざる士は懼れんと為す。今、唯だ尚賢を以て其の國家百姓に政を為す毋くんば、國の善を為す者をして勸ましめ、暴を為す者をして沮ましむ。夫れ以て天下に政を為さば、天下の善を為す者をして勸ましめ、暴を為す者をして沮ましむ。然らば昔、吾が堯舜禹湯文武の道を貴ぶ所以の者は、何の故を以てなるか。其の唯だ衆に臨み政を發して民を治むるに毋くんば、天下の善を為す者をして得て勸む可からしめ、暴を為す者をして得て沮む可からしむるを以てなり。然らば則ち此の尚賢なる者は、堯舜禹湯文武の道と同じきなり。
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『墨子』尚同中子墨子曰く、方今の時の正長は、則ち本より古者と異なれり。之を譬うるに量るに五刑を以てするが若く然り。昔者、聖王は制して五刑を為り、以て天下を治む。有苗の五刑を制するに逮び至りては、以て天下を亂る。則ち此れ豈に刑の不善ならんや。刑を用うること則ち不善なるなり。是を以て先王の書、呂刑の道いて曰く、「苗民、練を用いず、折くに則ち刑し、唯だ五殺の刑を作り、法と曰う」と。則ち此れ善く刑を用うる者は以て民を治め、善く刑を用いざる者は以て五殺と為すを言う。則ち此れ豈に刑の不善ならんや。刑を用うること則ち不善なり、故に遂に以て五殺と為す。是を以て先王の書、術令の道いて曰く、「惟れ口は好を出だし戎を興す」と。則ち此れ善く口を用うる者は好を出だし、善く口を用いざる者は以て讒賊冦戎と為すを言う。則ち此れ豈に口の不善ならんや。口を用うること則ち不善なり、故に遂に以て䜛賊冦戎と為す。
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老子 第18章大道廃れて、仁義有り。智慧出でて、大偽有り。六親和せずして、孝慈有り。国家昏乱して、忠臣有り。
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孫子・始計篇法とは、曲制・官道・主用なり。
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『墨子』公孟公孟子、子墨子に謂いて曰く、「知に人より賢れる有らば、則ち知と謂う可きか」と。子墨子曰く、「愚の知に以て人より賢れる有るも、愚、豈に知と謂う可けんや」と。公孟子曰く、「三年の喪は、吾が父母を慕うを學ぶなり」と。子墨子曰く、「夫れ嬰兒子の知は、獨り父母を慕うのみ。父母、得可からざれば、然れども號びて止まず。此れ其の故は何ぞや。即ち愚の至りなり。然らば則ち儒者の知、豈に以て嬰兒子より賢れること有らんや」と。子墨子曰く、「儒者に問う、『何の故に樂を為すや』と」。