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学問のすゝめ / 十一編・名分をもって偽君子を生ずるの論・人物の頼み難きにあらず専制の頼み難きなり

ただ一つの心配は己が預かりの帳面に筆の働きをもって極内の仕事を行なわんとするの一事のみ。鷲に等しき旦那の眼力もそれまでには及び兼ね、律儀一偏の忠助と思いのほかに、駆落ちかまたは頓死のその跡にて帳面を改むれば、洞のごとき大穴をあけ、はじめて人物の頼み難きを歎息するのみ。されどもこは人物の頼み難きにあらず、専制の頼み難きなり。旦那と忠助とは赤の他人の大人にあらずや。その忠助に商売の割合をば約束もせずして、子供のごとくにこれを扱わんとせしは旦那の不了簡と言うべきなり。

新字:ただ一つの心配は己が預かりの帳面に筆の働きをもって極内の仕事を行なわんとするの一事のみ。鷲に等しき旦那の眼力もそれまでには及び兼ね、律儀一偏の忠助と思いのほかに、駆落ちかまたは頓死のその跡にて帳面を改むれば、洞のごとき大穴をあけ、はじめて人物の頼み難きを嘆息するのみ。されどもこは人物の頼み難きにあらず、専制の頼み難きなり。旦那と忠助とは赤の他人の大人にあらずや。その忠助に商売の割合をば約束もせずして、子供のごとくにこれを扱わんとせしは旦那の不了簡と言うべきなり。

書き下し

ただ一つの心配は己が預かりの帳面に筆の働きをもって極内の仕事を行なわんとするの一事のみ。鷲に等しき旦那の眼力もそれまでには及び兼ね、律儀一偏の忠助と思いのほかに、駆落ちかまたは頓死のその跡にて帳面を改むれば、洞のごとき大穴をあけ、はじめて人物の頼み難きを歎息するのみ。されどもこは人物の頼み難きにあらず、専制の頼み難きなり。旦那と忠助とは赤の他人の大人にあらずや。その忠助に商売の割合をば約束もせずして、子供のごとくにこれを扱わんとせしは旦那の不了簡と言うべきなり。

現代語訳

ただ一つの心配は、自分が預かる帳面に筆の働きで内緒の仕事をしようという一事だけです。鷲のような旦那の眼力もそこまでは及びかね、律儀一辺倒の忠助だと思っていたのに、駆け落ちか頓死かのその後で帳面を改めれば、洞のような大穴が開いていて、はじめて人は頼りにならないと嘆息するだけです。しかしこれは人が頼りにならないのではなく、専制が頼りにならないのです。旦那と忠助とは赤の他人の大人ではありませんか。その忠助に商売の取り分を約束もせず、子供のように扱おうとしたのは旦那の考え違いと言うべきです。

解説

帳面に大穴が開く結末が描かれ、そこから診断が下されます。人が頼りにならないのではなく専制が頼りにならない、と。裏切りを人格の問題ではなく制度の問題として扱うのがこの段の要です。原因も明示されます。赤の他人の大人に取り分を約束せず、子供のように扱った。利害を共有させない仕組みが横領を生むという分析で、現代の組織論にそのまま通じます。
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