学問のすゝめ / 十編・前編のつづき、中津の旧友に贈る・その一時なるものはいずれの時に終わるべきや
もとより数百年来の鎖国を開きて、とみに文明の人に交わることなれば、その状あたかも火をもって水に接するがごとく、この交際を平均せしめんがためには、あるいは彼の人物を雇い、あるいは彼の器品を買いて、もって急須の欠を補い、水火相触るるの動乱を鎮静するは必ずやむをえざるの勢いなれば、一時の供給を彼に仰ぐも国の失策と言うべからず。然りといえども、他国の物を仰いで自国の用を便ずるは、もとより永久の計にあらず、ただこれを一時の供給とみなして強いてみずから慰むるのみなれども、その一時なるものはいずれの時に終わるべきや。その供給を他に仰がずしてみずから供するの法はいかがして得べきや。これを期することはなはだ難し。
書き下し
もとより数百年来の鎖国を開きて、とみに文明の人に交わることなれば、その状あたかも火をもって水に接するがごとく、この交際を平均せしめんがためには、あるいは彼の人物を雇い、あるいは彼の器品を買いて、もって急須の欠を補い、水火相触るるの動乱を鎮静するは必ずやむをえざるの勢いなれば、一時の供給を彼に仰ぐも国の失策と言うべからず。然りといえども、他国の物を仰いで自国の用を便ずるは、もとより永久の計にあらず、ただこれを一時の供給とみなして強いてみずから慰むるのみなれども、その一時なるものはいずれの時に終わるべきや。その供給を他に仰がずしてみずから供するの法はいかがして得べきや。これを期することはなはだ難し。
現代語訳
もとより数百年来の鎖国を開いて、急に文明の人と交わることですから、そのさまはまるで火が水に接するようなもので、この交際を釣り合わせるためには、彼の人物を雇い、彼の器物を買って急場の欠を補い、水と火が触れ合う動乱を鎮めるのは必ずやむを得ない勢いですから、一時の供給を彼に仰ぐのも国の失策とは言えません。とはいえ、他国の物に頼って自国の用を足すのはもとより永久の計ではなく、ただこれを一時の供給とみなして強いて自らを慰めるだけですが、その一時なるものはいつ終わるのでしょうか。その供給を他に仰がずに自分で供する方法はどうすれば得られるのでしょうか。これを見通すことは非常に難しい。
解説
この章句が説くこと
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『学問のすゝめ』十編・前編のつづき、中津の旧友に贈る・我は悉皆短にして彼は悉皆長なるがごとし試みに見よ、方今、天下の形勢、文明はその名あれどもいまだその実を見ず、外の形は備われども内の精神は耗し。今のわが海陸軍をもって西洋諸国の兵と戦うべきや、けっして戦うべからず。今のわが学術をもって西洋人に教ゆべきや、けっして教ゆべきものなし。かえってこれを彼に学んでなおその及ばざるを恐るるのみ。外国に留学生あり、内国に雇いの教師あり、政府の省・寮・学校より、諸府諸港に至るまで、大概みな外国人を雇わざるものなし。あるいは私立の会社・学校の類といえども、新たに事を企つるものは必ずまず外国人を雇い、過分の給料を与えてこれに依頼するもの多し。彼の長を取りてわが短を補うとは人の口吻なれども、今の有様を見れば我は悉皆短にして彼は悉皆長なるがごとし。
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『学問のすゝめ』十編・前編のつづき、中津の旧友に贈る・日本の財貨を外国へ棄つることなりただ、今の学者の成業を待ち、この学者をして自国の用を便ぜしむるのほか、さらに手段あるべからず。すなわちこれ学者の身に引き受けたる職分なれば、その責め急なりと言うべし。今わが国内に雇い入れたる外国人は、わが学者未熟なるがゆえにしばらくその名代を勤めしむるものなり。今わが国内に外国の器品を買い入るるは、わが国の工業拙なるがゆえにしばらく銭と交易して用を便ずるものなり。この人を雇いこの品を買うがために金を費やすは、わが学術のいまだ彼に及ばざるがために日本の財貨を外国へ棄つることなり。国のためには惜しむべし。学者の身となりては慚ずべし。かつ人として前途の望みなかるべからず、望みあらざれば世に事を勉むる者なし。明日の幸を望んで今日の不幸をも慰むべし。来年の楽を望んで今年の苦をも忍ぶべし。昔日は世の事物みな旧格に制せられて有志の士といえども望みを養うべき目的なかりしが、今や然らず、この制限を一掃せしより後は、あたかも学者のために新世界を開きしがごとく、天下ところとして事をなすの地位あらざるはなし。
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『学問のすゝめ』十編・前編のつづき、中津の旧友に贈る・高利貸といえどもこれに三舎を譲るべし世間諸商売のうちにかかる割合の大利を得るものあるべきや、高利貸といえどもこれに三舎を譲るべし。もとより物価は世の需要の多寡により高低あるものにて、方今、政府をはじめ諸方にて洋学者流を求むること急なるがため、この相場の景気をも生じたるものなれば、あえてその人を奸なりとて咎むるにあらず、またこれを買う者を愚なりとて謗るにあらず、ただわが輩の存意には、この人をしてなお三、五年の艱苦を忍び真に実学を勉強して後に事につかしめなば、大いに成すこともあらんと思うのみ。かくありてこそ日本全国に分布せる智徳に力を増して、はじめて西洋諸国の文明と鋒を争うの場合に至るべきなり。
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『学問のすゝめ』五編・明治七年一月一日の詞・望洋の歎を免れず今や外国の交際にわかに開け、国内の事務一としてこれに関せざるものなし。事々物々みな外国に比較して処置せざるべからざるの勢いに至り、古来わが国人の力にてわずかに達し得たる文明の有様をもって、西洋諸国の有様に比すれば、ただに三舎を譲るのみならず、これに倣わんとしてあるいは望洋の歎を免れず、ますますわが独立の薄弱なるを覚ゆるなり。
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『学問のすゝめ』十編・前編のつづき、中津の旧友に贈る・その智恵の鋒を争うの相手は外国人なり農となり、商となり、学者となり、官員となり、書を著わし、新聞紙を書き、法律を講じ、芸術を学び、工業も起こすべし、議院も開くべし、百般の事業行なうべからざるものなし。しかもこの事業を成し得て、国中の兄弟相鬩ぐにあらず、その智恵の鋒を争うの相手は外国人なり、この智戦に利あればすなわちわが国の地位を高くすべし。これに敗すればわが地位を落とすべし。その望み大にして期するところ明らかなりと言うべし。もとより天下の事を現に施行するには前後緩急あるべしといえども、到底この国に欠くべからざるの事業は、人々の所長によりて今より研究せざるべからず。いやしくも処世の義務を知る者は、この時に当たりてこの事情を傍観するの理なし。学者勉めざるべからず。
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『学問のすゝめ』十編・前編のつづき、中津の旧友に贈る・一人にてこの日本国を維持するの気力これによりて考うれば、今の学者たる者はけっして尋常学校の教育をもって満足すべからず、その志を高遠にして学術の真面目に達し、不覊独立もって他人に依頼せず、あるいは同志の朋友なくば一人にてこの日本国を維持するの気力を養い、もって世のために尽くさざるべからず。余輩もとより和漢の古学者流が人を治むるを知りてみずから修むるを知らざる者を好まず。これを好まざればこそ、この書の初編より人民同権の説を主張し、人々みずからその責めに任じてみずからその力に食むの大切なるを論じたれども、この自力に食むの一事にてはいまだわが学問の趣意を終われりとするに足らず。