学問のすゝめ / 九編・この人はただ蟻の門人と言うべきのみ
この人はただ蟻の門人と言うべきのみ。生涯の事業は蟻の右に出ずるを得ず。その衣食を求め家を作るの際に当たりては、額に汗を流せしこともあらん、胸に心配せしこともあらん、古人の教えに対して恥ずることなしといえども、その成功を見れば万物の霊たる人の目的を達したる者と言うべからず。
書き下し
この人はただ蟻の門人と言うべきのみ。生涯の事業は蟻の右に出ずるを得ず。その衣食を求め家を作るの際に当たりては、額に汗を流せしこともあらん、胸に心配せしこともあらん、古人の教えに対して恥ずることなしといえども、その成功を見れば万物の霊たる人の目的を達したる者と言うべからず。
現代語訳
この人はただ蟻の弟子と言うべきだけです。生涯の事業は蟻の上に出ることができません。その衣食を求め家を作るときには、額に汗を流したこともあるでしょうし、胸を痛めたこともあるでしょう。古人の教えに対して恥じることはないとはいえ、その成果を見れば、万物の霊である人としての目的を達した者とは言えません。
解説
前段で描かれた堅実な暮らしに、判定が下されます。蟻の弟子、という言い方が痛烈です。努力をしなかったとは言っておらず、汗も心配もあっただろうと認めています。しかし到達した高さが蟻を超えていない、と。人が万物の霊と呼ばれるのは、生きて食べるだけではない何かを成すからだ、という前提が背後にあり、その何かが次の段から示されていきます。
この章句が説くこと
蟻判定努力水準目的
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