学問のすゝめ / 八編・わが心をもって他人の身を制すべからず・その酒の代をもって紙帳を買うこそ智者
寒中に裸体にて氷の上に臥しその解くるを待たんとするも人間にできざることなり。夏の夜に自分の身に酒を灌ぎて蚊に食われ親に近づく蚊を防ぐより、その酒の代をもって紙帳を買うこそ智者ならずや。父母を養うべき働きもなく途方に暮れて、罪もなき子を生きながら穴に埋めんとするその心は、鬼とも言うべし、蛇とも言うべし、天理人情を害するの極度と言うべし。最前は不孝に三つありとて、子を生まざるをさえ大不孝と言いながら、今ここにはすでに生まれたる子を穴に埋めて後を絶たんとせり。いずれをもって孝行とするか、前後不都合なる妄説ならずや。畢竟、この孝行の説も、親子の名を糺し上下の分を明らかにせんとして、無理に子を責むるものならん。そのこれを責むる箇条を聞けば、「妊娠中に母を苦しめ、生まれて後は三年父母の懐を免れず、その洪恩は如何」と言えり。されども子を生みて子を養うは人類のみにあらず、禽獣みな然り。ただ人の父母の禽獣に異なるところは、子に衣食を与うるのほかに、これを教育して人間交際の道を知らしむるの一事にあるのみ。
書き下し
寒中に裸体にて氷の上に臥しその解くるを待たんとするも人間にできざることなり。夏の夜に自分の身に酒を灌ぎて蚊に食われ親に近づく蚊を防ぐより、その酒の代をもって紙帳を買うこそ智者ならずや。父母を養うべき働きもなく途方に暮れて、罪もなき子を生きながら穴に埋めんとするその心は、鬼とも言うべし、蛇とも言うべし、天理人情を害するの極度と言うべし。最前は不孝に三つありとて、子を生まざるをさえ大不孝と言いながら、今ここにはすでに生まれたる子を穴に埋めて後を絶たんとせり。いずれをもって孝行とするか、前後不都合なる妄説ならずや。畢竟、この孝行の説も、親子の名を糺し上下の分を明らかにせんとして、無理に子を責むるものならん。そのこれを責むる箇条を聞けば、「妊娠中に母を苦しめ、生まれて後は三年父母の懐を免れず、その洪恩は如何」と言えり。されども子を生みて子を養うは人類のみにあらず、禽獣みな然り。ただ人の父母の禽獣に異なるところは、子に衣食を与うるのほかに、これを教育して人間交際の道を知らしむるの一事にあるのみ。
現代語訳
寒中に裸で氷の上に臥してそれが解けるのを待つのも、人にできることではありません。夏の夜に自分の体に酒を注いで蚊に食われ、親に近づく蚊を防ぐより、その酒代で蚊帳を買うほうが賢いのではありませんか。父母を養う働きもなく途方に暮れて、罪もない子を生きたまま穴に埋めようとする、その心は鬼とも言うべく蛇とも言うべく、天の理と人の情を害する極みと言うべきです。先には不孝に三つあり、子を生まないことさえ大不孝だと言いながら、ここではすでに生まれた子を穴に埋めて後を絶とうとしています。どちらをもって孝行とするのか、前後が食い違った妄説ではありませんか。結局この孝行の説も、親子の名を正し上下の分を明らかにしようとして、無理に子を責めるものでしょう。その責める箇条を聞けば、妊娠中に母を苦しめ、生まれた後は三年父母の懐を離れない、その大恩はどうか、と言います。しかし子を生んで子を養うのは人類だけでなく、鳥獣もみなそうです。ただ人の父母が鳥獣と異なるのは、子に衣食を与えるほかに、これを教育して人の交わりの道を知らせるという一事にあるだけです。
解説
この章句が説くこと
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『学問のすゝめ』八編・わが心をもって他人の身を制すべからず・天然の誠をもってこれに孝行すべき親に孝行するはもとより人たる者の当然、老人とあれば他人にてもこれを丁寧にするはずなり。まして自分の父母に対し情を尽くさざるべけんや。利のためにあらず、名のためにあらず、ただ己が親と思い、天然の誠をもってこれに孝行すべきなり。古来和漢にて孝行を勧めたる話ははなはだ多く、『二十四孝』をはじめとしてそのほかの著述書も計うるに遑あらず。しかるにこの書を見れば、十に八、九は人間にでき難きことを勧むるか、または愚にして笑うべきことを説くか、はなはだしきは理に背きたることを誉めて孝行とするものあり。
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『学問のすゝめ』八編・わが心をもって他人の身を制すべからず・なんの鉄面皮あればこの破廉恥に至るやしかるに世間の父母たる者、よく子を生めども子を教うるの道を知らず、身は放蕩無頼を事として子弟に悪例を示し、家を汚し産を破りて貧困に陥り、気力ようやく衰えて家産すでに尽くるに至れば放蕩変じて頑愚となり、すなわちその子に向かいて孝行を責むるとは、はたしてなんの心ぞや。なんの鉄面皮あればこの破廉恥のはなはだしきに至るや。父は子の財を貪らんとし、姑は嫁の心を悩ましめ、父母の心をもって子供夫婦の身を制し、父母の不理屈は尤もにして子供の申し分は少しも立たず、嫁はあたかも餓鬼の地獄に落ちたるがごとく、起居眠食、自由なるものなし。一も舅姑の意に戻ればすなわちこれを不孝者と称し、世間の人もこれを見て心に無理とは思いながら、己が身に引き受けざることなればまず親の不理屈に左袒して理不尽にその子を咎むるか、あるいは通人の説に従えば、理非を分かたず親を欺けとて偽計を授くる者あり。
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『学問のすゝめ』八編・わが心をもって他人の身を制すべからず・孫の誕生が晩しとてこれを不孝と言うべからずいやしくも人心を具えたる者なれば、誰か孟子の妄言を信ぜん。元来不孝とは、子たる者にて理に背きたることをなし、親の身心をして快からしめざることを言うなり。もちろん老人の心にて孫の生まるるは悦ぶことなれども、孫の誕生が晩しとて、これをその子の不幸と言うべからず。試みに天下の父母たる者に問わん。子に良縁ありてよき嫁を娶り、孫を生まずとてこれを怒り、その嫁を叱り、その子を笞うち、あるいはこれを勘当せんと欲するか。世界広しといえどもいまだかかる奇人あるを聞かず、これらはもとより空論にて弁解を費やすにも及ばず。人々みずからその心に問いてみずからこれに答うべきのみ。
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『学問のすゝめ』八編・わが心をもって他人の身を制すべからず・これを男妾と名づけて人あるいはいわく、「衆妾を養うもその処置よろしきを得れば人情を害することなし」と。こは夫子みずから言うの言葉なり。もしそれはたして然らば、一婦をして衆夫を養わしめ、これを男妾と名づけて家族第二等親の位にあらしめなば如何。かくのごとくしてよくその家を治め、人間交際の大義に毫も害することなくば、余が喋々の議論をもやめ、口を閉ざしてまた言わざるべし。天下の男子よろしくみずから顧みるべし。或る人またいわく、「妾を養うは後あらしめんがためなり、孟子の教えに不孝に三つあり、後なきを大なりとす」と。余答えていわく、天理に戻ることを唱うる者は孟子にても孔子にても遠慮に及ばず、これを罪人と言いて可なり。妻を娶り、子を生まざればとてこれを大不孝とは何事ぞ。遁辞と言うもあまりはなはだしからずや。
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二宮翁夜話・巻之四某(それがし)の寺に、廿四孝図(にじゅうしこうず)の屏風(びょうぶ)あり、翁(おきな)曰(いわ)く、夫(そ)れ聖門(せいもん)は中庸(ちゅうよう)を尊ぶ、然(しか)るに此(こ)の廿四孝と云ふ者皆中庸ならず、只(ただ)王裒(おうほう)、朱寿昌(しゅじゅしょう)等、数名のみ奇もなく異もなし、其(そ)の他は奇なり異なり、虎の前に号(な)きしかば、害を免(まぬか)るゝに至りては我之(これ)を知らず、論語孝を説く処と、懸隔(けんかく)を覚(おぼ)ゆ、夫れ孝は親の心を以て心とし、親の心を安(やす)んずるにあり、子たる者平常の身持(みもち)心掛(こころがけ)慥(たしか)ならば、縦令(たとい)遠国(えんごく)に奉公し、父母を問ふ事なしといへ共(ども)、某の藩にて褒賞(ほうしょう)を受けし者ありと聞く時は、其の父母我子ならんと悦(よろこ)び、又罪科(つみとが)を受けし者ありと聞く時は、必(かなら)ず我子にあらじと苦慮(くりょ)せざる様なれば、孝と云ふべし、又同じく罪科に陥(おちい)りし者ありと聞く時は、我子ならんかと苦慮し、褒賞の者ありと聞く時は、我子にあらじと、悦ばぬ様ならんには、日に月に行通(ゆきかよ)ひて、安否を問ふ共、不孝とす、古語に、親に事(つか)ふる者は、上に居て驕(おご)らず、下に居て乱(みだ)れず、醜(しゅう)に在(あ)りて争(あらそ)はずと云ひ、又違(たが)ふ事なしとも、又其の病を是(こ)れ患(うれ)ふとも云へり、親子の情見るべし、世間親たる者の深情(しんじょう)は、子の為に無病長寿、立身出世を願ふの外、決して余念なき物なり、されば子たる者は、其の親の心を以て心として親を安んずるこそ、至孝(しこう)なるべけれ、上に居て驕らざるも、下と成りて乱れざるも、常の事なれど醜に在りて争はずと云へるに、心を付(つ)くべし、醜俗(しゅうぞく)に交る時は、如何(いか)に堪忍(かんにん)するとも、忍(しの)び難き事多かるべきに、此の場に於て争はぬは、実に至孝と云ふべきなり。
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『学問のすゝめ』十四編・世話の字の義・甲は不孝にして乙は不慈なり譬えば父母の指図を聴かざる道楽息子へみだりに銭を与えて、その遊冶放蕩を逞しゅうせしむるは、保護の世話は行き届きて指図の世話は行なわれざるものなり。子供は謹慎勉強して父母の命に従うといえども、この子供に衣食をも十分に給せずして無学文盲の苦界に陥らしむるは、指図の世話のみをなして保護の世話を怠るものなり。甲は不孝にして乙は不慈なり。ともにこれを人間の悪事と言うべし。