学問のすゝめ / 八編・わが心をもって他人の身を制すべからず・孫の誕生が晩しとてこれを不孝と言うべからず
いやしくも人心を具えたる者なれば、誰か孟子の妄言を信ぜん。元来不孝とは、子たる者にて理に背きたることをなし、親の身心をして快からしめざることを言うなり。もちろん老人の心にて孫の生まるるは悦ぶことなれども、孫の誕生が晩しとて、これをその子の不幸と言うべからず。試みに天下の父母たる者に問わん。子に良縁ありてよき嫁を娶り、孫を生まずとてこれを怒り、その嫁を叱り、その子を笞うち、あるいはこれを勘当せんと欲するか。世界広しといえどもいまだかかる奇人あるを聞かず、これらはもとより空論にて弁解を費やすにも及ばず。人々みずからその心に問いてみずからこれに答うべきのみ。
書き下し
いやしくも人心を具えたる者なれば、誰か孟子の妄言を信ぜん。元来不孝とは、子たる者にて理に背きたることをなし、親の身心をして快からしめざることを言うなり。もちろん老人の心にて孫の生まるるは悦ぶことなれども、孫の誕生が晩しとて、これをその子の不幸と言うべからず。試みに天下の父母たる者に問わん。子に良縁ありてよき嫁を娶り、孫を生まずとてこれを怒り、その嫁を叱り、その子を笞うち、あるいはこれを勘当せんと欲するか。世界広しといえどもいまだかかる奇人あるを聞かず、これらはもとより空論にて弁解を費やすにも及ばず。人々みずからその心に問いてみずからこれに答うべきのみ。
現代語訳
かりにも人の心を備えた者なら、誰が孟子の妄言を信じるでしょうか。もともと不孝とは、子たる者が道理に背くことをして、親の身心を快くさせないことを言います。もちろん老人の心として孫が生まれるのは喜ばしいことですが、孫の誕生が遅いからといって、これをその子の不孝と言ってはなりません。試しに天下の父母に問いましょう。子に良縁があってよい嫁を娶り、孫を生まないからといってこれを怒り、その嫁を叱り、その子を笞打ち、あるいは勘当しようと思うでしょうか。世界は広いといっても、まだそんな奇人がいるとは聞きません。これらはもとより空論で弁解に費やすにも及びません。人々が自ら心に問い、自らこれに答えるべきだけです。
解説
この章句が説くこと
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『学問のすゝめ』八編・わが心をもって他人の身を制すべからず・天然の誠をもってこれに孝行すべき親に孝行するはもとより人たる者の当然、老人とあれば他人にてもこれを丁寧にするはずなり。まして自分の父母に対し情を尽くさざるべけんや。利のためにあらず、名のためにあらず、ただ己が親と思い、天然の誠をもってこれに孝行すべきなり。古来和漢にて孝行を勧めたる話ははなはだ多く、『二十四孝』をはじめとしてそのほかの著述書も計うるに遑あらず。しかるにこの書を見れば、十に八、九は人間にでき難きことを勧むるか、または愚にして笑うべきことを説くか、はなはだしきは理に背きたることを誉めて孝行とするものあり。
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『学問のすゝめ』八編・わが心をもって他人の身を制すべからず・なんの鉄面皮あればこの破廉恥に至るやしかるに世間の父母たる者、よく子を生めども子を教うるの道を知らず、身は放蕩無頼を事として子弟に悪例を示し、家を汚し産を破りて貧困に陥り、気力ようやく衰えて家産すでに尽くるに至れば放蕩変じて頑愚となり、すなわちその子に向かいて孝行を責むるとは、はたしてなんの心ぞや。なんの鉄面皮あればこの破廉恥のはなはだしきに至るや。父は子の財を貪らんとし、姑は嫁の心を悩ましめ、父母の心をもって子供夫婦の身を制し、父母の不理屈は尤もにして子供の申し分は少しも立たず、嫁はあたかも餓鬼の地獄に落ちたるがごとく、起居眠食、自由なるものなし。一も舅姑の意に戻ればすなわちこれを不孝者と称し、世間の人もこれを見て心に無理とは思いながら、己が身に引き受けざることなればまず親の不理屈に左袒して理不尽にその子を咎むるか、あるいは通人の説に従えば、理非を分かたず親を欺けとて偽計を授くる者あり。
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『学問のすゝめ』八編・わが心をもって他人の身を制すべからず・その酒の代をもって紙帳を買うこそ智者寒中に裸体にて氷の上に臥しその解くるを待たんとするも人間にできざることなり。夏の夜に自分の身に酒を灌ぎて蚊に食われ親に近づく蚊を防ぐより、その酒の代をもって紙帳を買うこそ智者ならずや。父母を養うべき働きもなく途方に暮れて、罪もなき子を生きながら穴に埋めんとするその心は、鬼とも言うべし、蛇とも言うべし、天理人情を害するの極度と言うべし。最前は不孝に三つありとて、子を生まざるをさえ大不孝と言いながら、今ここにはすでに生まれたる子を穴に埋めて後を絶たんとせり。いずれをもって孝行とするか、前後不都合なる妄説ならずや。畢竟、この孝行の説も、親子の名を糺し上下の分を明らかにせんとして、無理に子を責むるものならん。そのこれを責むる箇条を聞けば、「妊娠中に母を苦しめ、生まれて後は三年父母の懐を免れず、その洪恩は如何」と言えり。されども子を生みて子を養うは人類のみにあらず、禽獣みな然り。ただ人の父母の禽獣に異なるところは、子に衣食を与うるのほかに、これを教育して人間交際の道を知らしむるの一事にあるのみ。
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『学問のすゝめ』八編・わが心をもって他人の身を制すべからず・これを男妾と名づけて人あるいはいわく、「衆妾を養うもその処置よろしきを得れば人情を害することなし」と。こは夫子みずから言うの言葉なり。もしそれはたして然らば、一婦をして衆夫を養わしめ、これを男妾と名づけて家族第二等親の位にあらしめなば如何。かくのごとくしてよくその家を治め、人間交際の大義に毫も害することなくば、余が喋々の議論をもやめ、口を閉ざしてまた言わざるべし。天下の男子よろしくみずから顧みるべし。或る人またいわく、「妾を養うは後あらしめんがためなり、孟子の教えに不孝に三つあり、後なきを大なりとす」と。余答えていわく、天理に戻ることを唱うる者は孟子にても孔子にても遠慮に及ばず、これを罪人と言いて可なり。妻を娶り、子を生まざればとてこれを大不孝とは何事ぞ。遁辞と言うもあまりはなはだしからずや。
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『学問のすゝめ』八編・わが心をもって他人の身を制すべからず・姑の鑑遠からず嫁の時にあり豈これを人間家内の道と言うべけんや。余かつて言えることあり。「姑の鑑遠からず嫁の時にあり」と。姑もし嫁を窘しめんと欲せば、己がかつて嫁たりし時を想うべきなり。右は上下貴賤の名分より生じたる悪弊にて、夫婦親子の二例を示したるなり。世間にこの悪弊の行なわるるははなはだ広く、事々物々、人間の交際に浸潤せざるはなし。なおその例は次編に記すべし。
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孟子・離婁章句上公孫丑曰く、「君子の子を教えざるは、何ぞや。」孟子曰く、「勢い行われざればなり。教うる者は必ず正を以てす。正を以てして行われざれば、之に繼ぐに怒りを以てす。之に繼ぐに怒りを以てすれば、則ち反って夷(そこなう)う。『夫子、我に教うるに正を以てするも、夫子未だ正に出でざるなり。』則ち是れ父子相夷うなり。父子相夷えば、則ち惡し。古は、子を易えて之を教う。父子の間は善を責めず。善を責むれば則ち離る。離るれば則ち不祥、焉より大なるは莫し。」