学問のすゝめ / 八編・わが心をもって他人の身を制すべからず・婦人に三従の道あり
『女大学』という書に、「婦人に三従の道あり、稚き時は父母に従い、嫁いる時は夫に従い、老いては子に従うべし」と言えり。稚き時に父母に従うは尤もなれども、嫁いりて後に夫に従うとはいかにしてこれに従うことなるや、その従うさまを問わざるべからず。『女大学』の文によれば、亭主は酒を飲み、女郎に耽り、妻をののしり子を叱りて、放蕩淫乱を尽くすも、婦人はこれに従い、この淫夫を天のごとく敬い尊み、顔色を和らげ、悦ばしき言葉にてこれを意見すべしとのみありて、その先の始末をば記さず。さればこの教えの趣意は、淫夫にても姦夫にてもすでに己が夫と約束したるうえは、いかなる恥辱を蒙るもこれに従わざるをえず、ただ心にも思わぬ顔色を作りて諫むるの権義あるのみ。その諫めに従うと従わざるとは淫夫の心次第にて、すなわち淫夫の心はこれを天命と思うよりほかに手段あることなし。
書き下し
『女大学』という書に、「婦人に三従の道あり、稚き時は父母に従い、嫁いる時は夫に従い、老いては子に従うべし」と言えり。稚き時に父母に従うは尤もなれども、嫁いりて後に夫に従うとはいかにしてこれに従うことなるや、その従うさまを問わざるべからず。『女大学』の文によれば、亭主は酒を飲み、女郎に耽り、妻をののしり子を叱りて、放蕩淫乱を尽くすも、婦人はこれに従い、この淫夫を天のごとく敬い尊み、顔色を和らげ、悦ばしき言葉にてこれを意見すべしとのみありて、その先の始末をば記さず。さればこの教えの趣意は、淫夫にても姦夫にてもすでに己が夫と約束したるうえは、いかなる恥辱を蒙るもこれに従わざるをえず、ただ心にも思わぬ顔色を作りて諫むるの権義あるのみ。その諫めに従うと従わざるとは淫夫の心次第にて、すなわち淫夫の心はこれを天命と思うよりほかに手段あることなし。
現代語訳
『女大学』という書に、婦人には三従の道があり、幼いときは父母に従い、嫁いだときは夫に従い、老いては子に従うべし、とあります。幼いときに父母に従うのはもっともですが、嫁いだ後に夫に従うとはどのように従うことなのか、その従いようを問わねばなりません。『女大学』の文によれば、亭主が酒を飲み、遊女に耽り、妻をののしり子を叱って、放蕩淫乱を尽くしても、婦人はこれに従い、この淫らな夫を天のように敬い尊び、顔色を和らげ、喜ばしい言葉でこれを諫めるべし、とあるだけで、その先の始末は記されていません。ですからこの教えの趣旨は、淫らな夫でも不義の夫でも、すでに自分の夫と約束した上はどんな恥辱を受けてもこれに従わざるを得ず、ただ心にもない顔色を作って諫める権利があるだけ、ということです。その諫めに従うか従わないかは淫らな夫の心次第で、つまり淫らな夫の心を天命と思うよりほかに手段がないのです。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『学問のすゝめ』八編・わが心をもって他人の身を制すべからず・腕の力を本にして男女上下の名分を立てたる仏書に罪業深き女人ということあり。実にこの有様を見れば、女は生まれながら大罪を犯したる科人に異ならず。また一方より婦人を責むることはなはだしく、『女大学』に婦人の七去とて、「淫乱なれば去る」と明らかにその裁判を記せり。男子のためには大いに便利なり。あまり片落ちなる教えならずや。畢竟、男子は強く婦人は弱しというところより、腕の力を本にして男女上下の名分を立てたる教えなるべし。
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『学問のすゝめ』八編・わが心をもって他人の身を制すべからず・姑の鑑遠からず嫁の時にあり豈これを人間家内の道と言うべけんや。余かつて言えることあり。「姑の鑑遠からず嫁の時にあり」と。姑もし嫁を窘しめんと欲せば、己がかつて嫁たりし時を想うべきなり。右は上下貴賤の名分より生じたる悪弊にて、夫婦親子の二例を示したるなり。世間にこの悪弊の行なわるるははなはだ広く、事々物々、人間の交際に浸潤せざるはなし。なおその例は次編に記すべし。
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二宮翁夜話・巻之四或(ある)ひと曰(いわ)く、女大学(おんなだいがく)は、貝原(かいばら)氏の著なりといへど、女子を圧(あっ)する甚(はなは)だ過(す)ぎたるにあらずや。翁(おきな)曰く、然(しか)らず、女大学は婦女子(ふじょし)の教訓(きょうくん)、至れり尽(つく)せり、婦道(ふどう)の至宝(しほう)と云ふべし。斯(か)くの如くなる時は、女子の立つべき道なきが如しといへ共(ども)、是(これ)女子の教訓書なるが故なり。婦女子たる者、能(よ)く此の理(り)を知らば、斉(ととの)はざる家はあらじ。舜(しゅん)の瞽瞍(こそう)に仕へしは、則(すなわ)ち子たる者の道の極(きょく)にして、同一の理なり。然といへ共、若(も)し男子にして女大学を読み、婦道はかゝる物と思ふは以(もっ)ての外(ほか)の過(あやま)ちなり。女大学は女子の教訓にして、貞操(ていそう)心を鍛練(たんれん)するための書なり。夫(それ)鉄(てつ)も能々(よくよく)鍛練せざれば、折れず曲(まが)らざるの刀とならざるが如し。総(すべ)て教訓は皆然り。されば、男子の読むべき物にあらず、誤解する事勿(なか)れ。世に此の心得違(こころえちが)ひ往々あり。夫(それ)教(おしえ)は各々(おのおの)異(こと)なり、論語を見ても知らるべし。君には君の教あり、民には民の教あり、親には親、子には子の教あり。君は民の教を学ぶ事勿れ、民は君の教を学ぶなかれ、親も又然り、子も又然り、君民親子夫婦兄弟皆然り。君は仁愛(じんあい)を講明(こうめい)すべし、民は忠順(ちゅうじゅん)を道とすべし、親は慈愛(じあい)、子は孝行、各々己(おの)が道を違(たが)へざれば、天下泰平なり、之に反すれば乱なり。男子にして、女大学を読む事勿れと云ふは、是が為なり。譬(たと)へば教訓は病に処(しょ)する薬方(やくほう)の如し、其の病に依(よ)りて施(ほどこ)す物なればなり。
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『学問のすゝめ』八編・わが心をもって他人の身を制すべからず・なんの鉄面皮あればこの破廉恥に至るやしかるに世間の父母たる者、よく子を生めども子を教うるの道を知らず、身は放蕩無頼を事として子弟に悪例を示し、家を汚し産を破りて貧困に陥り、気力ようやく衰えて家産すでに尽くるに至れば放蕩変じて頑愚となり、すなわちその子に向かいて孝行を責むるとは、はたしてなんの心ぞや。なんの鉄面皮あればこの破廉恥のはなはだしきに至るや。父は子の財を貪らんとし、姑は嫁の心を悩ましめ、父母の心をもって子供夫婦の身を制し、父母の不理屈は尤もにして子供の申し分は少しも立たず、嫁はあたかも餓鬼の地獄に落ちたるがごとく、起居眠食、自由なるものなし。一も舅姑の意に戻ればすなわちこれを不孝者と称し、世間の人もこれを見て心に無理とは思いながら、己が身に引き受けざることなればまず親の不理屈に左袒して理不尽にその子を咎むるか、あるいは通人の説に従えば、理非を分かたず親を欺けとて偽計を授くる者あり。
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『学問のすゝめ』八編・わが心をもって他人の身を制すべからず・これを男妾と名づけて人あるいはいわく、「衆妾を養うもその処置よろしきを得れば人情を害することなし」と。こは夫子みずから言うの言葉なり。もしそれはたして然らば、一婦をして衆夫を養わしめ、これを男妾と名づけて家族第二等親の位にあらしめなば如何。かくのごとくしてよくその家を治め、人間交際の大義に毫も害することなくば、余が喋々の議論をもやめ、口を閉ざしてまた言わざるべし。天下の男子よろしくみずから顧みるべし。或る人またいわく、「妾を養うは後あらしめんがためなり、孟子の教えに不孝に三つあり、後なきを大なりとす」と。余答えていわく、天理に戻ることを唱うる者は孟子にても孔子にても遠慮に及ばず、これを罪人と言いて可なり。妻を娶り、子を生まざればとてこれを大不孝とは何事ぞ。遁辞と言うもあまりはなはだしからずや。
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『学問のすゝめ』八編・わが心をもって他人の身を制すべからず・その酒の代をもって紙帳を買うこそ智者寒中に裸体にて氷の上に臥しその解くるを待たんとするも人間にできざることなり。夏の夜に自分の身に酒を灌ぎて蚊に食われ親に近づく蚊を防ぐより、その酒の代をもって紙帳を買うこそ智者ならずや。父母を養うべき働きもなく途方に暮れて、罪もなき子を生きながら穴に埋めんとするその心は、鬼とも言うべし、蛇とも言うべし、天理人情を害するの極度と言うべし。最前は不孝に三つありとて、子を生まざるをさえ大不孝と言いながら、今ここにはすでに生まれたる子を穴に埋めて後を絶たんとせり。いずれをもって孝行とするか、前後不都合なる妄説ならずや。畢竟、この孝行の説も、親子の名を糺し上下の分を明らかにせんとして、無理に子を責むるものならん。そのこれを責むる箇条を聞けば、「妊娠中に母を苦しめ、生まれて後は三年父母の懐を免れず、その洪恩は如何」と言えり。されども子を生みて子を養うは人類のみにあらず、禽獣みな然り。ただ人の父母の禽獣に異なるところは、子に衣食を与うるのほかに、これを教育して人間交際の道を知らしむるの一事にあるのみ。