学問のすゝめ / 七編・国民の職分を論ず・必ず同情相憐れむの心を生ずべし
その目的とするところは政府の不正を止むるの趣意なるがゆえに、政府の処置、正に帰すれば議論もまたともにやむべし。また力をもって政府に敵すれば、政府は必ず怒りの気を生じ、みずからその悪を顧みずしてかえってますます暴威を張り、その非を遂げんとするの勢いに至るべしといえども、静かに正理を唱うる者に対しては、たとい暴政府といえどもその役人もまた同国の人類なれば、正者の理を守りて身を棄つるを見て必ず同情相憐れむの心を生ずべし。すでに他を憐れむの心を生ずれば、おのずから過ちを悔い、おのずから胆を落として、必ず改心するに至るべし。
書き下し
その目的とするところは政府の不正を止むるの趣意なるがゆえに、政府の処置、正に帰すれば議論もまたともにやむべし。また力をもって政府に敵すれば、政府は必ず怒りの気を生じ、みずからその悪を顧みずしてかえってますます暴威を張り、その非を遂げんとするの勢いに至るべしといえども、静かに正理を唱うる者に対しては、たとい暴政府といえどもその役人もまた同国の人類なれば、正者の理を守りて身を棄つるを見て必ず同情相憐れむの心を生ずべし。すでに他を憐れむの心を生ずれば、おのずから過ちを悔い、おのずから胆を落として、必ず改心するに至るべし。
現代語訳
その目的とするところは政府の不正を止めるという趣旨ですから、政府の処置が正しいところに帰れば議論もまた同時にやみます。また力をもって政府に敵対すれば、政府は必ず怒りを生じ、自分の悪を顧みずにかえってますます暴威を張り、その非を押し通そうとする勢いに至るでしょう。しかし静かに正しい道理を唱える者に対しては、たとえ暴政の政府といえどもその役人もまた同じ国の人間ですから、正しい者が道理を守って身を捨てるのを見て、必ず同情し憐れむ心を生じるはずです。すでに他人を憐れむ心が生じれば、自然と過ちを悔い、自然と気が挫けて、必ず改心するに至るでしょう。
解説
抵抗のやめどきが定義されます。目的は不正を止めることだから、正されれば議論もやむ。勝つことではなく直すことが目的だという確認です。そして相手の反応の違いが示されます。力で迫れば意地になって暴威を張るが、静かな道理には心が動く。役人もまた同じ国の人間だ、という一行が要で、相手を人として見る前提が非暴力の抵抗を支えていることが分かります。
この章句が説くこと
目的停止共感改心人間
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