学問のすゝめ / 二編・人は同等なること・切捨て御免などの法
また右の議論を世の中のことに当てはめて言わん。旧幕府の時代には士民の区別はなはだしく、士族はみだりに権威を振るい、百姓・町人を取り扱うこと目の下の罪人のごとくし、あるいは切捨て御免などの法あり。この法によれば、平民の生命はわが生命にあらずして借り物に異ならず。百姓・町人は由縁もなき士族へ平身低頭し、外にありては路を避け、内にありて席を譲り、はなはだしきは自分の家に飼いたる馬にも乗られぬほどの不便利を受けたるはけしからぬことならずや。
書き下し
また右の議論を世の中のことに当てはめて言わん。旧幕府の時代には士民の区別はなはだしく、士族はみだりに権威を振るい、百姓・町人を取り扱うこと目の下の罪人のごとくし、あるいは切捨て御免などの法あり。この法によれば、平民の生命はわが生命にあらずして借り物に異ならず。百姓・町人は由縁もなき士族へ平身低頭し、外にありては路を避け、内にありて席を譲り、はなはだしきは自分の家に飼いたる馬にも乗られぬほどの不便利を受けたるは、けしからぬことならずや。
現代語訳
また右の議論を世の中のことに当てはめて言いましょう。旧幕府の時代には武士と民の区別が甚だしく、武士はみだりに権威を振るい、百姓や町人を目の前の罪人のように扱い、あるいは切り捨て御免などという法もありました。この法によれば、平民の命は自分の命ではなく借り物と変わりません。百姓や町人は縁もゆかりもない武士に平身低頭し、外では道を避け、内では席を譲り、ひどい場合には自分の家で飼っている馬にも乗れないほどの不便を受けた。けしからぬことではありませんか。
解説
権利論が、つい数年前までの現実に当てはめられます。切り捨て御免があれば、平民の命は借り物と同じ。自分の馬にも乗れなかったという具体例が、身分制の不合理を生活の細部で示します。これを書いている明治五年の読者にとっては、記憶に新しい話です。過去を振り返ることで、権利という新しい概念の必要を実感させる構成になっています。
この章句が説くこと
身分切捨生命不合理記憶
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