学問のすゝめ / 二編・端書・字を読むことのみを勧むるにあらず
この書の表題は『学問のすすめ』と名づけたれども、けっして字を読むことのみを勧むるにあらず。書中に記すところは、西洋の諸書よりあるいはその文を直ちに訳し、あるいはその意を訳し、形あることにても形なきことにても、一般に人の心得となるべき事柄を挙げて学問の大趣意を示したるものなり。先に著わしたる一冊を初編となし、なおその意を拡めてこのたびの二編を綴り、次いで三、四編にも及ぶべし。
書き下し
この書の表題は『学問のすすめ』と名づけたれども、けっして字を読むことのみを勧むるにあらず。書中に記すところは、西洋の諸書よりあるいはその文を直ちに訳し、あるいはその意を訳し、形あることにても形なきことにても、一般に人の心得となるべき事柄を挙げて学問の大趣意を示したるものなり。先に著わしたる一冊を初編となし、なおその意を拡めてこのたびの二編を綴り、次いで三、四編にも及ぶべし。
現代語訳
この本の表題は『学問のすすめ』と名づけましたが、決して字を読むことだけを勧めるものではありません。本の中に記したところは、西洋の諸書からその文をそのまま訳したり、その意味を訳したりして、形のあることでも形のないことでも、広く人の心得となるべき事柄を挙げて、学問の大きな趣旨を示したものです。先に著した一冊を初編とし、さらにその意味を広げてこのたびの二編を綴り、続いて三編、四編にも及ぶでしょう。
解説
表題の誤解を自ら解いています。学問のすすめと言っても、読書のすすめではない。そして本書の作り方が明かされます。西洋の書物から直訳したり意訳したりして、心得になる事柄を集めたもの。独自の思想ではなく編集の書だと自認しているところが率直です。続編を予告しており、実際にこの後十七編まで書き継がれることになります。
この章句が説くこと
表題誤解翻訳編集続編
関連する章句
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『学問のすゝめ』二編・端書・無形の学問と有形の学問学問とは広き言葉にて、無形の学問もあり、有形の学問もあり。心学、神学、理学等は形なき学問なり。天文、地理、窮理、化学等は形ある学問なり。いずれにてもみな知識見聞の領分を広くして、物事の道理をわきまえ、人たる者の職分を知ることなり。知識見聞を開くためには、あるいは人の言を聞き、あるいはみずから工夫を運らし、あるいは書物をも読まざるべからず。ゆえに学問には文字を知ること必要なれども、古来世の人の思うごとく、ただ文字を読むのみをもって学問とするは、大なる心得違いなり。
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『学問のすゝめ』五編・四、五の二編は学者を相手に『学問のすすめ』はもと民間の読本または小学の教授本に供えたるものなれば、初編より二編三編までも勉めて俗語を用い、文章を読みやすくするを趣意となしたりしが、四編に至り少しく文の体を改めて、あるいはむずかしき文字を用いたるところもあり。またこの五編も明治七年一月一日、社中会同の時に述べたる詞を文章に記したるものなれば、その文の体裁も四編に異ならずして、あるいは解し難きの恐れなきにあらず。畢竟四、五の二編は学者を相手にして論を立てしものなるゆえ、この次第に及びたるなり。
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『学問のすゝめ』五編・六編より後はまたもとの体裁に復り世の学者はおおむねみな腰ぬけにてその気力は不慥かなれども、文字を見る眼はなかなか慥かにして、いかなる難文にても困る者なきゆえ、この二冊にも遠慮なく文章をむずかしく書きその意味もおのずから高上になりて、これがためもと民間の読本たるべき学問のすすめの趣意を失いしは、初学の輩に対してはなはだ気の毒なれども、六編より後はまたもとの体裁に復り、もっぱら解しやすきを主として初学の便利に供しさらに難文を用いることなかるべきがゆえに、看官この二冊をもって全部の難易を評するなかれ。
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『学問のすゝめ』二編・端書・飯を食う字引これらの人物は、ただこれを文字の問屋と言うべきのみ。その功能は飯を食う字引に異ならず。国のためには無用の長物、経済を妨ぐる食客と言うて可なり。ゆえに世帯も学問なり、帳合いも学問なり、時勢を察するもまた学問なり。なんぞ必ずしも和漢洋の書を読むのみをもって学問と言うの理あらんや。
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『学問のすゝめ』初編・字を学ばざるべからず前条に言えるとおり、人の一身も一国も、天の道理に基づきて不覊自由なるものなれば、もしこの一国の自由を妨げんとする者あらば世界万国を敵とするも恐るるに足らず、この一身の自由を妨げんとする者あらば政府の官吏も憚るに足らず。ましてこのごろは四民同等の基本も立ちしことなれば、いずれも安心いたし、ただ天理に従いて存分に事をなすべしとは申しながら、およそ人たる者はそれぞれの身分あれば、またその身分に従い相応の才徳なかるべからず。身に才徳を備えんとするには、物事の理を知らざるべからず。物事の理を知らんとするには、字を学ばざるべからず。これすなわち学問の急務なるわけなり。
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『学問のすゝめ』十編・前編のつづき、中津の旧友に贈る・飯を炊き風呂の火を焚くも学問なり学問するには、その志を高遠にせざるべからず。飯を炊き、風呂の火を焚くも学問なり。天下の事を論ずるもまた学問なり。されども一家の世帯は易くして、天下の経済は難し。およそ世の事物、これを得るに易きものは貴からず。物の貴き所以はこれを得るの手段難ければなり。私に案ずるに、今の学者あるいはその難を棄てて易きにつくの弊あるに似たり。昔封建の世においては、学者あるいは所得あるも、天下の事みなきりつめたる有様にて、その学問を施すべき場所なければ、やむをえずして学びしうえにもまた学問を勉め、その学風はよろしからずといえども、読書に勉強して、その博識なるは今人の及ぶところにあらず。今の学者はすなわち然らず。したがって学べばしたがってこれを実地に施すべし。