学問のすゝめ / 初編・無知文盲の民ほど憐れむべきものはなし
昨今の有様を見るに、農工商の三民はその身分以前に百倍し、やがて士族と肩を並ぶるの勢いに至り、今日にても三民のうちに人物あれば政府の上に採用せらるべき道すでに開けたることなれば、よくその身分を顧み、わが身分を重きものと思い、卑劣の所行あるべからず。およそ世の中に無知文盲の民ほど憐れむべくまた悪むべきものはあらず。智恵なきの極みは恥を知らざるに至り、己が無智をもって貧窮に陥り飢寒に迫るときは、己が身を罪せずしてみだりに傍の富める人を怨み、はなはだしきは徒党を結び強訴・一揆などとて乱暴に及ぶことあり。恥を知らざるとや言わん、法を恐れずとや言わん。天下の法度を頼みてその身の安全を保ち、その家の渡世をいたしながら、その頼むところのみを頼みて、己が私欲のためにはまたこれを破る、前後不都合の次第ならずや。あるいはたまたま身本慥かにして相応の身代ある者も、金銭を貯うることを知りて子孫を教うることを知らず。教えざる子孫なればその愚なるもまた怪しむに足らず。ついには遊惰放蕩に流れ、先祖の家督をも一朝の煙となす者少なからず。
書き下し
昨今の有様を見るに、農工商の三民はその身分以前に百倍し、やがて士族と肩を並ぶるの勢いに至り、今日にても三民のうちに人物あれば政府の上に採用せらるべき道すでに開けたることなれば、よくその身分を顧み、わが身分を重きものと思い、卑劣の所行あるべからず。およそ世の中に無知文盲の民ほど憐れむべく、また悪むべきものはあらず。智恵なきの極みは恥を知らざるに至り、己が無智をもって貧窮に陥り飢寒に迫るときは、己が身を罪せずしてみだりに傍の富める人を怨み、はなはだしきは徒党を結び強訴・一揆などとて乱暴に及ぶことあり。恥を知らざるとや言わん、法を恐れずとや言わん。天下の法度を頼みてその身の安全を保ち、その家の渡世をいたしながら、その頼むところのみを頼みて、己が私欲のためにはまたこれを破る、前後不都合の次第ならずや。あるいはたまたま身元慥かにして相応の身代ある者も、金銭を貯うることを知りて子孫を教うることを知らず。教えざる子孫なれば、その愚なるもまた怪しむに足らず。ついには遊惰放蕩に流れ、先祖の家督をも一朝の煙となす者少なからず。
現代語訳
最近の様子を見ると、農工商の三民はその身分が以前の百倍になり、やがて士族と肩を並べる勢いに至り、今日でも三民のうちに人物があれば政府に採用される道がすでに開けているのですから、よく自分の身分を顧み、自分の身分を重いものと思い、卑劣な行いをしてはなりません。およそ世の中に、無知で文字を知らない民ほど憐れむべく、また憎むべきものはありません。知恵のなさの極みは恥を知らないことに至り、自分の無知によって貧窮に陥り飢えと寒さに迫られるとき、自分を責めずにみだりに傍らの富める人を怨み、ひどい場合には徒党を組んで強訴や一揆などと乱暴に及ぶことがあります。恥を知らないと言うべきか、法を恐れないと言うべきか。天下の法に頼って身の安全を保ち、家の暮らしを立てながら、その頼るところだけを頼って、自分の私欲のためにはまたそれを破る。前後の辻褄が合わないではありませんか。あるいはたまたま身元が確かで相応の財産がある者も、金を貯えることは知っていて子孫を教えることを知りません。教えられない子孫ですから、愚かであっても不思議はありません。ついには怠惰と放蕩に流れ、先祖の家督を一朝の煙にする者が少なくありません。
解説

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『驢鞍橋』卷中又此の恥は、浮世の人知らされば、苦しからずとは云はんや。夢幻なる人間の中の恥をだに愚に思ふは更になし。況や未来永劫の恥に於てをや。此の理をしらさるを、理を知る人と云はんや、義ある人となさんや。さりとては兼て思ひ知り給ふへし。理ある人間ならは、是れを恐るへし。義ある人ならは、勇猛堅固の心釼を以て、生死の敵を截断して、大平に住すへしと云ふはさまざまの異生となり、悪道に輪廻し、世々生々耻を曝さん事、口惜き事に非すや。是れを永劫の苦みと云ふ也。是れをかへりみすと云ふこと有らんや。なに人の知るぞ知らぬぞと云ふ間ならんや。さりとては兼てよふ思ひ知り、勇猛心を以て生死を修し離れて、大安楽に住せよと云ふ事也。是れまてはいさめの分式也。末はおつとつて心の用ゐ様也。
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