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福沢諭吉小品集 / 養生の心得・第2段

一、産後に坐りて幾日も暮す事、是又日本の惡風なりて、此爲に起る惡しき事色々あり。追々に止まる樣に致し度事なり。尤も蒲團の頭の方を足の方より少々高くし、一面に少し坂になるように床を拵ひ、安樂に臥せる事、大によし。 一、懷妊中の心得を精しく咄す時は、此一、二枚の紙に載せがたく且平常の婦人に守り難きを以て、只其旨を擧るのみ。 一、小兒生れて後二、三日の間マクリを呑せ其母の乳を吸せぬ事、今までの風俗なれども、是は返てわろし。生湯すまして後、間もなく其母の乳を吸せるに如ず。何なれ生乳は少しく稀薄くして酸味を持ち極緩き下劑となる故に、生子の  を下すに丁度よきものにて、是天然神の授け給ふ誠に都合よき事なり。決してマクリ抔とて藥用するに及ばず。 一、生毛を剃り取る事、是又日本の風俗なれ共、大にわろし。全體人の頭は腦髓と云ふ極大切なるものゝ有る所なる故に、頭骨有りて其腦髓を圍み守護するなれども、猶其上風熱を防ぐ爲に自然備たる毛髮なれば、剃落す道理なし。別して小兒の頭は頭骨極弱き故に、剃らず其儘捨置き禿にて育てる事、是天然の道理なり。 一、前條の如く頭は大切なるもの故に、小供を誡むるに頭を打つは甚だわろし。西洋人は小供教に背く時は尻を打つ風なり。尻には大切なるものなくして實によき打ち場なり。 一、痘瘡は百人の内九十九人までは是非とも一度病むべき大病なれども、近年種痘追々開けて斯る大病を遁れるように成りたるは、誠に有がたき一妙事なり。然るに頑固しき愚民は未だ種痘を信ぜずして夫の大病を病ませ、愛かる小兒を遂に殺ろし或は盲目禹歩にするもの有り。誠に笑ふ可き事なり。早く種痘するに如ず。 一、此養育法も精しく論ずる時は種々箇條有りて一朝一夕の論に非ず。故に今をもだつたる世間の惡弊を避ぬが爲、斯に數條を擧るのみ。

新字:一、産後に坐りて幾日も暮す事、是又日本の悪風なりて、此為に起る悪しき事色々あり。追々に止まる様に致し度事なり。尤も蒲団の頭の方を足の方より少々高くし、一面に少し坂になるように床を拵ひ、安楽に臥せる事、大によし。 一、懐妊中の心得を精しく咄す時は、此一、二枚の紙に載せがたく且平常の婦人に守り難きを以て、只其旨を挙るのみ。 一、小児生れて後二、三日の間マクリを呑せ其母の乳を吸せぬ事、今までの風俗なれども、是は返てわろし。生湯すまして後、間もなく其母の乳を吸せるに如ず。何なれ生乳は少しく稀薄くして酸味を持ち極緩き下剤となる故に、生子の  を下すに丁度よきものにて、是天然神の授け給ふ誠に都合よき事なり。決してマクリ抔とて薬用するに及ばず。 一、生毛を剃り取る事、是又日本の風俗なれ共、大にわろし。全体人の頭は脳髄と云ふ極大切なるものゝ有る所なる故に、頭骨有りて其脳髄を囲み守護するなれども、猶其上風熱を防ぐ為に自然備たる毛髪なれば、剃落す道理なし。別して小児の頭は頭骨極弱き故に、剃らず其儘捨置き禿にて育てる事、是天然の道理なり。 一、前条の如く頭は大切なるもの故に、小供を誡むるに頭を打つは甚だわろし。西洋人は小供教に背く時は尻を打つ風なり。尻には大切なるものなくして実によき打ち場なり。 一、痘瘡は百人の内九十九人までは是非とも一度病むべき大病なれども、近年種痘追々開けて斯る大病を遁れるように成りたるは、誠に有がたき一妙事なり。然るに頑固しき愚民は未だ種痘を信ぜずして夫の大病を病ませ、愛かる小児を遂に殺ろし或は盲目禹歩にするもの有り。誠に笑ふ可き事なり。早く種痘するに如ず。 一、此養育法も精しく論ずる時は種々箇条有りて一朝一夕の論に非ず。故に今をもだつたる世間の悪弊を避ぬが為、斯に数条を挙るのみ。

書き下し

一、産後に坐りて幾日も暮す事、是又日本の悪風なりて、此為に起る悪しき事色々あり。追々に止まる様に致し度事なり。尤も蒲団の頭の方を足の方より少々高くし、一面に少し坂になるように床を拵ひ、安楽に臥せる事、大によし。 一、懐妊中の心得を精しく咄す時は、此一、二枚の紙に載せがたく且平常の婦人に守り難きを以て、只其旨を挙るのみ。 一、小児生れて後二、三日の間マクリを呑せ其母の乳を吸せぬ事、今までの風俗なれども、是は返てわろし。生湯すまして後、間もなく其母の乳を吸せるに如ず。何なれ生乳は少しく稀薄くして酸味を持ち極緩き下剤となる故に、生子の  を下すに丁度よきものにて、是天然神の授け給ふ誠に都合よき事なり。決してマクリ抔とて薬用するに及ばず。 一、生毛を剃り取る事、是又日本の風俗なれ共、大にわろし。全体人の頭は脳髄と云ふ極大切なるものゝ有る所なる故に、頭骨有りて其脳髄を囲み守護するなれども、猶其上風熱を防ぐ為に自然備たる毛髪なれば、剃落す道理なし。別して小児の頭は頭骨極弱き故に、剃らず其儘捨置き禿にて育てる事、是天然の道理なり。 一、前条の如く頭は大切なるもの故に、小供を誡むるに頭を打つは甚だわろし。西洋人は小供教に背く時は尻を打つ風なり。尻には大切なるものなくして実によき打ち場なり。 一、痘瘡は百人の内九十九人までは是非とも一度病むべき大病なれども、近年種痘追々開けて斯る大病を遁れるように成りたるは、誠に有がたき一妙事なり。然るに頑固しき愚民は未だ種痘を信ぜずして夫の大病を病ませ、愛かる小児を遂に殺ろし或は盲目禹歩にするもの有り。誠に笑ふ可き事なり。早く種痘するに如ず。 一、此養育法も精しく論ずる時は種々箇条有りて一朝一夕の論に非ず。故に今をもだつたる世間の悪弊を避ぬが為、斯に数条を挙るのみ。

現代語訳

一、産後に座ったまま何日も過ごすのは、これもまた日本の悪い風習で、このために起こる悪いことがいろいろあります。次第にやめるようにしたいものです。ただし、布団の頭のほうを足のほうより少し高くし、全体に少し坂になるように寝床を作り、楽に寝るのは大いによいことです。 一、妊娠中の心得を詳しく話すのは、この一、二枚の紙には載せがたく、かつ普通の女性には守りにくいので、ただその趣旨を挙げるだけです。 一、子供が生まれた後、二、三日の間はマクリを飲ませて母の乳を吸わせない、というのが今までの風習ですが、これはかえって悪いことです。産湯が済んだ後、間もなく母の乳を吸わせるに越したことはありません。そもそも初乳は少し薄く酸味を持ち、ごく穏やかな下剤となるので、生まれた子の便を下すのにちょうどよいもので、これは天然の神が授けてくださった、まことに都合のよいことです。決してマクリなどと言って薬を用いるには及びません。 一、産毛を剃り取るのも、これまた日本の風習ですが、大いに悪いことです。そもそも人の頭は、脳髄という極めて大切なものがあるところですから、頭の骨があって、その脳髄を囲んで守っていますが、さらにその上、風や熱を防ぐために、自然に備わった毛髪なので、剃り落とす道理はありません。特に子供の頭は、頭の骨がきわめて弱いので、剃らずにそのままにしておいて、禿のまま育てることが、天然の道理です。 一、前の条のように、頭は大切なものですから、子供を戒めるのに頭を打つのは、大変悪いことです。西洋人は、子供が教えに背くときは尻を打つ風習です。尻には大切なものがなく、まことによい打ち場です。 一、痘瘡は、百人のうち九十九人までは、どうしても一度は病む大病ですが、近年、種痘が次第に広まって、このような大病を免れるようになったのは、まことにありがたい一つの良い事です。それなのに、頑固で愚かな民は、まだ種痘を信じず、あの大病にかからせて、愛しい子を殺し、あるいは盲目や足の不自由な者にしてしまう者があります。まことに笑うべきことです。早く種痘するに越したことはありません。 一、この養育法も、詳しく論じようとすれば種々の箇条があり、一朝一夕に論じられるものではありません。そこで今は、世間の悪い弊害を避けるために、ここに数条を挙げるだけです。

解説

産後・育児の心得です。初乳を与える、種痘を受けるといった助言は、今日の知見に通じる部分があります。一方で、産毛を剃らない、尻を打って戒めるといった記述は、当時の知識と習慣に基づく主張で、体罰の肯定は現代の感覚では受け入れられません。種痘を拒む人を愚民と呼ぶ言い方や、盲目などの語も、当時の用語・価値観を含み、今日の感覚と異なります。古い習慣を疑い、根拠に基づいて改めるという姿勢は、現代の職場の慣習の見直しにも通じます。

この章句が説くこと

産後初乳種痘風習育児天然の道理

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