福翁自伝 / 品行家風・子供の活動を妨げず
養育法は着物よりも食物の方に心を用い、粗服はさせても滋養物は屹と与えるようにして、九人とも幼少の時から体養に不足はない。又その躾方は温和と活溌とを旨とし、大抵の処までは子供の自由に任せる。例えば風呂の湯を熱くして無理に入れるような事はせず、据風呂の側に大きな水桶を置て、子供の勝手次第に、ぬるくも熱くもさせる。全く自由自在のようなれども、左ればとて食物を勝手に任せて何品でも喰い次第にすると云う訳けではない。又子供の身体の活溌を祈れば室内の装飾などは迚も手に及ばぬ事と覚悟して、障子唐紙を破り諸道具に疵付けても先ず見逃がしにして、大抵な乱暴には大きな声をして叱ることはない。酷く剛情を張るような事があれば、父母の顔色を六かしくして睨む位が頂上で、如何なる場合にも手を下して打たことは一度もない。又親が実子に向ても嫁に接しても、又兄姉が弟妹に対しても名を呼棄にせず、家の中に厳父慈母の区別なく、厳と云えば父母共に厳なり、慈と云えば父母共に慈なり、一家の中は丸で朋友のようで、今でも小さい孫などは、阿母さんはどうかすると怖いけれども、お祖父さんが一番怖くないと云て居る。世間並にすると少し甘いように見えるが、ソレでも私方の孫子に限て別段に我儘でもなし、長少戯れながら長者の真面目に言う事は能く聞て逆う者もないから、余り厳重にせぬ方が利益かと思われる。
書き下し
養育法は着物よりも食物の方に心を用い、粗服はさせても滋養物は屹と与えるようにして、九人とも幼少の時から体養に不足はない。又その躾方は温和と活溌とを旨とし、大抵の処までは子供の自由に任せる。例えば風呂の湯を熱くして無理に入れるような事はせず、据風呂の側に大きな水桶を置て、子供の勝手次第に、ぬるくも熱くもさせる。全く自由自在のようなれども、左ればとて食物を勝手に任せて何品でも喰い次第にすると云う訳けではない。又子供の身体の活溌を祈れば室内の装飾などは迚も手に及ばぬ事と覚悟して、障子唐紙を破り諸道具に疵付けても先ず見逃がしにして、大抵な乱暴には大きな声をして叱ることはない。酷く剛情を張るような事があれば、父母の顔色を六かしくして睨む位が頂上で、如何なる場合にも手を下して打たことは一度もない。又親が実子に向ても嫁に接しても、又兄姉が弟妹に対しても名を呼棄にせず、家の中に厳父慈母の区別なく、厳と云えば父母共に厳なり、慈と云えば父母共に慈なり、一家の中は丸で朋友のようで、今でも小さい孫などは、阿母さんはどうかすると怖いけれども、お祖父さんが一番怖くないと云て居る。世間並にすると少し甘いように見えるが、ソレでも私方の孫子に限て別段に我儘でもなし、長少戯れながら長者の真面目に言う事は能く聞て逆う者もないから、余り厳重にせぬ方が利益かと思われる。
現代語訳
養育法は着物よりも食物のほうに心を用い、粗末な服は着せても滋養物はきっと与えるようにして、九人とも幼少の時から体の養いに不足はありません。またその躾け方は温和と活発を旨とし、たいていのところまでは子供の自由に任せます。たとえば風呂の湯を熱くして無理に入れるようなことはせず、据え風呂のそばに大きな水桶を置いて、子供が勝手次第に、ぬるくも熱くもできるようにしました。まったく自由自在のようですが、だからといって食物を勝手に任せて何でも食い次第にするというわけではありません。また子供の身体の活発を願えば、室内の装飾などはとても手が及ばないことと覚悟して、障子やふすまを破り、諸道具に傷をつけても、まず見逃しにして、たいていの乱暴には大きな声で叱ることはありません。ひどく強情を張るようなことがあれば、父母が顔色を難しくして睨む程度が頂上で、どんな場合にも手を下して打ったことは一度もありません。また親が実子に対しても嫁に接しても、また兄姉が弟妹に対しても、名を呼び捨てにせず、家の中に厳父慈母の区別はなく、厳といえば父母ともに厳であり、慈といえば父母ともに慈で、一家の中はまるで友達のようで、今でも小さい孫などは、お母さんはどうかすると怖いけれども、おじいさんが一番怖くない、と言っています。世間並みにすると少し甘いように見えますが、それでも私の家の孫子に限って特別にわがままでもなく、長少が戯れながら、長者が真面目に言うことはよく聞いて逆らう者もないから、あまり厳重にしないほうが利益かと思われます。
解説
この章句が説くこと
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福翁自伝・品行家風・体育を先にす扨又子供の教育法に就ては、私は専ら身体の方を大事にして、幼少の時から強いて読書などさせない。先ず獣身を成して後に人心を養うと云うのが私の主義であるから、生れて三歳五歳まではいろはの字も見せず、七、八歳にもなれば手習をさせたりさせなかったり、マダ読書はさせない。夫れまでは唯暴れ次第に暴れさせて、唯衣食には能く気を付けて遣り、又子供ながらも卑劣な事をしたり賤しい言葉を真似たりすれば之を咎るのみ、その外は一切投遣りにして自由自在にして置くその有様は、犬猫の子を育てると変わることはない。即ち是れが先ず獣身を成すの法にして、幸に犬猫のように長成して無事無病、八、九歳か十歳にもなればソコで始めて教育の門に入れて、本当に毎日時を定めて修業をさせる。尚おその時にも身体の事は決して等閑にしない。世間の交母は動もすると勉強々々と云て、子供が静にして読書すれば之を賞める者が多いが、私方の子供は読書勉強して遂ぞ賞められたことはないのみか、私は反対に之を止めて居る。小供は既に通り過ぎて今は幼少な孫の世話をして居るが、矢張り同様で、年齢不似合に遠足したとか、柔術体操がエラクなったとか云えば、褒美でも与えて賞めて遣るけれども、本を能く読むと云て賞めたことはない。既に二十年前の事です。長男一太郎と次男捨次郎と両人を帝国大学の予備門に入れて修学させて居た処が兎角胃が悪くなる。ソレから宅に呼返して色々手当すると次第に宜くなる。宜くなるから又入れると又悪くなる。到頭三度入れて三度失敗した。その時には田中不二麿と云う人が文部の長官をして居たから、田中にも毎度話をしました。私方の小供を予備門に入れて実際の実験があるが、文部学校の教授法をこのまゝにして遣て行けば、生徒を殺すに極て居る。殺さなければ気狂いになるか、然らざれば身心共に衰弱して半死半生の片輪者になって仕舞うに違いない。丁度この予備門の修業が三、四年かゝる、その間に大学の法が改まるだろうと思て、ソレを便りに子供を予備門に入れて置くが、早く改正して貰いたい。この儘で置くならば東京大学は少年の健康屠殺場と命名して宜しい。早々教授法を改めて貰いたいと、懇意の間柄で遠慮なく話はしたが、何分埒が明かず、子供は相替らず三ヶ月遣て置けば三ヶ月引かして置かなければならぬと云うような訳けで、何としても予備門の修業に堪えず、私も遂に断念して仕舞うて、夫れから此方の塾(慶應義塾なり)に入れて普通の学科を卒業させて、亜米利加に遣て彼の大学校の世話になりました。私は日本大学の教科を悪いと云うのではない、けれども教育の仕様が余り厳重で、荷物が重過ぎるのを恐れて文部大学を避けたのです。その通りで今でも説は変えない、何としても身体が大事だと思います。
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福翁自伝・品行家風・家に秘密事なし・礼儀足らざるが如し又家の中に秘密事なしと云うのが私方の家風で夫婦親子の間に隠す事はない、ドンな事でも云われないことはない。子供が段々成長して、是れは彼の子に話して此の子には内証なんて、ソンな事は絶えてない。親が子供の不行届を咎めて遣れば、子供も亦親の失策を笑うと云うような次第で、古風な目を以て見ると一寸と尊卑の礼儀がないように見えましょう。 その礼儀の事に就て申せば、家の主人が出入するとき家内の者が玄関まで送迎して御辞儀をすると云うような事が能く世間にあるが、私の処では絶えてソンな事がない。私の外出するには玄関からも出れば台所からも出る。帰るときもその通りで唯足の向た方に這入て来る。或は車に乗て帰て来た時に、車夫又別当共へ、玄関の処で御帰りなんて余計な事を云て呉れるな、と云う訳けであるから、幾ら玄関で怒鳴ても出て来る人はない。その一点になると世間の人じゃない近くは内の御祖母さんが怪んで居ましょう。この老人は土岐家の後室、本年七十七歳、むかしは奥平藩士の奥様で、武家の礼儀作法を大事に勤めた身であるから、今日の福澤の家風を見て、何分不作法で善くない、左ればとて是れが悪いと云う箇条もない、妙な事だと思て居るだろうと、私は窃に推察します。
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福翁自伝・品行家風・妻を娶て九子を生むソレから私方の家事家風を語りましょう。文久元年、旧同藩士の媒妁を以て同藩士族江戸定府土岐太郎八の次女を娶り、是れが今の老妻です。結婚の時私は二十八歳、妻は十七歳、藩制の身分を申せば妻の方は上流士族、私は小士族、少し不釣合のようにあるが、血統は両人共頗る宜しく、往古はイザ知らず、凡そ五世以降双方の家に遺伝病質もなければ忌むべき病に罹りたる先人もなし。妻は無論、私の身に悪疾のあるべきようもなく、夫妻無病。文久三年に生れたのが一太郎、その次は捨次郎と、次第に誕生して四男五女、合して九人の子供になり、幸にして九人とも生れたまゝ皆無事で一人も欠けない。九人の内五人までは母の乳で養い、以下四人は多産の母の身体衛生の為めに乳母を雇うて育てました。
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福翁自伝・品行家風・子女の間に軽重なしソレから又私に九人の子供があるが、その九人の中に軽重愛憎と云うことは真実一寸ともない。又四男五女のその男の子と女の子と違いのあられよう訳けもない。世間では男子が生れると大造目出度がり、女の子でも無病なれば先ず/\目出度いなんて、自から軽重があるようだが、コンな馬鹿気た事はない。娘の子なれば何が悪いか、私は九人の子がみんな娘だって少しも残念と思わぬ。唯今日では男の子が四人、女の子が五人、宜い塩梅に振分けになってると思うばかり、男女長少、腹の底から之を愛して兎の毛ほども分隔てはない。道徳学者は動もすると世界中の人を相手にして一視同仁なんて大きな事を云てるではないか。況して自分の生んだ子供の取扱いに、一視同仁が出来ぬと云うような浅ましい事があられるものか。唯私の考に、総領もその他の子供も同じとは云いながら、私が死ねば総領が相続する、相続すれば自から中心になるから、財産を分配するにも、外の子に比較して一段手厚くして、又何か物があって、兄弟中誰にも遣りようがない、唯一つしかないと云うような物は、総領の一太郎が取て宜かろうと云うくらいな事で、その外には何も変ることはない。例えば斯う云う事がある。明治十四、五年の頃、月日は忘れたが、私が日本橋の知る人の家に行て見ると、その座敷に金屏風だの蒔絵だの花活だのゴテ/\一杯に列べてある。コリャ何だと聞て見れば、亜米利加に輸出する品だと云う。夫れから私が不図した出来心で、この品を一目見渡して私の欲しいものは一品でもない、皆不用品だが、又入用と云えば一品も残さず皆入用だ、兎に角に之を亜米利加に積出して幾らの金になれば宜いのかソレは知らぬけれども、売ると云えば皆買うが如何だ、買たからと云てソレを又儲けて売ろうと云うのではない、家に仕舞込んで置くのだと云うと、その主人も唯の素町人でない、成程爾うだな、コリャ名古屋から来た物であるが、亜米利加に遣て仕舞えば是れ丈けの品がなくなる、お前さんの処に遣れば失くならずにあるから売りましょう、ソンなら皆買うと云て、二千二、三百円かで、何百品あるか碌に品も見ないで皆買て仕舞たが、夫れから私がその品を見て楽むではなし、品柄も能く知らず数も覚えず、唯邪魔になるばかりだから、五、六年前の事でした、九人の小供に分けて取て仕舞えと申して、小供がワイ/\寄て、その品を九に分けて、ソレを籤で取て、今では皆小供が銘々に引受けて、家を持て居る者は家に持て行く者もあり、マダ私のところの土蔵の中に入れてあるのもある、と云うのが凡そ私の財産分配法で、如何にもその子に厚薄と云うものは一寸ともないのですから、小供の中に不平があろうたッて有られた訳けのものでないと思て居ます。
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福翁自伝・幼少の時・厳ならずして家風正し今申す通り私共の兄弟は、幼少のとき中津の人と言語風俗を殊にして、他人の知らぬ処に随分淋しい思いをしましたが、その淋しい間にも家風は至極正しい。厳重な父があるでもないが、母子睦じく暮して兄弟喧嘩など唯の一度もしたことがない。のみか、仮初にも俗な卑陋な事はしられないものだと育てられて、別段に教える者もない、母も決して喧しい六かしい人でないのに、自然に爾うなったのは、矢張り父の遺風と母の感化力でしょう。その事実に現われたことを申せば、鳴物などの一条で、三味線とか何とか云うものを、聞こうとも思わなければ何とも思わぬ。斯様なものは全体私なんぞの聞くべきものでない、矧や玩ぶべき者でないと云う考を持て居るから、遂ぞ芝居見物など念頭に浮んだこともない。例えば、夏になると中津に芝居がある。祭の時には七日も芝居を興行して、田舎役者が芸をするその時には、藩から布令が出る。芝居は何日の間あるが、藩士たるものは決して立寄ることは相成らぬ、住吉の社の石垣より以外に行くことならぬと云うその布令の文面は、甚だ厳重なようにあるが、唯一片の御布令だけの事であるから、俗士族は脇差を一本挟して頬冠りをして颯々と芝居の矢来を破て這入る。若しそれを咎めれば却て叱り飛ばすと云うから、誰も怖がって咎める者はない。町の者は金を払て行くに、士族は忍姿で却て威張て只這入て観る。然るに中以下俗士族の多い中で、その芝居に行かぬのは凡そ私のところ一軒位でしょう。決して行かない。此処から先きは行くことはならぬと云えば、一足でも行かぬ、どんな事があっても。私の母は女ながらも遂ぞ一口でも芝居の事を子供に云わず、兄も亦行こうと云わず、家内中一寸でも話がない。夏、暑い時の事であるから凉には行く。併しその近くで芝居をして居るからと云て見ようともしない、どんな芝居を遣て居るとも噂にもしない、平気で居ると云うような家風でした。
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『論語と算盤』教育と情誼・孝は強ふべきものに非ず父がかかる思想をもって私に対して下されたため、自然その感化を受けたものか、私も私の子に対しては父と同じような態度をもって臨むことにしている。私がかく申すと少しおこがましくはあるが、いずれかと言えば、父よりも多少優れた所があったので、父と全く行動を異にし、父と違った所があって、父のごとくになり得なかったのである。私の子女等は将来いかなるものか、もとより神ならぬ私の断言し得る限りでないが、今の所では、とにかく、私と違った所がある。この方は、私と父とが違った違い方と反対で、いずれかと申せば劣る方である。しかしかく私と違うのを責めて、私の思う通りになれよ、と子女等に強いて試みたところで、それはかく注文して強いる私の方が無理である。私の通りになれよ、と私に強いられても、私のようになれぬ子女は、どうしても成れぬはずのものである。しかるになお強いて、子女等をすべて私の思う通りにしようとすれば、子女等は私の思う通りになり得ぬだけのことで、不孝の子になってしまわねばならぬ。私の思う通りにならぬからとて、子女等を不孝の子にしてしまうのは忍ぶべからざる事である。
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