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福翁自伝 / 始めて亜米利加に渡る・銀貨狼藉

扨それから船が出てずっと北の方に乗出した。その咸臨丸と云うのは百馬力の船であるから、航府中、始終石炭を焚くと云うことは出来ない。只港を出るとき這入るときに焚く丈けで、沖に出れば丸で帆前船、と云うのは石炭が積まれますまい、石炭がなければ帆で行かなければならぬ。その帆前船に乗て太平海を渡るのであるから、それは/\毎日の暴風で、艀船が四艘あったが激浪の為めに二艘取られて仕舞うた。その時は私は艦長の家来であるから、艦長の為めに始終左右の用を弁じて居た。艦長は船の艫の方の部屋に居るので、或る日、朝起きていつもの通り用を弁じましょうと思て艫の部屋に行た、所がその部屋に弗が何百枚か何千枚か知れぬ程散乱して居る。如何したのかと思うと、前夜の大嵐で、袋に入れて押入の中に積上げてあった弗、定めし錠も卸してあったに違いないが、劇しい船の動揺で、弗の袋が戸を押破て外に散乱したものと見える。是れは大変な事と思て、直に引返して舳の方に居る公用方の吉岡勇平にその次第を告げると、同人も大に驚き、場所に駈付け、私も加勢してその弗を拾集めて袋に入れて元の通り戸棚に入れたことがあるが、元来船中にこんな事の起るその次第は、当時外国為替と云う事に就て一寸とも考えがないので、旅をすれば金が要る、金が要れば金を持て行くと云う極簡単な話で、何万弗だか知れない弗を、袋などに入れて艦長の部屋に蔵めて置たその金が、嵐の為めに溢れ出たと云うような奇談を生じたのである。夫れでも大抵四十年前の事情が分りましょう。今ならば一向訳けはない。為替で一寸と送て遣れば、何も正金を船に積で行く必要はないが、商売思想のない昔の武家は大抵こんなものである。航海中は毎日の嵐で、始終船中に波を打上げる。今でも私は覚えて居るが、甲板の下に居ると上に四角な窓があるので、船が傾くとその窓から大洋の立浪が能く見える。それは大層な波で、船体が三十七、八度傾くと云うことは毎度の事であった。四十五度傾くと沈むと云うけれども、幸に大きな災もなく只その航路を進で行く。進で行く中に、何も見えるものはないその中で以て、一度帆前船に遇うたことがあった。ソレは亜米利加の船で、支那人を乗せて行くのだと云うその船を一艘見た切り、外には何も見ない。

書き下し

扨それから船が出てずっと北の方に乗出した。その咸臨丸と云うのは百馬力の船であるから、航府中、始終石炭を焚くと云うことは出来ない。只港を出るとき這入るときに焚く丈けで、沖に出れば丸で帆前船、と云うのは石炭が積まれますまい、石炭がなければ帆で行かなければならぬ。その帆前船に乗て太平海を渡るのであるから、それは/\毎日の暴風で、艀船が四艘あったが激浪の為めに二艘取られて仕舞うた。その時は私は艦長の家来であるから、艦長の為めに始終左右の用を弁じて居た。艦長は船の艫の方の部屋に居るので、或る日、朝起きていつもの通り用を弁じましょうと思て艫の部屋に行た、所がその部屋に弗が何百枚か何千枚か知れぬ程散乱して居る。如何したのかと思うと、前夜の大嵐で、袋に入れて押入の中に積上げてあった弗、定めし錠も卸してあったに違いないが、劇しい船の動揺で、弗の袋が戸を押破て外に散乱したものと見える。是れは大変な事と思て、直に引返して舳の方に居る公用方の吉岡勇平にその次第を告げると、同人も大に驚き、場所に駈付け、私も加勢してその弗を拾集めて袋に入れて元の通り戸棚に入れたことがあるが、元来船中にこんな事の起るその次第は、当時外国為替と云う事に就て一寸とも考えがないので、旅をすれば金が要る、金が要れば金を持て行くと云う極簡単な話で、何万弗だか知れない弗を、袋などに入れて艦長の部屋に蔵めて置たその金が、嵐の為めに溢れ出たと云うような奇談を生じたのである。夫れでも大抵四十年前の事情が分りましょう。今ならば一向訳けはない。為替で一寸と送て遣れば、何も正金を船に積で行く必要はないが、商売思想のない昔の武家は大抵こんなものである。航海中は毎日の嵐で、始終船中に波を打上げる。今でも私は覚えて居るが、甲板の下に居ると上に四角な窓があるので、船が傾くとその窓から大洋の立浪が能く見える。それは大層な波で、船体が三十七、八度傾くと云うことは毎度の事であった。四十五度傾くと沈むと云うけれども、幸に大きな災もなく只その航路を進で行く。進で行く中に、何も見えるものはないその中で以て、一度帆前船に遇うたことがあった。ソレは亜米利加の船で、支那人を乗せて行くのだと云うその船を一艘見た切り、外には何も見ない。

現代語訳

さて、それから船が出て、ずっと北の方へ乗り出しました。咸臨丸は百馬力の船ですから、航海中ずっと石炭を焚くことはできません。ただ港を出るときと入るときに焚くだけで、沖に出ればまるで帆船です。というのは石炭を積みきれないからで、石炭がなければ帆で行くほかありません。その帆船で太平洋を渡るのですから、それはそれは毎日の暴風で、艀船が四艘あったのが、激しい波のために二艘取られてしまいました。そのとき私は艦長の家来でしたから、艦長のためにいつも身の回りの用をしていました。艦長は船の艫のほうの部屋にいるので、ある日、朝起きて、いつものとおり用を足しましょうと思って艫の部屋に行ったところ、その部屋にドルが何百枚か何千枚か分からないほど散乱しています。どうしたのかと思うと、前の晩の大嵐で、袋に入れて押入れの中に積み上げてあったドルが、さぞ錠も下ろしてあったに違いないのですが、激しい船の揺れで、ドルの袋が戸を押し破って外に散らばったものと見えます。これは大変なことだと思って、すぐ引き返し、舳のほうにいる公用方の吉岡勇平にそのしだいを告げると、本人も大いに驚き、現場に駆けつけ、私も手伝ってそのドルを拾い集めて袋に入れ、元のとおり戸棚に入れたことがあります。 そもそも船中にこんなことが起きたわけは、当時、外国為替ということについてまったく考えがなく、旅をすれば金が要る、金が要れば金を持って行く、という極めて簡単な話で、何万ドルか分からないドルを袋などに入れて艦長の部屋にしまっておいたところ、その金が嵐のためにあふれ出たという奇談が生じたのです。それでも、おおよそ四十年前の事情が分かるでしょう。今ならば何の造作もない。為替で送ってやれば、現金を船に積んで行く必要はありませんが、商売の考えのなかった昔の武家は、だいたいこんなものでした。航海中は毎日の嵐で、いつも船中に波が打ち上げます。今でも覚えていますが、甲板の下にいると上に四角い窓があって、船が傾くとその窓から大洋の立ち波がよく見えます。それは大変な波で、船体が三十七、八度傾くことはたびたびでした。四十五度傾くと沈むといわれますが、幸い大きな災難もなく、ただその航路を進んでいきます。進んでいくうちに、何も見えるもののない中で、一度だけ帆船に出会ったことがありました。それはアメリカの船で、中国人を乗せて行くのだというその船を一艘見ただけで、ほかには何も見ませんでした。

解説

嵐の翌朝、艦長室にドルが散乱していた場面は、福沢の観察が光ります。艦長が何万ドルもの現金を袋に入れて船に積んでいたのは、当時の日本に外国為替の考えがなかったからだと、彼は理由まで分析しています。武家に商売の思想がなかったという一言は、福沢の関心がのちの経済・実学へ向かう伏線でもあります。四十年を経て語るこの口調は、失敗談を笑い話にしながら、制度の未整備という本質を指摘しています。現代では送金も決済もインフラが肩代わりしますが、それが当たり前でなかった時代の不便が、仕組みの価値を教えてくれます。

この章句が説くこと

太平洋暴風ドル外国為替武家商売思想

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