風憲忠告 / 審錄苐五
書曰:「庶獄庶慎。」又曰:「非佞折獄,惟良折獄。」易謂:「君子眀慎用刑,而不留獄。」嗚呼,于以見聖人好生之心,與天地等矣。夫飢寒切身,自非深知義理之人,不敢保其心之無他,况蚩蚩之氓,為守牧者教飬之不至,窮而為盜,是豈得巳哉?古人有以灼其然,故為制也,恒寬而不亟促,恒哀矜而不忿疾。均之為盜也,而有長幼疏戚之分;均之為姦也,而有夫亡夫在之殊。有疾則毉藥之,疾革則釋梏,入人而侍之。夫彼冥迷凶險之徒,既麗於理矣,何足綴意?而古人為制如此者,則其仁恕忠厚之情可見矣。昔歐陽公父治死囚之獄,求其生而不得,則掩卷而嘆,其言曰:「夫常求其生,猶失之死,况世常求其死哉。」后之殘忍者,一切不務,而惟威刑之尚,謂其無茹冤而死者,吾不信也。夫蒞官之法,無他,口威心善而已矣。口威則欲其事集,心善則不欲輕易害物。况久繫之囚,尤當示以慈祥,召之稍前,易其舊所隸卒吏,溫以善色,使自陳顛末,情無所疑,然後參之以按。若據按以求其情,鮮有不誤人者,盖州縣無良吏,所以不敢信其己具之文,毫釐或差,生死攸繫。故聖人謂:「與其殺不辜,寧失不經。」又曰:「功疑惟重,罪疑惟輕。」論囚之道,盡於此矣,君子其慎諸。
新字:書曰:「庶獄庶慎。」又曰:「非佞折獄,惟良折獄。」易謂:「君子明慎用刑,而不留獄。」嗚呼,于以見聖人好生之心,与天地等矣。夫飢寒切身,自非深知義理之人,不敢保其心之無他,況蚩蚩之氓,為守牧者教飬之不至,窮而為盗,是豈得巳哉?古人有以灼其然,故為制也,恒寛而不亟促,恒哀矜而不忿疾。均之為盗也,而有長幼疏戚之分;均之為姦也,而有夫亡夫在之殊。有疾則毉薬之,疾革則釈梏,入人而侍之。夫彼冥迷凶険之徒,既麗於理矣,何足綴意?而古人為制如此者,則其仁恕忠厚之情可見矣。昔欧陽公父治死囚之獄,求其生而不得,則掩巻而嘆,其言曰:「夫常求其生,猶失之死,況世常求其死哉。」后之残忍者,一切不務,而惟威刑之尚,謂其無茹冤而死者,吾不信也。夫蒞官之法,無他,口威心善而已矣。口威則欲其事集,心善則不欲軽易害物。況久繋之囚,尤当示以慈祥,召之稍前,易其旧所隸卒吏,温以善色,使自陳顛末,情無所疑,然後参之以按。若拠按以求其情,鮮有不誤人者,盖州県無良吏,所以不敢信其己具之文,毫釐或差,生死攸繋。故聖人謂:「与其殺不辜,寧失不経。」又曰:「功疑惟重,罪疑惟軽。」論囚之道,尽於此矣,君子其慎諸。
書き下し
書に曰わく、「庶獄庶慎」と。又曰わく、「佞に非ずして獄を折(さだ)む、惟れ良にして獄を折む」と。易に謂う、「君子は明慎に刑を用いて、獄を留めず」と。嗚呼、ここに於て聖人の生を好むの心、天地と等しきを見る。夫れ飢寒身に切なれば、深く義理を知るの人に非ざるよりは、敢えてその心の他無きを保せず。況んや蚩蚩(しし)の氓(たみ)、守牧為る者の教飬(きょうよう)至らずして、窮して盗を為すをや。是れ豈に已むを得んや。古人その然るを灼(あき)らかにする有り、故に制を為すや、恒に寛にして亟促(きょくそく)せず、恒に哀矜(あいきょう)して忿疾(ふんしつ)せず。これを均(ひと)しく盗と為すも、長幼疏戚の分有り。これを均しく姦と為すも、夫の亡ぶると夫の在るとの殊有り。疾有れば則ちこれを毉薬(いやく)し、疾革(あらた)まれば則ち梏(こく)を釈(と)き、人を入れてこれに侍せしむ。夫れ彼の冥迷凶険の徒、既に理に麗(かか)れり、何ぞ意を綴(つづ)るに足らんや。而して古人の制を為すこと此くの如きは、則ちその仁恕忠厚の情見るべし。昔欧陽公の父、死囚の獄を治め、その生を求めて得ざれば、則ち巻を掩(おお)いて嘆ず。其の言に曰わく、「夫れ常にその生を求むるすら、猶おこれを死に失う、況んや世常にその死を求むるをや」と。后の残忍なる者、一切務めずして、惟だ威刑をこれ尚(たっと)び、其の冤を茹(くら)いて死する者無しと謂うは、吾信ぜざるなり。夫れ官に蒞(のぞ)むの法、他無し、口は威にして心は善なるのみ。口威なれば則ちその事の集(な)らんことを欲し、心善なれば則ち軽易(けいい)に物を害せんことを欲せず。況んや久しく繋(つな)がるるの囚(しゅう)は、尤も当に慈祥を以て示すべし。これを召して稍(やや)前ならしめ、その旧に隷(したが)う所の卒吏を易(か)え、温にして善色を以てし、自らその顛末を陳べしめて、情疑う所無く、然る後にこれに参ずるに按を以てす。若し按に拠りて其の情を求むれば、人を誤らざる者鮮(すく)なし。蓋し州県に良吏無ければ、以て其の己に具うる所の文を敢えて信ぜざる所以なり。毫釐(ごうり)或いは差(たが)えば、生死の攸(かか)る繋(かか)る所なり。故に聖人謂う、「其の不辜(ふこ)を殺さんよりは、寧ろ不経を失え」と。又曰わく、「功疑わしきは惟れ重くし、罪疑わしきは惟れ軽くせよ」と。囚を論ずるの道、此に尽くせり。君子それ諸(これ)を慎めや。
現代語訳
『書経』は言う、「もろもろの訴訟、もろもろの慎むべきこと」と。また言う、「へつらう者ではなく、良き人物が裁判を行うべきである」と。『易経』は言う、「君子は明らかに慎んで刑罰を用い、訴訟を長引かせない」と。ああ、ここに聖人の生を大切にする心が、天地の心と等しいことがわかる。そもそも人は飢えと寒さが身に迫れば、深く道理をわきまえた人でなければ、その心に邪念がないとは保証できない。まして無知な民衆が、これを治め養う者の教化が行き届かないために、困窮して盗みを働くのは、いったいやむを得ないことではないか。昔の人はこの道理を明らかに見抜いていたので、法制を定めるにあたって、常に寛大で性急にならず、常に哀れみ憐れんで怒り憎まなかった。同じく盗みであっても、年齢や親疎の違いによって扱いを分け、同じく姦通であっても、夫が生きているか亡くなっているかで扱いを異にした。病気があれば薬を与えて治療し、病が重篤になれば手枷足枷を外し、人をつけて看病させた。あの道理に暗く凶悪な者たちでさえ、すでに法の裁きを受けているのだから、それ以上に情けをかける必要はないと思うかもしれない。しかし昔の人がこのように制度を定めたことに、その仁愛・思いやり・誠実さの心が見て取れる。昔、欧陽脩の父が死刑囚の裁判を担当し、その者を生かす道を求めても見出せなければ、記録を閉じてため息をついた。その言葉にこうある。「常にその者を生かす道を求めてさえ、なお死なせてしまうことがあるのに、まして世間の役人が常にその者を死なせる道ばかり求めるとしたらどうなることか」と。後世の残酷な役人は、こうした努力を一切せず、ただ威圧的な刑罰だけを重んじ、それでも冤罪を抱いたまま死ぬ者はいないと言うが、私はそれを信じない。そもそも官職に就く際の心得は、他でもない、「口は威厳をもって、心は善良に」ということに尽きる。口に威厳があれば物事がうまく運び、心が善良であれば軽々しく人を傷つけようとはしない。まして長く牢に繋がれた囚人には、なおのこと慈しみ深い態度を示すべきである。彼を呼び出してやや前に進ませ、これまで担当していた獄卒や役人を替え、穏やかで優しい顔つきで接し、自ら事の顛末を語らせて、事情に疑わしい点をなくし、その後に文書記録と照らし合わせるべきである。もし文書記録だけに頼って事情を求めれば、人を誤らせないことはまずない。それは、州県に良吏が少なく、自分たちの作成した文書をそのまま信じてよいか確信が持てないからである。わずかな食い違いが、人の生死に関わるのである。だから聖人は言う、「罪のない者を殺すよりは、むしろ通常の法を外れてでも軽くする過ちを犯せ」と。また言う、「功績に疑わしい点があれば手厚く評価し、罪に疑わしい点があれば軽く扱え」と。囚人を裁く道は、これに尽きる。君子たる者は、これを慎むべきである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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貞観政要・公平凡そ獄を理むるの情は、必ず犯す所の事に本づきて以て主と為す。敢えて訊せず、旁ら求めず、多端を貴びて、以て聡明を見(あら)わさず。故に律は其の挙劾の法を正し、其の辞を参伍す。実を求むる所以なり。実を飾る所以に非ず。但だ当に参伍して明らかに之を聴くべきのみ。獄吏をして鍛煉し理を飾り辞を手に成さしめず。孔子曰く、「古の獄を聴くは、之を生かす所以を求むるなり。今の獄を聴くは、之を殺す所以を求むるなり」と。故に言を析(さ)きて以て律を破り、案に任せて以て法を成し、左道を執りて以て必ず加うるなり。又た『淮南子』に曰く、「灃水の深きこと十仞。金鉄焉(ここ)に在らば、則ち形は外に見る。深く且つ清からざるに非ず。而れども魚鼈の之に帰する莫きなり」と。故に為す者は苛を以て察と為し、功を以て明と為し、下を刻するを以て忠と為し、訐(あば)くこと多きを以て功と為す。譬うれば猶お革を広ぐるがごとし。大なれば則ち大なり。裂くるの道なり。夫れ賞は宜しく重きに従うべく、罰は宜しく軽きに従うべし。君は其の厚きに居る。百王の通制なり。刑の軽重、恩の厚薄、思わるると疾(にく)まるると、其れ同日に言うべけんや。且つ法は国の権衡なり。時の準縄なり。権衡は軽重を定むる所以、準縄は曲直を正す所以なり。今、法を作るには其の寛平なるを貴び、人を罪するには其の厳酷なるを欲す。喜怒に志を肆(ほしいまま)にし、高下は心に在り。是れ則ち準縄を舎(す)てて以て曲直を正し、権衡を棄てて軽重を定むる者なり。亦た惑わずや。諸葛孔明は、小国の相なり。猶お曰く、「吾が心は秤の如し。人の為に軽重を作す能わず」と。況んや万乗の主、封ずべきの日に当たりて、心に任せて法を棄て、怨みを人に取るべけんや。
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牧民忠告・慎獄人の良(たみ)、孰(たれ)か盜を為さんと願わんや、長民(ちょうみん)する者教養を失うに由り、凍喂(とうい)の極み、遂に此に至る、要(かなら)ずしも其の已むを得ざるに非ざるなり。嘗(かつ)て潛(ひそ)かに其の然るを體(たい)するに、父を飢えしめ母を寒からしめ、妻子慍見(うんけん)し、徵負(ちょうふ)旁午(ぼうご)し、疹疫(しんえき)交(こもごも)攻め、萬死一生、朝(あした)に暮(ゆうべ)に逮(およ)ばず、斯(こ)の時に於いてや、利を見て回(かえ)らざる者、能(よ)く幾何人(いくばくにん)ぞ。其れ或いは因りて攘竊(じょうせつ)すれば、其の情を原(たず)ねずして、輒(すなわ)ち諸(これ)を理に置き、笞(ち)に嬰(かか)り木に關(か)くれば、彼固(もと)より辭無しと雖も、然れども百需(ひゃくじゅ)身に叢(あつま)る、孰(たれ)か其の獲已(えむこと)ずんばあらざるを明らかにせんや。古人謂う、「上其の道を失えば、民散じて久し。如(も)し其の情を得れば、則ち哀矜(あいきょう)して喜ぶこと勿(な)かれ」と。嗚呼、人能く是(こ)を以て囚を論ずれば、慘酷ならんと欲すと雖も、亦た必ず忍びざる所有らん。
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『塩鉄論』刑德篇文學曰く、詩に云う、「周道は砥の如く、其の直きこと矢の如し」と。其の易きを言うなり。「君子の履む所、小人の視る所」と。其の明らかなるを言うなり。故に德明らかにして從い易く、法約にして行い易し。今、馳道は陵陸を經營し、天下を紆周す。是を以て萬里を民の阱と為すなり。罻羅張られて其の谷に縣り、辟陷設けられて其の蹊に當たり、矰弋飾られて其の上に加わる。能く離るる勿からんや。其の欲する所を聚め、其の利する所を開き、仁義陵遲すれば、能く踰ゆる勿からんや。故に其の末途、城を攻め邑に入り、府庫の金を損い、宗廟の器を盜むに至る。豈に特だ千仞の高き、千鈞の重きのみならんや。管子曰く、「四維張らざれば、臯陶と雖も士と為る能わず」と。故に德教廢れて詐偽行われ、禮義壞れて奸邪興る。仁義無きを言うなり。仁は、愛の效なり。義は、事の宜しきなり。故に君子は仁を愛して以て物に及ぼし、近きを治めて以て遠きに及ぼす。傳に曰く、「凡そ生の物、人より貴きは莫し。人主の貴ぶ所、人より重きは莫し」と。故に天の萬物を生ずるは以て人に奉ずるなり。主の人を愛するは以て天に順うなり。六畜禽獸を以て人を養うと聞くも、未だ養う所を以て人を害するを聞かざるなり。魯の廄焚けて、孔子朝を罷め、人を問いて馬を問わず。畜を賤しみて人を重んずればなり。今、馬を盜む者は罪死し、牛を盜む者は加う。車馬に乘騎して馳道の中を行き、吏舉げ苛めて止まざれば、以て馬を盜むと為して、罪も亦た死す。今、人を傷つけて其の刀劍を持ちて亡ぐるは、亦た武庫の兵を盜みて之を殺すと謂う可きか。人主法を立てて民之を犯すは、亦た以て逆と為して主の約を輕んずと為す可きか。之を深くすれば以て死す可く、之を輕くすれば以て免る可し。法禁の意に非ざるなり。法は、人情に緣りて制す。罪を設けて以て人を陷るるに非ざるなり。故に春秋の獄を治むるや、心を論じて罪を定む。誌善にして法に違う者は免れ、誌惡にして法に合う者は誅せらる。今、人を傷つけて未だ害する所有らず、誌甚だしくは惡ならずして法に合う者は、盜みて人を傷つくる者と謂わんや。將た法を執る者の過ちなるか。何ぞ人心に厭かざるや。古者、人を傷つけて創有る者は刑し、盜みて臧有る者は罰し、人を殺す者は死す。今、人の兵刃を取りて以て人を傷つけ、罪は人を殺すと同じきは、其の至意に非ざるを得る無からんや。
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牧民忠告・慎獄獄に在るの囚は、吏案(りあん)成ると雖も、猶お當に詳讞(しょうげん)すべきなり。若し酷吏鍛煉して成す者ならば、之を讞すと雖も、囚敢えて辭を異にせず。須(すべか)らく盡(ことごと)く吏卒を闢(しりぞ)け、顏を和らげ氣を易(やわ)らげ、誠心を開きて以て之を感ぜしめ、或いは忠厚なる獄卒をして款曲(かんきょく)に其の情を以て之を問わしむべし。如(も)し其の寃(えん)を得ば、立ちどころに辨白を為せ、徒(いたず)らに吏文に拘閡(こうがい)すべからざるなり。噫(ああ)、奸吏文無くんば、何の至らざる所ぞ。
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牧民忠告・慎獄天地の德を好生(こうせい)と曰う、聖元之を體し、以て天下を有(たも)つ。諸(もろもろ)の縲紲(るいせつ)に在りて家無き者は、皆之に糧を給す、惟だ縣獄のみ給せず。意うに縣は奭(まさ)に報を待つの官府にして、故に令(ここ)に略(ほぼ)其の然るを詰(ただ)し、之を州に上(のぼ)せしむ。比(このごろ)州為(た)る者を見るに、往往にして吏の欺く所と為り、吹求(すいきゅう)して受けず、以て縣獄に瘐死(ゆし)するに致る。夫れ罪死に至らずして、己が私を以て之を繆殺(びゅうさつ)す、不仁甚だし。州若(も)しくは府為る者、尚(ねが)わくは深く之を戒めよ。
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『塩鉄論』後刑篇賢良曰く、古者、教を篤くして以て民を導き、辟を明らかにして以て刑を正す。刑の治に於けるは、猶お策の禦に於けるがごときなり。良工は策無くして禦する能わざるも、策有りて用うる勿し。聖人は法を假りて以て教を成し、教成りて刑施されず。故に威は厲しくして殺さず、刑は設けて犯されず。今、其の紀綱を廢して張る能わず、其の禮義を壞りて防ぐ能わず。民は網に陷り、從いて之を獵るに刑を以てす、是れ猶お其の闌牢を開きて、發つに毒矢を以てするがごときなり、盡きざれば止まず。曾子曰く、『上其の道を失いて、民散ずること久し。如し其の情を得ば、即ち哀矜して喜ぶ勿かれ』と。夫れ民の治まらざるを傷まずして、己の能く奸を得るを伐るは、猶お弋者の鳥獸の罻羅に掛かるを睹て喜ぶがごときなり。今、天下の誅を被る者、必ずしも管・蔡の邪、鄧皙の偽有らず、恐らくは苗盡きて別かたず、民欺かれて治まらざらんことを。孔子曰く、『人にして不仁なる、之を疾むこと已甚だしきは、亂なり』と。故に民亂るれば之を政に反し、政亂るれば之を身に反す、身正しくして天下定まる。是を以て君子は善を嘉して不能を矜れみ、恩は刑人に及び、德は窮夫を潤し、惠を施して悅ばしく、刑を行いて樂しまざるなり。