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牧民忠告 / 慎獄

人之良,孰願為盜也,由長民者失於教養,凍喂之極,遂至於此,要非其得已也。嘗潛體其然,使父飢母寒,妻子慍見,徵負旁午,疹疫交攻,萬死一生,朝不逮暮,於斯時也,見利而不回者,能幾何人?其或因而攘竊,不原其情,輒置諸理,嬰笞關木,彼固無辭,然百需叢身,孰明其不獲已哉!古人謂:「上失其道,民散久矣。如得其情,則哀矜而勿喜。」嗚呼!人能以是論囚,雖欲慘酷,亦必有所不忍矣。

新字:人之良,孰願為盗也,由長民者失於教養,凍喂之極,遂至於此,要非其得已也。嘗潜体其然,使父飢母寒,妻子慍見,徴負旁午,疹疫交攻,万死一生,朝不逮暮,於斯時也,見利而不回者,能幾何人?其或因而攘竊,不原其情,輒置諸理,嬰笞関木,彼固無辞,然百需叢身,孰明其不獲已哉!古人謂:「上失其道,民散久矣。如得其情,則哀矜而勿喜。」嗚呼!人能以是論囚,雖欲惨酷,亦必有所不忍矣。

書き下し

人の良(たみ)、孰(たれ)か盜を為さんと願わんや、長民(ちょうみん)する者教養を失うに由り、凍喂(とうい)の極み、遂に此に至る、要(かなら)ずしも其の已むを得ざるに非ざるなり。嘗(かつ)て潛(ひそ)かに其の然るを體(たい)するに、父を飢えしめ母を寒からしめ、妻子慍見(うんけん)し、徵負(ちょうふ)旁午(ぼうご)し、疹疫(しんえき)交(こもごも)攻め、萬死一生、朝(あした)に暮(ゆうべ)に逮(およ)ばず、斯(こ)の時に於いてや、利を見て回(かえ)らざる者、能(よ)く幾何人(いくばくにん)ぞ。其れ或いは因りて攘竊(じょうせつ)すれば、其の情を原(たず)ねずして、輒(すなわ)ち諸(これ)を理に置き、笞(ち)に嬰(かか)り木に關(か)くれば、彼固(もと)より辭無しと雖も、然れども百需(ひゃくじゅ)身に叢(あつま)る、孰(たれ)か其の獲已(えむこと)ずんばあらざるを明らかにせんや。古人謂う、「上其の道を失えば、民散じて久し。如(も)し其の情を得れば、則ち哀矜(あいきょう)して喜ぶこと勿(な)かれ」と。嗚呼、人能く是(こ)を以て囚を論ずれば、慘酷ならんと欲すと雖も、亦た必ず忍びざる所有らん。

現代語訳

善良な民が、誰が好んで盗みを働きたいと願うだろうか。民を治める者が教育と扶養の責任を果たさないために、飢えと寒さの極みに至り、ついにそうなってしまうのであり、必ずしも本人がどうしようもなくそうしたわけではない。かつて密かにその実情を思い巡らせたことがある。父は飢え母は凍え、妻子は不満の色を見せ、租税の督促がひっきりなしに来て、病気が次々と襲いかかり、生死の境をさまよい、朝の食にも夕の食にもありつけない。このようなとき、目の前の利益を前にして手を出さずにいられる者が、いったいどれほどいるだろうか。それでも盗みを働いた者を、事情を尋ねもせずにすぐ法に照らし、鞭打ち枷にかければ、本人はもとより弁解のしようもないが、しかし様々な困窮が身に集まっていることを、誰がやむを得なかったのだと明らかにしてやれるだろうか。昔の人は言う、「上が道を失えば、民は離散して久しくなる。もし実情がわかれば、憐れんで喜んではならない」と。ああ、人がこのような心をもって囚人を裁くならば、たとえ厳しく罰しようとしても、必ず忍びない気持ちが生まれるはずである。

解説

「存恕」は、犯罪者を裁く前に、その犯罪に至った窮状への想像力を持てと説く一条である。張養浩は、飢えや病、税の取り立てに追われる極限状況を具体的に描写し、盗みに走る者の多くは為政者の教養不足が招いた結果だと指摘する。裁く側に求められるのは「哀矜勿喜」、すなわち実情を理解した上で憐れみこそすれ、断罪を喜ぶべきではないという態度である。これは処罰を軽視する話ではなく、処罰の前提として相手の立場を理解する想像力こそが公正な裁きの基礎になるという主張である。現代の管理職にとっても、部下や関係者の失敗を責める前に、その背景にある構造的な要因を理解しようとする姿勢が、真に公正な対応を可能にする。

この章句が説くこと

存恕哀矜勿喜想像力公正

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