不動智神妙録 / 求放心と心要放
物に心が染み止るによつて染ますな止らすな、我身へ求め返せと云ふは、初心稽古の位なり、蓮の泥に染まぬが如くなれ、泥にありても苦しからず、よく磨きたる水晶の玉は泥の內に入つても染まぬやうに心をなして、行き度き所にやれ、心を引きつめては不自由なるぞ、心を引きしめて置くも、初心の時の事よ、一期其分では、上段は終に取られずして下段にて果つるなり、
新字:物に心が染み止るによつて染ますな止らすな、我身へ求め返せと云ふは、初心稽古の位なり、蓮の泥に染まぬが如くなれ、泥にありても苦しからず、よく磨きたる水晶の玉は泥の内に入つても染まぬやうに心をなして、行き度き所にやれ、心を引きつめては不自由なるぞ、心を引きしめて置くも、初心の時の事よ、一期其分では、上段は終に取られずして下段にて果つるなり、
書き下し
物に心が染み止るによつて染ますな止らすな、我身へ求め返せと云ふは、初心稽古の位なり、蓮の泥に染まぬが如くなれ、泥にありても苦しからず、よく磨きたる水晶の玉は泥の内に入つても染まぬやうに心をなして、行き度き所にやれ、心を引きつめては不自由なるぞ、心を引きしめて置くも、初心の時の事よ、一期其分では、上段は終に取られずして下段にて果つるなり、
現代語訳
物に心が染みついてとどまるから、染ませるな、とどまらせるな、自分の身へ求め返せ、と言うのは、初心の稽古の位です。蓮が泥に染まらないようになれ。泥の中にあっても苦しくない。よく磨いた水晶の玉は、泥の中に入っても染まらないように、心をそのようにして、行きたい所にやれ。心を引きしめていては不自由だぞ。心を引きしめて置くのも、初心のときのことだよ。一生そのままでは、上段の位はついに取れず、下段で終わってしまうのです。
解説
泥の中に咲いても泥に染まらない蓮、泥に沈めても曇らない磨かれた水晶。心がそのように磨かれていれば、どこへ行かせても染まらない。染まるのを恐れて心を引きしめ続けるのは、初心のうちだけのことで、一生そのままでは上の段に進めない、と沢庵は厳しく言う。誘惑の多い環境を避けて身を守る段階から、どんな環境にいても自分を失わない段階へ進め、という成長の道筋を示している。
この章句が説くこと
蓮水晶成長環境段階心の鍛錬
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