不動智神妙録 / 求放心と心要放
物に心が染み止るによつて染ますな止らすな、我身へ求め返せと云ふは、初心稽古の位なり、蓮の泥に染まぬが如くなれ、泥にありても苦しからず、よく磨きたる水晶の玉は泥の內に入つても染まぬやうに心をなして、行き度き所にやれ、心を引きつめては不自由なるぞ、心を引きしめて置くも、初心の時の事よ、一期其分では、上段は終に取られずして下段にて果つるなり、
新字:物に心が染み止るによつて染ますな止らすな、我身へ求め返せと云ふは、初心稽古の位なり、蓮の泥に染まぬが如くなれ、泥にありても苦しからず、よく磨きたる水晶の玉は泥の内に入つても染まぬやうに心をなして、行き度き所にやれ、心を引きつめては不自由なるぞ、心を引きしめて置くも、初心の時の事よ、一期其分では、上段は終に取られずして下段にて果つるなり、
書き下し
物に心が染み止るによつて染ますな止らすな、我身へ求め返せと云ふは、初心稽古の位なり、蓮の泥に染まぬが如くなれ、泥にありても苦しからず、よく磨きたる水晶の玉は泥の内に入つても染まぬやうに心をなして、行き度き所にやれ、心を引きつめては不自由なるぞ、心を引きしめて置くも、初心の時の事よ、一期其分では、上段は終に取られずして下段にて果つるなり、
現代語訳
物に心が染みついてとどまるから、染ませるな、とどまらせるな、自分の身へ求め返せ、と言うのは、初心の稽古の位です。蓮が泥に染まらないようになれ。泥の中にあっても苦しくない。よく磨いた水晶の玉は、泥の中に入っても染まらないように、心をそのようにして、行きたい所にやれ。心を引きしめていては不自由だぞ。心を引きしめて置くのも、初心のときのことだよ。一生そのままでは、上段の位はついに取れず、下段で終わってしまうのです。
解説

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論語・子罕篇子曰く、忠信を主とし、己に如かざる者を友とすること毋かれ。過てば則ち改むるに憚ること勿かれ。
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孟子・滕文公章句下孟子、戴不勝に謂いて曰く、「子は子の王の善ならんことを欲するか。我明らかに子に告げん。此に楚の大夫有らんに、其の子の齊語せんことを欲すれば、則ち齊人をして諸に傅たらしめんか。楚人をして諸に傅たらしめんか。」曰く、「齊人をして之に傅たらしめん。」曰く、「一齊人之に傅たるも、衆楚人之を咻せば、雖日に撻(むちうつ)ちて其の齊たらんことを求むと雖も、得可からず。引いて之を莊嶽の間に置くこと數年ならば、日に撻ちて其の楚たらんことを求むと雖も、亦た得可からず。子、薛居州を善士と謂い、之をして王の所に居らしむ。王の所に在る者、長幼卑尊、皆薛居州ならば、王は誰と與にか不善を為さん。王の所に在る者、長幼卑尊、皆薛居州に非ざれば、王は誰と與にか善を為さん。一薛居州、獨り宋王を如何せん。」 <語釈> ○「咻」、音はキュウ、義はかまびすしくすること。○「莊嶽」、顧炎武云う、莊は是れ街の名、嶽は是れ里の名。