不動智神妙録 / 諸仏不動智
然れば不動明王と申すも人の一心の動かぬ所を申し候、亦身を動轉せぬことにて候、動轉せぬとは物毎に留らぬ事にて候、物一目見て其心を止めぬを不動と申し候、なぜなれば物に心が止り候へば、いろいろの分別か胸に候間胸のうちにいろいろに動き候、止れば止る心は動きても動かぬにて候。
新字:然れば不動明王と申すも人の一心の動かぬ所を申し候、亦身を動転せぬことにて候、動転せぬとは物毎に留らぬ事にて候、物一目見て其心を止めぬを不動と申し候、なぜなれば物に心が止り候へば、いろいろの分別か胸に候間胸のうちにいろいろに動き候、止れば止る心は動きても動かぬにて候。
書き下し
然れば不動明王と申すも人の一心の動かぬ所を申し候、亦身を動転せぬことにて候、動転せぬとは物毎に留らぬ事にて候、物一目見て其心を止めぬを不動と申し候、なぜなれば物に心が止り候へば、いろいろの分別か胸に候間胸のうちにいろいろに動き候、止れば止る心は動きても動かぬにて候。
現代語訳
ですから、不動明王というのも、人の一つの心が動かないところを言うのです。また身をうろたえさせないことです。うろたえないとは、物ごとにとどまらないことです。物を一目見て、その心をとどめないのを不動と言います。なぜなら、物に心がとどまれば、いろいろな分別が胸に生じるので、胸の中でいろいろに動いてしまうからです。とどまれば、とどまる心は動いているようでも、実は動けないのです。
解説
不動とは物ごとにとどまらないことだ、という定義をもう一度確かめる段である。物に心がとどまると、あれこれと分別が生じ、胸の中が騒がしくなる。外から見れば一つの物に集中して動かないように見えても、内側では揺れ動いており、しかも肝心の場面では動けない。一つの心配事に心がとらわれたとき、頭の中はめまぐるしく動いているのに、何も手につかなくなる。その状態を、沢庵は見事に言い当てている。
この章句が説くこと
不動分別とらわれ動揺心配集中
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