不動智神妙録 / 無明住地煩悩
無明住地煩惱 無明とは、明になしと申す文字にて候、迷を申し候、住地とは、止る位と申す文字にて候、佛法修行に五十二位と申す事の候、その五十二位の內に物每に心の止る所を住地と申し候、住は止ると申す義理にて候、止ると申すは、何事に付ても其事に心を止るを申し候、貴殿の兵法にて申し候はゝ向ふより切太刀を一目見て其まゝにそこにて合はんと思へは、向ふの太刀に其儘に心が止りて手前の働か拔け候て、向ふの人にきられ候、是れを止ると申し候、
新字:無明住地煩悩 無明とは、明になしと申す文字にて候、迷を申し候、住地とは、止る位と申す文字にて候、仏法修行に五十二位と申す事の候、その五十二位の内に物毎に心の止る所を住地と申し候、住は止ると申す義理にて候、止ると申すは、何事に付ても其事に心を止るを申し候、貴殿の兵法にて申し候はゝ向ふより切太刀を一目見て其まゝにそこにて合はんと思へは、向ふの太刀に其儘に心が止りて手前の働か抜け候て、向ふの人にきられ候、是れを止ると申し候、
書き下し
無明住地煩悩 無明とは、明になしと申す文字にて候、迷を申し候、住地とは、止る位と申す文字にて候、仏法修行に五十二位と申す事の候、その五十二位の内に物毎に心の止る所を住地と申し候、住は止ると申す義理にて候、止ると申すは、何事に付ても其事に心を止るを申し候、貴殿の兵法にて申し候はゝ向ふより切太刀を一目見て其まゝにそこにて合はんと思へは、向ふの太刀に其儘に心が止りて手前の働か抜け候て、向ふの人にきられ候、是れを止ると申し候、
現代語訳
無明住地煩悩。無明とは、明るさがないという文字で、迷いのことです。住地とは、とどまる位という文字です。仏法の修行には五十二の位というものがあり、その五十二の位のうち、物ごとに心がとどまってしまうところを住地と言います。住とはとどまるという意味です。とどまるとは、何事につけても、その事に心をとどめてしまうことを言います。あなたの兵法でいえば、向こうから切りかかってくる太刀を一目見て、そのままそこで受け合おうと思えば、向こうの太刀にそのまま心がとどまって、こちらの働きが抜け落ち、向こうの人に切られてしまいます。これをとどまると言うのです。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『不動智神妙録』無明住地煩悩向ふから打つとも吾から討つとも、打つ人にも打つ太刀にも、程にも拍子にも、卒度も心を止めれば手前の働は皆抜け候て、人にきられ可申候、敵に我身を置けば敵に心をとられ候間、我身にも心を置くべからす、我が身に心を引きしめて置くも初心の間習入り候時の事なるべし、太刀に心をとられ候、拍子合に心を置けば拍子合に心をとられ候、我太刀に心を置けば我太刀に心をとられ候、これ皆心のとまりて手前抜殻になり申し候、貴殿御覚え可有候、仏法と引当て申すにて候、仏法には此止る心を迷と申し候、故に無明住地煩悩と申すことにて候
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『不動智神妙録』無明住地煩悩打太刀を見る事は見れどもそこに心をとめず、向ふの打太刀の拍子に合せて、打たうとも思はず思案分別を残さず、振上ぐる太刀を見るや否や心を卒度止めず、其まゝ付入て向ふの太刀にとりつかば、我をきらんとする刀を我が方へもぎとりて、却つて向ふを切る刀となるべく候、禅宗には是れを還把鎗頭倒刺人来ると申し候、鎗はほこにて候、人の持ちたる刀を我か方へもぎ取りて還つて相手を切ると申す心にて候、貴殿の無刀と仰せられ候事にて候、
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『不動智神妙録』心の置所心の置所 心を何処に置かうぞ、敵の身の働に心を置けば、敵の身の働に心を取らるゝなり、敵の太刀に心を置けは、敵の太刀に心を取らるゝなり、敵を切らんと思ふ所に心を置けば、敵を切らんと思ふ所に心を取らるゝなり、我太刀に心を置けば、我太刀に心を取らるゝなり、われ切られじと思ふ所に心を置けば、切られじと思ふ所に心を取らるゝなり、人の構に心を置けば、人の構に心を取らるゝなり、兎角心の置所はないと言ふ、
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『不動智神妙録』本心妄心本心妄心と申す事の候、本心と申すは一所に留らず、全身全体に延び広ごりたる心にて候、妄心は何ぞ思ひつめて一所に固まり候心にて、本心が一所に固まり集りて妄心と申すものに成り申し候、本心は失ひ候と所々の用か欠ける程に、失はぬ様にするが本心なり、
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『不動智神妙録』諸仏不動智然れば不動明王と申すも人の一心の動かぬ所を申し候、亦身を動転せぬことにて候、動転せぬとは物毎に留らぬ事にて候、物一目見て其心を止めぬを不動と申し候、なぜなれば物に心が止り候へば、いろいろの分別か胸に候間胸のうちにいろいろに動き候、止れば止る心は動きても動かぬにて候。
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『不動智神妙録』有心の心 無心の心有心之心無心之心と申す事の候、有心の心と申すは妄心と同じ事にて、有心とはアルコヽロと読む文字にて、何事にても一方へ思ひ詰る所なり、心に思ふ事ありて分別思案が生ずる程に、有心の心と申し候、無心の心と申すは右の本心と同じ事にて、固り定まりたる事なく分別も思案も何も無き時の心、総身に広ごりて全体に行渡る心を無心と申す也、どツこにも置かぬ心なり、石か木かのやうにてはなし、留る所なきを無心と申す也、留れば心に物かあり留る所なければ心に何も無し、心に何もなきを無心の心と申し、又は無心無念とも申し候、