塩鉄論 / 備胡篇
賢良曰:「吳王所以見禽於越者、以其越近而陵遠也。秦所以亡者、以外備胡、越而內亡其政也。夫用軍於外、政敗於內、備為所患、增主所憂。故人主得其道、則遐邇偕行而歸之、文王是也、不得其道、則臣妾為寇、秦王是也。夫文衰則武勝、德盛則備寡。」
新字:賢良曰:「吳王所以見禽於越者、以其越近而陵遠也。秦所以亡者、以外備胡、越而内亡其政也。夫用軍於外、政敗於内、備為所患、增主所憂。故人主得其道、則遐邇偕行而帰之、文王是也、不得其道、則臣妾為寇、秦王是也。夫文衰則武勝、徳盛則備寡。」
書き下し
賢良曰く、吳王の越に禽らるる所以の者は、其の越を近みして遠きを陵げばなり。秦の亡ぶ所以の者は、外は胡・越に備えて內は其の政を亡えばなり。夫れ軍を外に用いて、政は內に敗るれば、備は患う所と為り、主の憂うる所を增す。故に人主其の道を得れば、則ち遐邇偕に行きて之に歸す、文王是れなり。其の道を得ざれば、則ち臣妾も寇と為る、秦王是れなり。夫れ文衰うれば則ち武勝ち、德盛んなれば則ち備寡なし。
現代語訳
賢良が言った。「呉王が越に捕らえられたのは、近くの越を軽んじて遠方を攻めたからです。秦が滅んだのは、外では匈奴と越に備えながら、内で政治を失ったからです。そもそも軍を外で用いて、政治が内で崩れれば、備えそのものが憂いとなり、君主の心配事を増やすことになる。だから君主が道を得れば、遠近を問わず人が向かってきて従います。文王がそれです。道を得なければ、臣下や召使いまでが敵に回る。秦王がそれです。文が衰えれば武が勝ち、徳が盛んなら備えは少なくて済みます」
解説
「備えを解いてよい理由がない」への返答です。備えを置くこと自体が損になる場合を示します。**外に軍を出して、内で政治が崩れれば、備えそのものが憂いになる。**呉王は近くの越を軽んじて遠くを攻め、秦は外に備えながら内を失った。備えの有無ではなく、備えに払う代償を見よ、という視点です。締めの「文衰うれば則ち武勝つ」は、この篇を通じた賢良側の要約になっています。
この章句が説くこと
軍を外に用いて政は内に敗るれば備は患う所と為る文衰うれば則ち武勝ち徳盛んなれば則ち備寡なし外は胡・越に備えて内は其の政を亡う負担優先順位防衛
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