塩鉄論 / 箴石篇
賢良曰:「賈生有言:『懇言則辭淺而不入、深言則逆耳而失指。』故曰:『談何容易。』談且不易、而況行之乎?此胡建所以不得其死、而吳得幾不免於患也。語曰:『五盜執一良人、枉木惡直繩。』今欲下箴石、通關鬲、則恐有盛、胡之累、懷箴橐艾、則被不工之名。『狼跋其胡、載踕其尾。』君子之路、行止之道固狹耳。此子石所以嘆息也。」
新字:賢良曰:「賈生有言:『懇言則辞浅而不入、深言則逆耳而失指。』故曰:『談何容易。』談且不易、而況行之乎?此胡建所以不得其死、而呉得幾不免於患也。語曰:『五盗執一良人、枉木悪直縄。』今欲下箴石、通関鬲、則恐有盛、胡之累、懐箴橐艾、則被不工之名。『狼跋其胡、載踕其尾。』君子之路、行止之道固狭耳。此子石所以嘆息也。」
書き下し
賢良曰く、賈生に言有り、『懇言すれば則ち辭淺くして入らず、深言すれば則ち耳に逆らいて指を失う』と。故に曰く、『談何ぞ容易ならんや』と。談すら且つ易からず、而るを況んや之を行うをや。此れ胡建の其の死を得ざりし所以にして、吳得の幾んど患いを免れざりし所以なり。語に曰く、『五盜一良人を執え、枉木は直繩を惡む』と。今、箴石を下し、關鬲を通ぜんと欲すれば、則ち恐らくは盛・胡の累有らん。箴を懷き艾を橐にすれば、則ち不工の名を被らん。『狼は其の胡を跋み、載ち其の尾を踕む』と。君子の路、行止の道は固より狹きのみ。此れ子石の嘆息せし所以なり。
現代語訳
賢良が言った。「賈誼にこういう言葉があります。『丁寧に言えば言葉が浅くて相手に入らず、踏み込んで言えば耳に逆らって趣旨を取り違えられる』と。だから『語ることさえ、どうして容易であろうか』と言うのです。語ることすら易しくない。まして実行するとなればなおさらです。胡建が天寿をまっとうできなかったのも、呉得があやうく災いを免れなかったのも、これが理由でした。ことわざに言います。『五人の盗賊が一人の良民を捕らえる。曲がった木は真っ直ぐな墨縄を嫌う』と。いま鍼と石を下し、胸のつかえを通そうとすれば、おそらく盛や胡建のような巻き添えを食う。かといって鍼を懐にしまい、もぐさを袋に入れたままにすれば、腕が悪いという評判を負う。『狼は前に進めばその顎の垂れ肉を踏み、退けばその尾を踏む』といいます。君子の道は、行くも止まるも、もともと狭いのです。子石が嘆息したのも、これゆえでした」
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『宋名臣言行録』前集巻四・王曙謝希深・歐陽永叔、洛陽に官する時、同に嵩山に游ぶ。歸り、暮に龍門・香山に抵る。雪作る。留守錢文僖公、吏を遣わし厨傳・歌妓を以て至らしむ。且つ之を勞いて曰く、山行良に勞す。少しく龍門に留まりて雪を賞せよ。府事簡なり。遽かに歸る無かれと。錢の諸公に遇すること之れ厚きこと此に類す。公、錢に代わりて留守と為る。吏を御すること束濕の如し。諸公俱に其の憂いに堪えず。日に其の多く出游するを訝り、責めて曰く、公等、自ら萊公に比す。何如。萊公すら尚お奢縱に坐して禍を取り貶死す。況んや其の下なる者をやと。希深より下、敢えて對えず。永叔、手板を取りて起立して曰く、莱公の禍は杯酒に在らず。老いて退くを知らざるに在るのみと。時に公の年已に髙し。若し之が為に動く。卒に永叔を薦めて館に入らしむ。
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『呻吟語』外篇・治道・枉尺直尋政を為すに私に徇ひ、謗を弭め、道に違ひ、譽を干むるを以て第一の恥と為す。人上たる者は自ら應に行ふべき道理有り。合へば則ち行ひ、合はざれば則ち去る。若し委曲遷就し、利を計り害を慮らば、身を奉じて退くに如かず。孟子の謂ふ枉尺直尋は、推し起こし來たる可からず。一寸を枉げて千尺を直くすと雖も、恐らくは亦た未だ可ならざるなり。或るひと曰く、「君親の際に處するに、恐らくは當に枉ぐべき處有らん」と。曰く、「當に枉ぐべくんば則ち之を枉ぐと謂ふを得ず。是れを權以て經を行ふと謂ふ。畢竟是れ直道にして行ふなり」と。
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『墨子』耕柱子墨子、管黔をして髙石子を衛に游ばしむ。衛君、禄を致すこと甚だ厚く、之を卿に設く。髙石子、三たび朝して必ず言を盡くすも、言、行わるる者無し。去りて齊に之き、子墨子に見えて曰く、「衛君、夫子の故を以て、禄を致すこと甚だ厚く、我を卿に設く。石、三たび朝して必ず言を盡くすも、言、行わるる無し。是を以て之を去るなり。衛君、乃ち石を以て狂と為すこと無からんや」と。子墨子曰く、「之を去るに茍くも道あらば、狂を受くるも何ぞ傷まん。古者、周公旦、管叔を非とし、三公を辭し、東のかた商盖に處る。人、皆な之を狂と謂う。後世、其の徳を稱し、其の名、今に至るまで息まず。且つ翟、之を聞く、義を為すは毁を避け譽に就くに非ず。之を去るに茍くも道あらば、狂を受くるも何ぞ傷まん」と。髙石子曰く、「石の之を去るや、焉んぞ敢えて道あらざらんや。昔者、夫子に言有りて曰く、『天下に道無くんば、仁士は厚きに處らず』と。今、衛君は道無くして、其の禄爵を貪らば、則ち是れ我れ茍くも人の厚きに處ると為すなり」と。子墨子、説びて、子禽子を召して曰く、「姑く此を聴けや。夫れ義に倍きて禄に鄉う者は、我れ常に之を聞けり。禄に倍きて義に鄉う者は、髙石子に於いて焉れを見るなり」と。
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『晏子春秋』雑上・莊公不說晏子晏子坐地訟公而歸晏子、莊公に臣たり。公説ばず。酒を飲み、晏子を召さしむ。晏子至り、門に入るに、公、楽人をして歌を奏せしめて曰く、「已まんかな、已まんかな。寡人は説ぶ能わず、爾何ぞ来たれる為す」と。晏子入りて坐し、楽人三たび奏して、然る後に其の己を謂うを知る。遂に起ち、北面して地に坐す。公曰く、「夫子は席に従わず、曷為ぞ地に坐する」と。晏子対えて曰く、「嬰聞く、訟うる夫は地に坐すと。今嬰将に君と訟わんとす、敢えて地に坐する毋からんや。嬰之を聞く、衆にして義無く、強くして礼無く、勇を好みて賢者を悪む者は、禍必ず其の身に及ぶと。公の若き者の謂なり。且つ嬰の言用いられず、願わくは身を請いて去らん」と。遂に趨りて帰り、其の家を管籥する者、之を公に納れ、財の外に在る者、之を市に斥し、曰く、「君子は民に力有れば則ち爵禄を進め、貴富を辞せず。民に力無くして旅食すれば、貧賤を悪まず」と。遂に徒行して東し、海浜に耕し、居ること数年、果たして崔杼の難有り。
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