淮南子 / 要略
齊桓公之時,天子卑弱,諸侯力征,南夷北狄,交伐中國,中國之不絕如線。齊國之地,東負海而北障河,地狹田少,而民多智巧,桓公憂中國之患,苦夷狄之亂,欲以存亡繼絕,崇天子之位,廣文、武之業,故《管子》之書生焉。
新字:斉桓公之時,天子卑弱,諸侯力征,南夷北狄,交伐中国,中国之不絶如線。斉国之地,東負海而北障河,地狭田少,而民多智巧,桓公憂中国之患,苦夷狄之乱,欲以存亡継絶,崇天子之位,広文、武之業,故《管子》之書生焉。
書き下し
齊の桓公の時、天子 卑弱にして、諸侯 力征す。南夷北狄、交々中國を伐ち、中國の絕えざること線の如し。齊國の地、東は海を負い北は河を障とす。地 狹く田 少なくして、民 智巧多し。桓公 中國の患を憂え、夷狄の亂に苦しみ、以て亡を存し絕を繼ぎ、天子の位を崇くし、文・武の業を廣めんと欲す。故に管子の書 生ず。
現代語訳
斉の桓公の時代、天子は衰え、諸侯は力で攻め合った。南の夷と北の狄が交互に中原を伐ち、中原が絶えずにいるのは糸一本のようであった。斉の国は東に海を背負い、北は黄河を防ぎとする。土地は狭く田は少なく、民には知恵と技が多い。桓公は中原の憂いを案じ、異民族の乱に苦しみ、滅びかけた国を存続させ、絶えた家を継がせ、天子の位を高くし、文王・武王の事業を広げようとした。だから『管子』の書が生まれた。
解説
管子の実務的な思想が、斉という土地の条件から説明されます。土地は狭く田は少なく、民は知恵と技に長けている。農地で勝負できない国が、どう立つか。そこに中原の危機が重なりました。「中國の絕えざること線の如し」——糸一本でつながっている状況が、あの書を必要としました。
この章句が説くこと
斉の桓公の時天子卑弱にして諸侯力征す南夷北狄交々中国を伐ち中国の絶えざること線の如し斉国の地東は海を負い北は河を障とす地狭く田少なくして民智巧多し桓公以て亡を存し絶を継ぎ天子の位を崇くせんと欲す故に管子の書生ず管子
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