淮南子 / 泰族訓
趙王遷流于房陵,思故鄉,作《山水》之謳,聞者莫不殞涕。荊軻西刺秦王,高漸離、宋意為擊筑而歌於易水之上。聞者莫不瞋目裂眥,髮植穿冠。因以此聲為樂而入宗廟,豈古之所謂樂哉!
新字:趙王遷流于房陵,思故鄉,作《山水》之謳,聞者莫不殞涕。荊軻西刺秦王,高漸離、宋意為擊筑而歌於易水之上。聞者莫不瞋目裂眥,髪植穿冠。因以此声為楽而入宗廟,豈古之所謂楽哉!
書き下し
趙王遷 房陵に流され、故鄉を思い、山水の謳を作る。聞く者 涕を殞さざる莫し。荊軻 西のかた秦王を刺さんとし、高漸離・宋意 爲に筑を擊ちて易水の上に歌う。聞く者 目を瞋らし眥を裂き、髮 植ちて冠を穿たざる莫し。因りて此の聲を以て樂と爲して宗廟に入れば、豈に古の所謂 樂ならんや。
現代語訳
趙王遷は房陵に流され、故郷を思って山水の歌を作った。聴く者で涙を落とさない者はいなかった。荊軻が西へ向かって秦王を刺そうとしたとき、高漸離と宋意が筑を打って易水のほとりで歌った。聴く者で目を怒らせ、まなじりを裂き、髪が逆立って冠を突き上げない者はいなかった。こういう調べを楽として宗廟に持ち込んだなら、それが昔いうところの楽であろうか。
解説
どちらも、聴いた人を強く動かした歌です。涙を落とさせ、髪を逆立たせた。それでも「楽」ではない、と言い切ります。人を激しく動かす力と、人を整える力は別物だという区別です。効き目の強さで良し悪しを決めない、という一線が引かれています。
この章句が説くこと
趙王遷房陵に流され故鄉を思い山水の謳を作る聞く者涕を殞さざる莫し荊軻西のかた秦王を刺さんとす高漸離・宋意為に筑を擊ちて易水の上に歌う聞く者目を瞋らし眥を裂き髪植ちて冠を穿たざる莫し因りて此の声を以て楽と為して宗廟に入れば豈に古の所謂楽ならんや音楽
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