呂氏春秋 / 季春⑦
是月之末,擇吉日,大合樂,天子乃率三公九卿諸侯大夫親往視之。
新字:是月之末,択吉日,大合楽,天子乃率三公九卿諸侯大夫親往視之。
書き下し
是の月の末、吉日を擇びて、大いに合樂す。天子は乃ち三公・九卿・諸侯・大夫を率い、親ら往きて之を視る。
現代語訳
この月の末には、吉日を選んで盛大に合奏の楽を催す。天子は三公・九卿・諸侯・大夫を引き連れ、みずから出向いてこれを観覧する。
解説
晩春の締めくくりに行われる国家的な音楽の催しを述べています。吉日を選んで盛大な合奏を催し、天子が三公・九卿以下の重臣を率いて自ら観覧します。音楽は古代中国で礼とならぶ統治の柱であり、人心を和らげ秩序を保つ手段とされました。為政者が率先して参加することで、その重要性を内外に示したのです。現代でも、節目に組織全体で文化的な催しを共有することは、一体感の醸成や士気の向上につながります。トップが自ら参加して価値を示す姿勢は、企業や共同体の行事運営にも通じる知恵として読み取れます。
この章句が説くこと
合楽三公九卿天子音楽礼楽一体感
関連する章句
-
論語・八佾篇子、魯の太師に楽を語りて曰く、『楽は其れ知る可し。始め作せば翕(きゅう)の如く、之れに従えば純の如く、繹(えき)の如くして以て成る。』
-
論語・泰伯篇子曰く、師摯の始め、関雎の乱、洋洋乎として耳に盈つるかな。
-
孔子家語・辯樂解子路琴を鼓す。孔子之を聞き、冉有に謂いて曰く、「甚だしいかな、由の不才なるや。夫れ先王の音を制するや、中聲を奏して以て節と為し、流れて南に入り、北に歸らず。夫れ南は、生育の鄉なり。北は、殺伐の城なり。故に君子の音は溫柔にして中に居り、以て生育の氣を養う。憂愁の感、心に加わらざるなり。暴厲の動、體に在らざるなり。夫れ然る者は、乃ち所謂治安の風なり。小人の音は、則ち然らず。亢麗微末にして、以て殺伐の氣に象る。中和の感、心に載せず。溫和の動、體に存せず。夫れ然る者は、乃ち亂を為す所以の風なり。昔者舜五弦の琴を彈じ、南風の詩を造る。其の詩に曰く、『南風の熏なるや、以て吾が民の慍を解くべし。南風の時なるや、以て吾が民の財を阜すべし。』唯此の化を修む、故に其の興るや、勃焉たり。德泉の流るるがごとく、今に至るまで王公大人述べて忘れず。殷の紂は北鄙の聲を為すを好み、其の廢するや、忽焉たり。今に至るまで王公大人舉げて以て誡と為す。夫れ舜は布衣より起こり、德を積み和を含みて終に帝と以る。紂は天子と為り、荒淫暴亂にして終に以て亡ぶ。各々修むる所の致す所に非ずや。由、今匹夫の徒にして、曾て先王の制に意無くして、亡國の聲を習う。豈能く其の六七尺の體を保たんや。」冉有以て子路に告ぐ。子路懼れて自ら悔い、靜思して食わず、以て骨立するに至る。夫子曰く、「過ちて能く改む、其れ進めるか。」
-
論語・子罕篇子曰く、吾衛より魯に反り、然る後に楽正しく、雅頌各々其の所を得たり。
-
論語・述而篇子、人と歌いて善ければ、必ず之を反さしめて、而る後に之に和す。
-
呂氏春秋・仲春⑥是の月や、川澤を竭くすこと無く、陂池を漉くすこと無く、山林を焚くこと無からしむ。天子乃ち羔を獻じ、冰を開き、先づ寝廟に薦む。上丁に、樂正に命じて學に入り舞を習わしめ、采を舎かしむ。天子乃ち三公九卿諸侯を率いて親ら往きて之を視る。中丁に、又樂正に命じ、學に入り樂を習わしむ。