淮南子 / 泰族訓
人之所知者淺,而物變無窮,曩不知而今知之,非知益多也,問學之所加也。夫物常見則識之,嘗為則能之,故因其患則造其備,犯其難則得其便。夫以一世之壽,而觀千歲之知,知今古之論,雖未嘗更也,其道理素具,可不謂有術乎!
新字:人之所知者浅,而物変無窮,曩不知而今知之,非知益多也,問学之所加也。夫物常見則識之,嘗為則能之,故因其患則造其備,犯其難則得其便。夫以一世之寿,而観千歳之知,知今古之論,雖未嘗更也,其道理素具,可不謂有術乎!
書き下し
人の知る所の者は淺くして、物の變は窮まり無し。曩には知らずして今 之を知るは、知の益々多きに非ざるなり。問學の加うる所なり。夫れ物は常に見れば則ち之を識り、嘗て爲せば則ち之を能くす。故に其の患に因れば則ち其の備えを造り、其の難を犯せば則ち其の便を得。夫れ一世の壽を以て、千歲の知を觀、今古の論を知る。未だ嘗て更えずと雖も、其の道理 素より具わる。術有りと謂わざる可けんや。
現代語訳
人の知っていることは浅く、物の変化には限りがない。以前は知らなかったことを今知っているのは、生まれつきの知恵が増えたからではない。問い学ぶことが加わったからである。物は繰り返し見れば見分けられ、一度やってみればできるようになる。だから、その困りごとに遭えば備えを作り、その難所を通れば通り方を得る。一代の寿命で、千年ぶんの知恵を見渡し、今と昔の議論を知る。自分では経験していなくても、その道理はもとから備わっている。術があると言わずにいられようか。
解説
「曩には知らずして今 之を知るは、知の益々多きに非ざるなり。問學の加うる所なり」。賢くなったのではなく、問い学んだぶんが積まれただけ。だから誰にでも同じことが起きます。「一世の壽を以て、千歲の知を觀る」——自分の一生では通れない難所の通り方まで、書物を通して先に受け取れる。自分の一生では通れない難所を、書物を通して先に受け取れます。
この章句が説くこと
人の知る所の者は浅くして物の変は窮まり無し曩には知らずして今之を知るは知の益々多きに非ざるなり問学の加うる所なり物は常に見れば則ち之を識り嘗て為せば則ち之を能くす其の患に因れば則ち其の備えを造り其の難を犯せば則ち其の便を得一世の寿を以て千歳の知を観今古の論を知る学び
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