淮南子 / 泰族訓
故有喑、聾之病者,雖破家求醫,不顧其費,豈獨形骸有喑、聾哉!心志亦有之。夫指之拘也,莫不事申也;心之塞也,莫知務通也;不明於類也。夫觀六藝之廣崇,窮道德之淵深,達乎無上,至乎無下,運乎無極,翔乎無形,廣于四海,崇於太山,富於江河,曠然而通,昭然而明,天地之間無所系戾,其所以監觀,豈不大哉!
新字:故有喑、聾之病者,雖破家求医,不顧其費,豈独形骸有喑、聾哉!心志亦有之。夫指之拘也,莫不事申也;心之塞也,莫知務通也;不明於類也。夫観六芸之広崇,窮道徳之淵深,達乎無上,至乎無下,運乎無極,翔乎無形,広于四海,崇於太山,富於江河,曠然而通,昭然而明,天地之間無所系戻,其所以監観,豈不大哉!
書き下し
故に喑・聾の病有る者は、家を破りて醫を求め、其の費を顧みざると雖も、豈に獨り形骸に喑・聾有らんや。心志にも亦た之れ有り。夫れ指の拘まるや、申ぶるを事とせざる莫し。心の塞がるや、通ずるを務むるを知る莫し。類に明らかならざればなり。夫れ六藝の廣崇を觀、道德の淵深を窮め、無上に達し、無下に至り、無極に運り、無形に翔り、四海より廣く、太山より崇く、江河より富み、曠然として通じ、昭然として明らかなれば、天地の間 系戾する所無し。其の監觀する所以、豈に大ならずや。
現代語訳
口のきけない病や耳の聞こえない病がある者は、家を潰してでも医者を求め、費用を惜しまない。だが、口や耳が塞がるのは体だけだろうか。心にもそれはある。指が曲がって伸びなければ、伸ばそうとしない者はいない。心が塞がっても、通そうと努めることを知らない。同じ類のことだと分かっていないからである。六芸の広さと高さを見渡し、道徳の深さを究め、上限のないところに達し、下限のないところに至り、際限なく巡り、形のないところを翔け、四海より広く、泰山より高く、長江や黄河より豊かに、広々と通じ、明らかに澄んでいれば、天地のあいだにわだかまるところがなくなる。その見晴らしは、どれほど大きいことか。
解説
この章句が説くこと
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