淮南子 / 泰族訓
使人左據天下之圖而右刎喉,愚者不為也,身貴於天下也。死君親之難,視死若歸,義重於身也。天下,大利也,比之身則小;身之重也,比之義則輕;義所全也。《詩》曰:「愷悌君子,求福不回。」言以信義為準繩也。欲成霸王之業者,必得勝者也;能得勝者,必強者也;能強者,必用人力者也;能用人力者,必得人心者也;能得人心者,必自得者也。
新字:使人左拠天下之図而右刎喉,愚者不為也,身貴於天下也。死君親之難,視死若帰,義重於身也。天下,大利也,比之身則小;身之重也,比之義則軽;義所全也。《詩》曰:「愷悌君子,求福不回。」言以信義為準縄也。欲成覇王之業者,必得勝者也;能得勝者,必強者也;能強者,必用人力者也;能用人力者,必得人心者也;能得人心者,必自得者也。
書き下し
人をして左に天下の圖を據え右に喉を刎ねしむれば、愚者も爲さざるなり。身は天下より貴ければなり。君親の難に死し、死を視ること歸するが若きは、義 身より重ければなり。天下は、大利なり。之を身に比ぶれば則ち小なり。身の重きも、之を義に比ぶれば則ち輕し。義の全うする所なり。詩に曰く「愷悌たる君子、福を求むるに回らず」と。信義を以て準繩と爲すを言うなり。霸王の業を成さんと欲する者は、必ず勝を得る者なり。能く勝を得る者は、必ず強き者なり。能く強き者は、必ず人力を用うる者なり。能く人力を用うる者は、必ず人心を得る者なり。能く人心を得る者は、必ず自ら得る者なり。
現代語訳
左手に天下の地図を握らせ、右手で自分の喉を切らせるなら、愚か者でもしない。身は天下より貴いからである。主君や親の難に死に、死ぬのを家に帰るように見るのは、義が身より重いからである。天下は大きな利益である。身に比べれば小さい。その身の重さも、義に比べれば軽い。義が全うされるところである。詩に「和やかで慎ましい君子は、福を求めて回り道をしない」とある。信義を尺度とすることを言っている。覇王の業を成そうとする者は、必ず勝つ者である。勝てる者は、必ず強い者である。強くなれる者は、必ず人の力を用いる者である。人の力を用いられる者は、必ず人の心を得る者である。人の心を得られる者は、必ず自分を得ている者である。
解説
この章句が説くこと
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『講孟余話』告子上 第十一章仁は人の心なり、義は人の路なり。是等の語能々味ふべし。仁は即ち人の心、人の心は即ち仁なり。程子の所謂「満腔子惻隠の心」と云ふ是なり。人の心を一々省察せば、仁の外に出づることなし。忠孝友悌衆善行の如きは言を待たず。乃ち不善不正に至りても、其の由りて起る所は仁に非ざるなし。但其の過不及ありて義に合はざるや、遂に不仁にも至るなり。故に人心の根本を尋ね出せば、仁の一字尽せり。義は即ち人の行く所、人の行く所即ち義なり。君子小人ともに、日々行く所義に出でざるはなし。若し義に非ざれば必ず今日が通用せざる者なり。
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『新書』連語紂は、天子の後なり、天下を有して宜しく然るべし。苟くも道に背き義を棄て、敬慎を釈てて驕肆を行えば、則ち天下の人、其の之に離るること崩るるが若く、其の之に背くや約せずして期するが若し。夫れ人主たる者、誠に奈何ぞ慎まざらんや。紂将に武王と戦わんとし、紂其の卒を陳ね、左臆右臆、之を鼓するも進まず、皆其の刃を還して、顧みて以て紂に鄉う。紂走りて寝廟の上に還り、身ら闘いて死す、左右肯て助けず。紂の官衛紂の躯を輿して、之を玉門の外に棄つ。民の観る者皆進みて之を蹴り、其の腹を蹈み、其の腎を蹶し、其の肺を践み、其の肝を履む。周の武王乃ち人をして帷して之を守らしむ、民の観る者帷を搴げて入り、石を提げて之にする者猶お未だ止むを肯んぜず。悲しむ可きなり。夫れ埶は民の主たるに、直ちに民と仇を為し、殃忿此くの若し。夫れ民尚お其の躯を践盤す、而るを況んや其の民を有ち政教するをや。羞ずること甚だし。臣竊かに之を聞くに曰く、「善は小にして益無しと謂う可からず、不善は小にして傷無しと謂う可からず」と。夫れ牛の胎と為るや、細きこと鼷鼠の若し、紂の天下を損ずるは、象箸自り始まる。故に小悪も大悪も一類なり、過敗小なりと雖も、皆紂の罪なり。周諺に曰く、「前車覆れば後車戒む」と。
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『大和俗訓』巻之八・応接一凡夫の心は、たのもしげなし。親みあつけれども、変じやすし。今親むといへど、後を保ちがたし。人の心を頼みてあやまつ事なかれ。一凡人の心の同じからざるは、その面の如し。世間の人ごとに、各心かはれる故に、人のなすわざ、我が思ふ如くならざるは、人の心のありさま、かくの如しと思ひ、我が心に叶はざるとて、人を咎むべからず。これを堪忍して、怒らず、言に出さざれば、無事にして我が心やすく、人にさはりなし。是世に交る道なり。
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人生を、一行の式にしてみた。
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