淮南子 / 泰族訓
故《易》之失也,卦;《書》之失也,敷;樂之失也,淫;《詩》之失也,辟;禮之失也,責;《春秋》之失也,刺。天地之道,極則反,盈則損。五色雖朗,有時而渝;茂木豐草,有時而落;物有隆殺,不得自若。故聖人事窮而更為,法弊而改制,非樂變古易常也,將以救敗扶衰,黜淫濟非,以調天地之氣,順萬物之宜也。
新字:故《易》之失也,卦;《書》之失也,敷;楽之失也,淫;《詩》之失也,辟;礼之失也,責;《春秋》之失也,刺。天地之道,極則反,盈則損。五色雖朗,有時而渝;茂木豊草,有時而落;物有隆殺,不得自若。故聖人事窮而更為,法弊而改制,非楽変古易常也,将以救敗扶衰,黜淫済非,以調天地之気,順万物之宜也。
書き下し
故に易の失は、卦なり。書の失は、敷なり。樂の失は、淫なり。詩の失は、辟なり。禮の失は、責なり。春秋の失は、刺なり。天地の道は、極まれば則ち反り、盈つれば則ち損ず。五色 朗らかなりと雖も、時有りて渝わる。茂木豐草も、時有りて落つ。物に隆殺有りて、自若たるを得ず。故に聖人は事 窮まれば而ち更め爲し、法 弊るれば而ち制を改む。古を變じ常を易うるを樂しむに非ざるなり。將に以て敗を救い衰を扶け、淫を黜け非を濟い、以て天地の氣を調え、萬物の宜しきに順わんとするなり。
現代語訳
易の失は卦占いに流れること、書の失は言葉を並べ立てること、楽の失は溺れること、詩の失は偏ること、礼の失は責め立てること、春秋の失はあげつらうことである。天地の道は、極まれば反り、満ちれば欠ける。五色は鮮やかでも、時が来れば褪せる。茂った木も豊かな草も、時が来れば落ちる。物には盛りと衰えがあり、そのままではいられない。だから聖人は、事が行き詰まれば作り直し、法が古びれば制度を改める。昔のやり方を変え、常を改めるのが楽しいのではない。崩れを救い衰えを支え、行き過ぎを退け誤りを直し、天地の気を調え、万物のふさわしさに従おうとしてのことである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
易経・蠱卦周易 第十八卦。巽下艮上。易経。蠱は、元いに亨る。大川を渉るに利ろし。甲に先だつこと三日、甲に後るること三日。初六、父の蠱を幹す、子有れば考咎无し、厲けれども終には吉。九二、母の蠱を幹す、貞にすべからず。九三、父の蠱を幹す、小しく悔い有れども、大いなる咎无し。六四、父の蠱を裕かにす、往けば吝を見る。六五、父の蠱を幹す、用て誉れあり。上九、王侯に事えず、其の事を高尚にす。彖に曰く、
-
易経・革卦周易 第四十九卦。離下兌上。易経。革は、巳日(いじつ)乃ち孚あり、元いに亨る、貞に利あり、悔亡ぶ。初九、鞏(かた)むるに黄牛の革を用ゐる。六二、巳日乃ち之を革む、征けば吉、咎无し。九三、征けば凶、貞なれども厲ふし。革言三たび就(な)りて、孚有り。九四、悔亡ぶ、孚有りて命を改む、吉。九五、大人虎変す、未だ占はずして孚有り。上六、君子豹変す、小人は面を革む。征けば凶、居りて貞なれば吉。彖に曰く、
-
『長短経』適変昔、先王は時に当たりて法度を立て、務めに臨みて事を制す。法、其の時に宜しければ則ち理まり、事、其の務めに適えば故に功有り。今、時移りて法変わらず、務め易わりて事は古を以てす。是れ則ち法と時と詭き、事と務めと易わるなり。是を以て法立ちて時は益々乱れ、務め無くして事は益々廃る。此れ聖人の国を理むるや、古に法らず、今に修らず、時に当たりて功を立て、難に在りて能く免る。
-
『政談』制度の事右の如く衣服等の制度を定めんにはかはり目のきわ境なくては叶はさること也、先つ東照宮へ御告あるへきことなり、日光御社参を仰せ出され、二年三年も前より御供廻の装束、諸大名の参詣の装束此度は斯の如くあるへしと号令ありて篤と支度させ、夫より直に平日に用ゆるやうに有りたきことなり、右一同上下仕換ゆることなれは、我人悪しきと、又例の手くせを出し利をまうけんとたくむへけれは、其の手当あるへきこと也、右の如く武家の制度を委細に立つること倹約の至極なれとも、諸事を新たに仕換ゆることなれは、当時困窮したる世界にては次第なく急にはなりかたかるへし、只先つ道中幷に御城下は幾何の供廻りを減少し、諸大名は江戸詰の家来を少くし、銭を鋳、貸借の道を開き、御旗本の諸士家中の武士のことは先つ其の儘にし置き、諸事の簡易に取捌くはかりにして最初に町人百姓と武家との差別を急度立つへきことなり、一切の事大そうなる事は先つ粗を立てゝ後に細にするときは仕よきものあり、前後緩急のついでとはこれを云ふなり、
-
史記 袁盎鼂錯列伝其の弁を以て太子に幸を得、太子の家号して「智嚢」と曰ふ。数(しばしば)孝文の時に上書し、諸侯を削る事、及び法令の更定すべき者を言ふ。書数十たび上るも、孝文聴かず、然れども其の材を奇とし、遷して中大夫と為す。是の時に当たり、太子錯の計策を善しとし、袁盎・諸大功臣多く錯を好まず。景帝即位し、錯を以て内史と為す。錯常に数(しばしば)閒を請ひて事を言ひ、輒ち聴かれ、寵幸九卿を傾け、法令多く更定する所あり。丞相申屠嘉心に便とせず、力未だ以て傷つくる有らず。内史の府は太上廟の壖(ぜん)中に居り、門東に出で、便ならず。錯乃ち両門を穿ちて南に出だし、廟の壖垣を鑿つ。丞相嘉聞き、大いに怒り、此の過ちに因りて奏請して錯を誅せんと欲す。錯之を聞き、即ち夜閒を請ひ、具さに上の為に之を言ふ。丞相事を奏し、因りて錯擅に廟垣を鑿ちて門と為す、廷尉に下して誅せんことを請ふと言ふ。上曰く、「此れ廟垣に非ず、乃ち壖中の垣なり、法に致さず」と。丞相謝す。朝を罷め、怒りて長史に謂ひて曰く、「吾当に先づ斬りて以て聞すべきに、乃ち先づ請ひ、児の売る所と為る、固より誤れり」と。丞相遂に病を発して死す。錯此を以て愈(いよい)よ貴し。遷りて御史大夫と為り、諸侯の罪過を請ひ、其の地を削り、其の枝郡を収めんとす。奏上し、上公卿列侯宗室をして集議せしむ。敢へて難ずる莫く、独り竇嬰之を争ふ。此に由りて錯と卻(げき)有り。錯の更むる所の令三十章、諸侯皆諠譁して鼂錯を疾む。錯の父之を聞き、潁川より来たり、錯に謂ひて曰く、「上初めて即位し、公政を為して事を用ひ、諸侯を侵削し、人の骨肉を別疏す。人口議して多く公を怨む者は、何ぞや」と。鼂錯曰く、「固よりなり。此の如くならずんば、天子尊からず、宗廟安からず」と。錯の父曰く、「劉氏は安けれども、鼂氏は危ふし。吾公を去りて帰らん」と。遂に薬を飲みて死し、曰く、「吾禍の吾が身に及ぶを見るに忍びず」と。
-
『春秋左氏伝』昭公四年 苟も社稷を利せば九月、鄫を取る。易きを言ふなり。莒亂る。著丘公立ちて鄫を撫せず。鄫叛きて來る。故に取ると曰ふ。凡そ邑に克ちて、師徒を用ゐざるを取ると曰ふ。鄭の子產丘賦を作る。國人之を謗りて曰く、「其の父は路に死し、己は蠆尾(たいび)と為りて、以て國に令す。國將に之を若何せん」と。子寬以て告ぐ。子產曰く、「何ぞ害あらん。苟も社稷を利せば、死生之を以てせん。且つ吾聞く、善を為す者は其の度を改めず、故に能く濟すこと有りと。民は逞(ほしいまま)にすべからず、度は改むべからず。詩に曰く、『禮義愆(あやま)たずんば、何ぞ人の言を恤へん』と。吾遷らず」と。渾罕曰く、「國氏其れ先づ亡びんか。君子法を涼(うす)きに作るも、其の敝は猶ほ貪なり。法を貪に作らば、敝將に之を若何せん。姬の列に在る者、蔡及び曹・滕、其れ先づ亡びんか。偪(せま)りて禮無し。鄭は衛に先だちて亡びん。偪りて法無し。政法に率(したが)はずして、心に制す。民各心有り、何の上か之れ有らん」と。冬、吳楚を伐ちて、棘・櫟・麻に入る。以て朱方の役に報ゆるなり。楚の沈尹射夏汭に奔命す。咸尹宜咎鍾離に城き、薳啟疆巢に城き、然丹州來に城く。東國水あり、以て城くべからず。彭生賴の師を罷む。

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見る