淮南子 / 泰族訓
天地四時,非生萬物也,神明接,陰陽和,而萬物生之。聖人之治天下,非易民性也,拊循其所有而滌蕩之,故因則大,化則細矣。禹鑿龍門,辟伊闕,決江濬河,東注之海,因水之流也。后稷墾草發菑,糞土樹穀,使五種各得其宜,因地之勢也。湯、武革車三百乘,甲卒三千人,討暴亂,制夏、商,因民之欲也。故能因,則無敵於天下矣。
新字:天地四時,非生万物也,神明接,陰陽和,而万物生之。聖人之治天下,非易民性也,拊循其所有而滌蕩之,故因則大,化則細矣。禹鑿竜門,辟伊闕,決江濬河,東注之海,因水之流也。后稷墾草発菑,糞土樹穀,使五種各得其宜,因地之勢也。湯、武革車三百乗,甲卒三千人,討暴乱,制夏、商,因民之欲也。故能因,則無敵於天下矣。
書き下し
天地四時は、萬物を生ずるに非ざるなり。神明 接し、陰陽 和して、萬物 之を生ず。聖人の天下を治むるは、民の性を易うるに非ざるなり。其の有する所を拊循して之を滌蕩す。故に因れば則ち大に、化すれば則ち細なり。禹 龍門を鑿ち、伊闕を辟き、江を決し河を濬え、東のかた之を海に注ぐは、水の流れに因ればなり。后稷 草を墾き菑を發き、土を糞し穀を樹え、五種をして各々其の宜しきを得しむるは、地の勢いに因ればなり。湯・武 革車三百乘、甲卒三千人にして、暴亂を討ち、夏・商を制するは、民の欲に因ればなり。故に能く因れば、則ち天下に敵無し。
現代語訳
天地と四季が万物を生んでいるのではない。神妙のはたらきが触れ、陰陽が和して、万物が生まれるのである。聖人が天下を治めるのは、民の性を作り変えることではない。もともと持っているものを撫でさすり、洗い流してやるのである。だから、もとのものに沿えば大きくなり、作り変えようとすれば細る。禹が龍門を穿ち、伊闕を開き、長江を切り黄河を浚って東の海に注いだのは、水の流れに沿ったからである。后稷が草を開き荒地を起こし、土を肥やして穀を植え、五穀それぞれにふさわしい土地を得させたのは、地の勢いに沿ったからである。湯王と武王が兵車三百乗、甲兵三千人で暴虐を討ち、夏と殷を制したのは、民の望みに沿ったからである。だから沿うことができれば、天下に敵はない。
解説
この章句が説くこと
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『淮南子』主術訓禹 江を決し河を疏して、以て天下の為に利を興すも、水をして西流せしむる能わず。稷 土を辟き草を墾きて、以て百姓の為に農に力むるも、然れども禾をして冬に生ぜしむる能わず。豈に其れ人事 至らざらんや。其の勢 不可なればなり。夫れ推して為す可からざるの勢にして、道理の數を修めざれば、神聖の人と雖も以て其の功を成す能わず。而るに況んや當世の主をや。夫れ載すること重くして馬 羸なれば、造父と雖も以て遠きを致す能わず。車 輕く馬 良ければ、中工と雖も速きを追わしむ可し。是の故に聖人の事を舉ぐるや、豈に能く道理の數に拂い、自然の性に詭き、曲を以て直と為し、屈を以て伸と為さんや。未だ嘗て其の資に因りて之を用いずんばあらざるなり。是を以て積力の舉ぐる所は、勝たざる無く、而して眾智の為す所は、成らざる無きなり。
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『淮南子』詮言訓天下を以て爲すこと無き者は、必ず能く天下を活かす者なり。霜雪雨露は、萬物を生殺するも、天 焉に無爲なり。猶お之を天を貴ぶなり。文を厭し法を搔し、官を治め民を理むるは、有司なり。君 焉に無事なるも、猶お君を尊ぶなり。地を辟き草を墾く者は、后稷なり。河を決し江を濬う者は、禹なり。獄を聽き中を制する者は、皋陶なり。聖名有る者は、堯なり。故に道を得て以て禦する者は、身 能無しと雖も、必ず能ある者をして己が用と爲さしむ。其の道を得ざれば、伎藝 多しと雖も、未だ益有らざるなり。方船して江を濟るに、虛船の一方より來たる有り、觸れて之を覆すも、忮心有りと雖も、必ず怨色無し。一人 其の中に在りて、一に張れと謂い、一に歙めよと謂う。再三 呼びて應ぜざれば、必ず醜聲 其の後に隨わん。向には怒らずして今 怒るは、向には虛しくして今 實つればなり。人 能く己を虛しくして以て世に游ばば、孰か能く之を訾らんや。
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『淮南子』詮言訓凡そ身を治め性を養うは、寢處を節し、飲食に適い、喜怒を和し、動靜を便にし、己に在る者をして得しめて、邪氣 因りて生ぜざらしむ。豈に瘕疵と痤疽との發するを憂えて、豫め之に備うるが若けんや。夫れ函牛の鼎 沸きて、蠅蚋 敢えて入らず。昆山の玉 瑱ちて、塵垢 汙す能わざるなり。聖人は去るの心無くして、心に醜無し。取るの美無くして、美 失われず。故に祭祀に親を思いて福を求めず、賓を饗して敬を修めて德を思わず。唯だ求めざる者のみ能く之を有つ。尊位に處る者は、公道有りて私説無きを以て、故に尊と稱せられて、賢と稱せられず。大地を有つ者は、常術有りて鈐謀無きを以て、故に平と稱せられて、智と稱せられず。內に暴事の以て怨を百姓に離る無く、外に賢行の以て忌を諸侯に見わす無し。上下の禮、襲いて離れず。而して論を爲す者 莫然として觀る所を見ず。此れ所謂 形無きを藏する者なり。形無きを藏するに非ざれば、孰か能く形せん。三代の道う所の者は、因なり。故に禹の江河を決するは、水に因ればなり。后稷の種を播き穀を樹うるは、地に因ればなり。湯・武の暴亂を平らぐるは、時に因ればなり。故に天下は得可くして取る可からず。霸王は受く可くして求む可からず。
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『淮南子』原道訓夫れ峭法刻誅なる者は、霸王の業に非ざるなり。箠策繁く用うる者は、遠きを致すの術に非ざるなり。離朱の明は、箴末を百歩の外に察するも、淵中の魚を見る能わず。師曠の聰は、八風の調を合するも、十里の外を聽く能わず。故に一人の能に任ずるは、三畝の宅を治むるに足らざるなり。道理の數を脩め、天地の自然に因らば、則ち六合も均するに足らず。是の故に禹の瀆を決するや、水に因りて以て師と為し、神農の穀を播くや、苗に因りて以て教えと為す。夫れ萍は根を水に樹て、木は根を土に樹て、鳥は虛を排して飛び、獸は實を蹠みて走り、蛟龍は水に居り、虎豹は山に處るは、天地の性なり。兩木相い摩して然え、金火相い守りて流れ、員なる者は常に轉じ、窾なる者は浮くを主るは、自然の勢なり。是の故に春風至れば則ち甘雨降り、萬物を生育し、羽ある者は嫗伏し、毛ある者は孕育し、草木榮華し、鳥獸卵胎するも、其の為す者を見る莫くして、功既に成る。秋風霜を下せば、倒生挫傷し、鷹鵰搏鷙し、昆蟲蟄藏し、草木根に註ぎ、魚鱉淵に湊るも、其の為す者を見る莫くして、滅して形無し。木に處る者は榛巢し、水に居る者は窟穴し、禽獸に芄有り、人民に室有り、陸處は牛馬に宜しく、舟行は水多きに宜しく、匈奴は穢裘を出だし、於越は葛絺を生ず。各ミ急とする所を生じて以て燥溼に備え、各ミ處る所に因りて以て寒暑を禦ぎ、並びに其の宜しきを得て、物は其の所に便なり。此に由りて之を觀れば、萬物は固より以て自然なり、聖人又た何をか事とせんや。
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『淮南子』泰族訓故に大人なる者は、天地と德を合わせ、日月と明を合わせ、鬼神と靈を合わせ、四時と信を合わす。故に聖人は天氣を懷き、天心を抱き、中を執り和を含み、廟堂を下らずして四海に衍り、習を變じ俗を易え、民 化して善に遷ること、諸を己に性とするが若し。能く神を以て化すればなり。詩に云う「神 之を聽き、終に和し且つ平らかなり」と。夫れ鬼神は、之を視れども形無く、之を聽けども聲無し。然れども天を郊し山川を望み、禱祠して福を求め、雩兌して雨を請い、卜筮して事を決す。詩に云う「神の格るや、度る可からず。矧んや射む可けんや」と。此れの謂いなり。