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淮南子 / 泰族訓

宋人有以象為其君為楮葉者,三年而成,莖柯豪芒,鋒殺顏澤,亂之楮葉之中而不可知也。列子曰:「使天地三年而成一葉,則萬物之有葉者寡矣。夫天地之施化也,嘔之而生,吹之而落,豈此契契哉!」故凡可度者,小也;可數者,少也。至大,非度所能及也,至眾,非數所能領也。故九州不可頃畝也,八極不可道里也,太山不可丈尺也,江海不可斗斛也。

新字:宋人有以象為其君為楮葉者,三年而成,茎柯豪芒,鋒殺顏沢,乱之楮葉之中而不可知也。列子曰:「使天地三年而成一葉,則万物之有葉者寡矣。夫天地之施化也,嘔之而生,吹之而落,豈此契契哉!」故凡可度者,小也;可数者,少也。至大,非度所能及也,至眾,非数所能領也。故九州不可頃畝也,八極不可道里也,太山不可丈尺也,江海不可斗斛也。

書き下し

宋人に象を以て其の君の爲に楮葉を爲る者有り。三年にして成る。莖柯 豪芒、鋒殺 顏澤、之を楮葉の中に亂せば知る可からざるなり。列子曰く「天地をして三年にして一葉を成さしめば、則ち萬物の葉有る者 寡なからん。夫れ天地の施化するや、之を嘔みて生じ、之を吹きて落つ。豈に此れ契契たらんや」と。故に凡そ度る可き者は、小なり。數う可き者は、少なり。至大は、度の能く及ぶ所に非ざるなり。至眾は、數の能く領する所に非ざるなり。故に九州は頃畝す可からず、八極は道里す可からず、太山は丈尺す可からず、江海は斗斛す可からざるなり。

現代語訳

宋の人で、象牙で君主のために楮の葉を彫った者がいた。三年かかって仕上がった。茎も枝も細い毛先も、刃の入り方も色艶も本物どおりで、本物の楮の葉に混ぜたら見分けがつかなかった。列子は言った。「天地が三年かけて一枚の葉を作るのなら、葉を持つ物は少なかろう。天地が変化を施すときは、息を吐いて生やし、吹いて落とす。どうしてそんなに難儀するものか」。だから、測れるものは小さい。数えられるものは少ない。極めて大きなものは、ものさしの及ぶところではない。極めて多いものは、数の扱えるところではない。だから九州を畝で測ることはできず、八方の果てを里数で言うことはできず、泰山を丈尺で測ることはできず、長江や海を枡で量ることはできない。

解説

三年で一枚。見分けがつかないほど精巧です。列子の批評が痛烈で、天地はその葉を息ひとつで生やし、吹いて落とす。うまさの水準ではなく、けたが違う。「凡そ度る可き者は、小なり。數う可き者は、少なり」——測れるうちは小さい話だ、という一行が、この章の柱です。

この章句が説くこと

宋人に象を以て其の君の為に楮葉を為る者有り三年にして成る之を楮葉の中に乱せば知る可からざるなり天地をして三年にして一葉を成さしめば則ち万物の葉有る者寡なからん天地の施化するや之を嘔みて生じ之を吹きて落つ凡そ度る可き者は小なり数う可き者は少なり規模

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