淮南子 / 泰族訓
故國危亡而天文變,世惑亂而虹霓現,萬物有以相連,精祲有以相蕩也。故神明之事,不可以智巧為也,不可以筋力致也。天地所包,陰陽所嘔,雨露所濡,化生萬物,瑤碧玉珠,翡翠玳瑁,文彩明朗,潤澤若濡,摩而不玩,外而不渝,奚仲不能旅,魯般不能造,此謂之大巧。
新字:故国危亡而天文変,世惑乱而虹霓現,万物有以相連,精祲有以相蕩也。故神明之事,不可以智巧為也,不可以筋力致也。天地所包,陰陽所嘔,雨露所濡,化生万物,瑤碧玉珠,翡翠玳瑁,文彩明朗,潤沢若濡,摩而不玩,外而不渝,奚仲不能旅,魯般不能造,此謂之大巧。
書き下し
故に國 危亡して天文 變じ、世 惑亂して虹霓 現わる。萬物 以て相い連なること有り、精祲 以て相い蕩かすこと有ればなり。故に神明の事は、智巧を以て爲す可からず、筋力を以て致す可からず。天地の包む所、陰陽の嘔む所、雨露の濡す所、化して萬物を生ず。瑤碧玉珠、翡翠玳瑁、文彩 明朗、潤澤 濡うが若く、摩して玩ならず、外にして渝わらず。奚仲も旅ぬる能わず、魯般も造る能わず。此れ之を大巧と謂う。
現代語訳
国が危うくなれば天文が変わり、世が乱れれば虹が現れる。万物には互いにつながるところがあり、澄んだ気と濁った気が互いを揺り動かすからである。だから神妙のはたらきは、知恵や技巧では成せず、力では届かない。天地が包み、陰陽が育み、雨露が潤し、変化して万物を生む。瑶や碧、玉や珠、翡翠や玳瑁は、模様は明るく、艶は濡れたようで、撫でても摩り減らず、外に置いても色を変えない。奚仲でも作れず、魯般でも造れない。これを大いなる巧みという。
解説
「智巧を以て爲す可からず、筋力を以て致す可からず」。名工の奚仲も魯般も、玉の艶だけは作れません。撫でても減らず、外に置いても変わらない——長い時間をかけて出来上がったものの手ざわりです。技術のうまさとは別の系統の「巧み」がある、という一段です。
この章句が説くこと
国危亡して天文変じ世惑乱して虹霓現わる万物以て相い連なること有り精祲以て相い蕩かすこと有ればなり神明の事は智巧を以て為す可からず筋力を以て致す可からず瑤碧玉珠文彩明朗潤沢濡うが若く摩して玩ならず外にして渝わらず奚仲も旅ぬる能わず魯般も造る能わず此れ之を大巧と謂う技巧
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『淮南子』泰族訓天は日月を設け、星辰を列ね、陰陽を調え、四時を張り、日は以て之を暴し、夜は以て之を息わしめ、風は以て之を幹かし、雨露は以て之を濡す。其の物を生ずるや、其の養う所を見ること莫くして物 長ず。其の物を殺すや、其の喪う所を見ること莫くして物 亡ぶ。此れを之れ神明と謂う。聖人 之に象る。故に其の福を起こすや、其の由る所を見ずして福 起こる。其の禍を除くや、其の以てする所を見ずして禍 除かる。之を遠ざくれば則ち邇く、之を延けば則ち疏し。之を稽うるも得ず、之を察するも虛しからず。日に計れば算無く、歲に計れば餘り有り。
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