淮南子 / 脩務訓
昔者,蒼頡作書,容成造曆,胡曹為衣,后稷耕稼,儀狄作酒,奚仲為車,此六人者,皆有神明之道,聖智之跡,故人作一事而遺後世,非能一人而獨兼有之。各悉其知,貴其所欲達,遂為天下備。今使六子者易事,而明弗能見者何?萬物至眾,而知不足以奄之。周室以後,無六子之賢,而皆修其業;當世之人,無一人之才,而知其六賢之道者何?教順施續,而知能流通。由此觀之,學不可已,明矣!
新字:昔者,蒼頡作書,容成造暦,胡曹為衣,后稷耕稼,儀狄作酒,奚仲為車,此六人者,皆有神明之道,聖智之跡,故人作一事而遺後世,非能一人而独兼有之。各悉其知,貴其所欲達,遂為天下備。今使六子者易事,而明弗能見者何?万物至衆,而知不足以奄之。周室以後,無六子之賢,而皆修其業;当世之人,無一人之才,而知其六賢之道者何?教順施続,而知能流通。由此観之,学不可已,明矣!
書き下し
昔者、蒼頡は書を作り、容成は曆を造り、胡曹は衣を爲り、后稷は耕稼し、儀狄は酒を作り、奚仲は車を爲る。此の六人なる者は、皆な神明の道、聖智の跡有り。故に人 一事を作して後世に遺す。能く一人にして獨り兼ねて之を有するに非ざるなり。各々其の知を悉くし、其の達せんと欲する所を貴び、遂に天下の備えと爲る。今 六子なる者をして事を易えしめば、而して明らかに見る能わざる者は何ぞ。萬物 至って眾くして、知 以て之を奄うに足らざればなり。周室より以後、六子の賢無くして、皆な其の業を修む。當世の人、一人の才無くして、其の六賢の道を知る者は何ぞ。教え順に施し續きて、知 能く流通すればなり。此れに由りて之を觀れば、學は已む可からざること、明らかなり。
現代語訳
昔、蒼頡は文字を作り、容成は暦を作り、胡曹は衣を作り、后稷は耕作を教え、儀狄は酒を作り、奚仲は車を作った。この六人には、みな神妙の道、聖なる知恵のあとがある。人はそれぞれ一つの事を成し遂げて後世に遺した。一人ですべてを兼ね備えられたのではない。各自がその知恵を尽くし、自分が行き着きたいところを大事にして、結果として天下の備えとなった。いま、この六人に仕事を取り替えさせたら、うまく見通せないのはなぜか。万物はあまりに多くて、一人の知ではとても覆えないからである。周王室より後、六人ほどの賢者はいないのに、みなその技を修めている。いまの世の人は、六人の誰か一人ほどの才もないのに、その六賢の道を知っているのはなぜか。教えが順に施され受け継がれて、知が流れ通っているからである。ここから見れば、学はやめられないことが明らかである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『墨子』尚賢中然らば則ち天の能を使いし所の者は誰ぞや。曰く、昔者の禹・稷・臯陶の若き是れなり。何を以て其の然るを知るや。先王の書、呂刑、之を道いて曰く、「皇帝、清く下民に問う。苗に辭有り、曰く、『羣后の逮ぶこと下に在り、明明として常を棐け、鰥寡も盖わるる無し。徳の威、維れ威、徳の明、維れ明なり』と。乃ち三后に命じて、功を民に恤えしむ。伯夷は典を降して、民を折くに維れ刑を以てす。禹は水土を平らげ、名山川を主る。稷は播種を降して、嘉榖を農殖す。三后、功を成し、維れ民に殷んなり」と。
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論語・憲問篇子曰く、命を為るに、裨諶之を草創し、世叔之を討論し、行人子羽之を脩飾し、東里の子産之を潤色す。
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『学問のすゝめ』三編・一身独立して一国独立すること・権義あればしたがって職分ありもとより国の政をなす者は政府にて、その支配を受くる者は人民なれども、こはただ便利のために双方の持ち場を分かちたるのみ。一国全体の面目にかかわることに至りては、人民の職分として政府のみに国を預け置き、傍よりこれを見物するの理あらんや。すでに日本国の誰、英国の誰と、その姓名の肩書に国の名あれば、その国に住居し、起居眠食、自由自在なるの権義あり。すでにその権義あれば、またしたがってその職分なかるべからず。
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『政談』諸役人職分支配を分つ事公事裁判幷に刑罰のことは別に公事奉行と云ふ者を立てゝ、牢屋なとは此の下に属し、寺社町方百姓ともに公事幷に刑罰は之にて掌さしむへし、当時は譬へは武家科人も刑罰詮議に及ふときは町奉行へ渡すこと、是武家町人の差別分れず甚た宜しからさることなり、此の外作事普請の筋亦一筋なるへし、当時は作事奉行普請奉行と分るゝこと詮もなきことなり、武備の一まき武器のことは古は兵次部の掌りなり、是れ亦一筋なるへし、又其の外諸細工のたくひ是亦一筋なるへし、古工部の役人ありて之を掌る故些細の細工の筋役人功者にて器物丈夫なり、当時は我人も町奉行の下につけ之を掌る役人なき故何事も職人任せになり、たゝ直段のことはかりを役人は詮議するやうなり、又当時は上の御好ある故奥向の衆承はりて之を掌る故人々逼にして奸曲も之より生すると見えたり、
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福沢諭吉小品集・学問の独立・第18段人間社会の事は千緒万端にして、ただ政治のみをもって組織すべきものに非ず。人の働もまた、千緒万端に分別してこれに応ぜざるべからず。すなわち人事の分業分任なり。すでにこれを分てこれに任ずるときは、おのおの長ずるところあるべきは自然の理にして、農商の事に長ずるものあり、工芸技術に長ずるものあり、あるいは学問に長じ、あるいは政治に長ずる等、相互に争うべからざるものあるがゆえに、この事に長ずるものは、この事の長者としてこれを貴び、その業に長ずる者は、その業の長者としてこれに最上の栄誉をあたうるもまた、自然の理において許すべきものなり。たとえば大関が相撲最上の長者なれば、九段は碁将棋最上の長者にして、その長者たるや、一等官が政事の長者たるに異ならざるなり。 されば、生れながらにして学に志し、畢生の精神を自身の研究と他人の教導とに用いて、その一方に長ずる者は、学問社会の長者にして、これまた一等官が政事の長者たるに異ならざるや、もとより明白なり。而してその相撲の大関または碁将棋の九段なる者が、太政大臣と同一様の栄誉を得ざるは何ぞや。相撲と碁将棋とは、その事柄において、これを政事に比して軽重の別あるがゆえに、その軽重の差にしたがいて、双方の長と長と比肩するを得ざるものなりといえども、今一国文明の進歩を目的に定めて、政事と学事と相互に比較したらば、いずれを重しとし、いずれを軽しとするは、判断においてはなはだ難き事ならん。 学者をして学問の貴きを説かしめたらば、政事の如きは小児の戯にして論ずるに足らざるものなりといい、政事家もまた学問を蔑視して、実用に足らざる老朽の空論なりとすることならんといえども、これはいわゆる双方の偏頗論にして、公平にいえば、政事も学問もともに人事の至要にして、双方ともに一日も空しゅうすべからず。政事は実際の衝にあたって大切なり。学問は永遠の大計を期して大切なり。政事は目下の安寧を保護して学者の業を安からしめ、学問は人を教育して政事家をも陶冶し出だす。双方ともに毫も軽重あることなしとの裁判にて、双方に不平なかるべし。
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