淮南子 / 人間訓
何謂與之而反取之?晉獻公欲假道於虞以伐虢,遺虞垂棘之璧與屈產之乘。虞公惑於璧與馬,而欲與之道。宮之奇諫曰:「不可!夫虞之與虢,若車之有輪,輪依於車,車亦依輪。虞之與虢,相恃而勢也。若假之道,虢朝亡而虞夕從之矣。」虞公弗聽,遂假之道。荀息伐虢,遂克之。還反伐虞,又拔之。此所謂與之而反取者也。
新字:何謂与之而反取之?晋献公欲仮道於虞以伐虢,遺虞垂棘之璧与屈産之乗。虞公惑於璧与馬,而欲与之道。宮之奇諫曰:「不可!夫虞之与虢,若車之有輪,輪依於車,車亦依輪。虞之与虢,相恃而勢也。若仮之道,虢朝亡而虞夕従之矣。」虞公弗聴,遂仮之道。荀息伐虢,遂克之。還反伐虞,又抜之。此所謂与之而反取者也。
書き下し
何をか之に與えて反って之を取ると謂う。晉の獻公 道を虞に假りて以て虢を伐たんと欲し、虞に垂棘の璧と屈產の乘とを遺る。虞公 璧と馬とに惑いて、之に道を與えんと欲す。宮之奇 諫めて曰く「不可なり。夫れ虞の虢に與けるは、車の輪有るが若し。輪は車に依り、車も亦た輪に依る。虞の虢に與けるは、相い恃みて勢たるなり。若し之に道を假さば、虢 朝に亡びて虞 夕べに之に從わん」と。虞公 聽かず、遂に之に道を假す。荀息 虢を伐ちて、遂に之に克つ。還り反りて虞を伐ち、又た之を拔く。此れ所謂 之に與えて反って取る者なり。
現代語訳
与えておいてかえって取り上げるとはどういうことか。晋の献公が虞に道を借りて虢を伐とうとし、虞に垂棘の璧と屈産の馬とを贈った。虞公は璧と馬に目がくらんで、道を貸そうとした。宮之奇が諫めて言った。「いけません。虞と虢の関係は、車に輪があるようなものです。輪は車に依り、車もまた輪に依る。虞と虢は互いに頼り合ってこその勢いです。もし道を貸せば、虢が朝に滅び、虞は夕方にそれに従うでしょう」。虞公は聞き入れず、ついに道を貸した。荀息は虢を伐ってこれに勝った。帰り道に虞を伐ち、これも抜いた。これがいわゆる「与えておいてかえって取り上げる」である。
解説
この章句が説くこと
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