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淮南子 / 氾論訓

今世之祭井灶、門戶、箕箒、臼杵者,非以其神為能饗之也,恃賴其德,煩苦之無已也。是故以時見其德,所以不忘其功也。觸石而出,膚寸而合,不崇朝而雨天下者,唯太山;赤地三年而不絕流,澤及百里而潤草木者,唯江、河也;是以天子秩而祭之。故馬免人於難者,其死也葬之;牛,其死也,葬以大車為薦。牛馬有功,猶不可忘,又況人乎!此聖人所以重仁襲恩。

新字:今世之祭井灶、門戸、箕箒、臼杵者,非以其神為能饗之也,恃頼其徳,煩苦之無已也。是故以時見其徳,所以不忘其功也。触石而出,膚寸而合,不崇朝而雨天下者,唯太山;赤地三年而不絶流,沢及百里而潤草木者,唯江、河也;是以天子秩而祭之。故馬免人於難者,其死也葬之;牛,其死也,葬以大車為薦。牛馬有功,猶不可忘,又況人乎!此聖人所以重仁襲恩。

書き下し

今世の井灶・門戶・箕箒・臼杵を祭るは、其の神の能く之を饗くと爲すに非ざるなり。其の德に恃賴し、煩苦すること已む無ければなり。是の故に時を以て其の德を見すは、其の功を忘れざる所以なり。石に觸れて出で、膚寸にして合し、崇朝ならずして天下に雨ふらす者は、唯だ太山のみ。赤地三年にして流れを絕たず、澤 百里に及びて草木を潤す者は、唯だ江・河のみ。是を以て天子 秩して之を祭る。故に馬の人を難より免れしむる者は、其の死するや之を葬る。牛は、其の死するや、葬るに大車を以て薦と爲す。牛馬すら功有れば、猶お忘る可からず。又た況んや人をや。此れ聖人の仁を重んじ恩を襲ぬる所以なり。

現代語訳

いまの世で井戸や竈、戸口や箕や箒や臼杵を祭るのは、その神が供物を享けられるからではない。その徳に頼り、それらが煩わしい苦労を絶え間なく引き受けているからである。だから時を決めてその徳を表すのは、その功を忘れないためである。石に触れて雲が出て、わずかの間に合わさり、朝のうちに天下に雨を降らせるのは、泰山だけである。三年干上がっても流れを絶やさず、恵みが百里に及んで草木を潤すのは、長江と黄河だけである。だから天子は序列を定めてこれを祭る。だから人を危難から救った馬は、死ねば葬る。牛は、死ねば大車を敷物にして葬る。牛や馬でさえ功があれば忘れてはならない。まして人ならなおさらである。これが聖人が仁を重んじ恩を重ねる理由である。

解説

台所の道具まで祭る風習を、神への供物ではなく功への記憶として説明します。「其の功を忘れざる所以なり」。毎日黙って苦労を引き受けているものに、年に一度向き直る。そこから泰山と大河が挙がり、最後は人を救った馬や牛の埋葬へ。「牛馬すら功有れば、猶お忘る可からず。又た況んや人をや」。忘れないための仕組みとして、祭りが位置づけられています。

この章句が説くこと

今世の井灶・門戸・箕箒・臼杵を祭るは其の神の能く之を饗くと為すに非ず其の徳に恃頼し煩苦すること已む無ければなり時を以て其の徳を見すは其の功を忘れざる所以なり石に触れて出で崇朝ならずして天下に雨ふらす者は唯だ太山のみ牛馬すら功有れば猶お忘る可からず又た況んや人をや感謝

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