淮南子 / 氾論訓
秦穆公出遊而車敗,右服失馬,野人得之。穆公追而及之岐山之陽,野人方屠而食之。穆公曰:「夫食駿馬之肉,而不還飲酒者,傷人。吾恐其傷汝等。」遍飲而去之。處一年,與晉惠公為韓之戰,晉師圍穆公之車,梁由靡扣穆公之驂,獲之。食馬肉者三百餘人,皆出死為穆公戰於車下,遂克晉,虜惠公以歸。此用約而為德者也。
新字:秦穆公出遊而車敗,右服失馬,野人得之。穆公追而及之岐山之陽,野人方屠而食之。穆公曰:「夫食駿馬之肉,而不還飲酒者,傷人。吾恐其傷汝等。」遍飲而去之。処一年,与晋恵公為韓之戦,晋師囲穆公之車,梁由靡扣穆公之驂,獲之。食馬肉者三百余人,皆出死為穆公戦於車下,遂克晋,虜恵公以帰。此用約而為徳者也。
書き下し
秦の穆公 出遊して車 敗る。右服 馬を失い、野人 之を得たり。穆公 追いて之に岐山の陽に及ぶ。野人 方に屠りて之を食らう。穆公曰く、「夫れ駿馬の肉を食らいて、酒を還飲せざる者は、人を傷る。吾 其の汝等を傷らんことを恐る」と。遍く飲ましめて之を去る。一年を處て、晉の惠公と韓の戰いを爲す。晉師 穆公の車を圍み、梁由靡 穆公の驂を扣えて、之を獲たり。馬肉を食らいし者三百餘人、皆な死を出だし穆公の爲に車下に戰う。遂に晉に克ち、惠公を虜にして以て歸る。此れ約を用いて德を爲す者なり。
現代語訳
秦の穆公が遠出して車が壊れた。右の添え馬が逃げ、野の人がそれを捕まえた。穆公は追いかけて岐山の南で追いついた。野の人はちょうど馬を屠って食べていた。穆公は言った、「駿馬の肉を食べて酒を飲まないと、人は体を損なう。私はおまえたちが傷むのを心配する」。全員に酒を飲ませて立ち去った。一年後、晋の恵公と韓で戦った。晋軍が穆公の車を囲み、梁由靡が穆公の添え馬を押さえて、捕らえられかけた。馬肉を食べた三百余人が、みな命を投げ出して穆公のために車の下で戦った。ついに晋に勝ち、恵公を捕虜にして帰った。これが少ない元手で徳をなした例である。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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説苑・復恩秦の繆公嘗て出づるに、其の駿馬を亡ふ、自ら往きて之を求む、人已に其の馬を殺し、方に共に其の肉を食らふを見る、繆公謂ひて曰く、「是れ吾が駿馬なり」と。諸人皆懼れて起つ、繆公曰く、「吾聞く、駿馬の肉を食らひて、酒を飲まざれば人を殺す、と」と。即ち次を以て之に酒を飲ましむ、馬を殺せし者皆慚ぢて去る。居ること三年、晋秦の繆公を攻めて、之を囲む、往時馬の肉を食らひし者、相謂ひて曰く、「以て死に出でて食馬得酒の恩に報ゆべし」と。遂に囲を潰る。繆公卒に以て難を解くを得、晋に勝ちて恵公を獲て以て帰る、此れ徳出でて福反るなり。
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史記 秦本紀初め、繆公善馬を亡ふ、岐下の野人共に得て之を食らふ者三百餘人、吏逐ひ得て、之を法せんと欲す。繆公曰く、「君子は畜産を以て人を害せず。吾聞く善馬の肉を食らひて酒を飲まざれば、人を傷ると」と。乃ち皆酒を賜ひて之を赦す。三百人の者秦の晉を撃つを聞き、皆従はんことを求め、従ひて繆公の窘するを見、亦た皆鋒を推して死を争ひ、以て馬を食らひしの徳に報ゆ。
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呂氏春秋・愛士②昔者、秦の繆公、駕に乘りて車敗を為し、右服失して、埜人之を取る。繆公自ら往きて之を求むるに、埜人方將に之を岐山の陽に食らわんとするを見る。繆公歎じて曰く、駿馬の肉を食らいて、還やかに酒を飲まずんば、余、其の女を傷わんことを恐るるなり、と。是に於て遍く飲ましめて去る。處ること一年、韓原の戰を為す。晉人已に繆公の車を環み、晉の梁由靡已に繆公の左驂を扣え、晉の惠公の右の路石、投を奮いて繆公の甲を撃ち、之に中つる者已に六札なり。埜人の嘗て馬肉を岐山の陽に食らう者三百有餘人、力を畢くして繆公の為に疾やく車下に鬭い、遂に大いに晉に克ち、反て惠公を獲て以て歸る。此れ詩の所謂、君子に君たれば則ち正、以て其の德を行わしめ、賤人に君たれば則ち寬、以て其の力を盡くさしむ、と曰う者なり。人主其れ胡ぞ以て德を行い人を愛することを務めること無かる可けんや。徳を行い人を愛すれば則ち民其の上に親しみ、民其の上に親しめば、則ち皆其の君の為に死することを樂しむ。
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史記 秦本紀聴かず、而して陰かに豹を用ゐる。十二年、斉の管仲・隰朋死す。晋旱し、来たりて粟を請ふ。丕豹繆公に説きて与ふる勿からしめ、其の饑に因りて之を伐たんとす。繆公公孫支に問ふ。支曰く、「饑穣は更事なるのみ、与へざる可からず」と。百里傒に問ふ。傒曰く、「夷吾罪を君に得たり、其の百姓何の罪かあらん」と。是に於て百里傒・公孫支の言を用ゐ、卒に之に粟を与ふ。船漕車転を以てし、雍より相望みて絳に至る。十四年、秦饑ゑ、粟を晋に請ふ。晋君之を群臣に謀る。虢射曰く、「其の饑に因りて之を伐たば、大功有る可し」と。晋君之に従ふ。十五年、兵を興して将に秦を攻めんとす。繆公兵を発し、丕豹をして将たらしめ、自ら往きて之を撃つ。九月壬戌、晋の恵公夷吾と韓の地に合戦す。晋君其の軍を棄て、秦と利を争ひ、還りて馬騺る。繆公麾下と馳せて之を追ふも、晋君を得る能はず、反りて晋軍の囲む所と為る。晋繆公を撃ち、繆公傷つく。是に於て岐下の善馬を食らひし者三百人、馳せて晋軍を冒す。晋軍囲みを解き、遂に繆公を脱して反りて晋君を生け得たり。
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国語・晋語三六年、秦歳定まり、師を帥いて晋を侵し、韓に至る。公慶鄭に謂いて曰く、「秦寇深し、奈何(いかん)せん」と。慶鄭曰く、「君其の怨みを深くす、能く其の寇を浅くせんや。鄭の知る所に非ざるなり、君其れ射(せき)に訊(と)え」と。公曰く、「舅(きゅう)の病む所か」と。右を卜するに、慶鄭吉なり。公曰く、「鄭や遜(したが)わず」と。家僕徒(かぼくと)を以て右と為し、歩揚(ほよう)戎に御す。梁由靡韓簡(かんかん)に御し、虢射右と為り、以て公に承(つ)ぐ。 公秦の師を禦ぎ、韓簡をして師を視しむ。曰く、「師は我より少なきも、闘士は衆し」と。公曰く、「何の故ぞ」と。簡曰く、「君の出ずるや己に処り、入るや己を煩わし、饑えて其の糴を食う。三たび施して報い無し、故に来たる。今又之を撃たば、秦慍(いか)らざる莫く、晋怠らざる莫し。闘士是の故に衆し」と。公曰く、「然り。今我撃たずんば、帰りて必ず狃(あなど)らん。一夫すら狃らしむべからず、而るを況んや国をや」と。公韓簡をして戦いを挑ましめて曰く、「昔君の恵みや、寡人未だ之を敢えて忘れず。寡人衆有り、能く之を合わすも離す能わず。君若し還らば、寡人の願いなり。君若し還らずんば、寡人将に避くる所無からんとす」と。穆公彫戈(ちょうか)を衡(よこ)たえて出でて使者に見えて曰く、「昔君の未だ入らざるや、寡人の憂いなり。君入りて列未だ成らざるも、寡人未だ敢えて忘れず。今君既に定まりて列成れり。君其れ列を整えよ、寡人将に親(みずか)ら見(まみ)えんとす」と。 客還る。公孫枝進み諫めて曰く、「昔君の公子重耳を納れずして晋君を納れしは、是れ君の徳を置かずして服を置けるなり。置きて遂げず、撃ちて勝たずんば、其れ諸侯の笑いと為るを若何(いかん)せん。君盍ぞ之を待たざる」と。穆公曰く、「然り。昔吾の公子重耳を納れずして晋君を納れしは、是れ吾徳を置かずして服を置けるなり。然れども公子重耳実に肯(がえ)んぜず、吾又奚(なに)をか言わんや。其の内主を殺し、其の外賂に背く。彼塞ぎて我施す、若し天無からんか。若し天有らば、吾必ず之に勝たん」と。君大夫に揖して車に就かしめ、君鼓して之を進む。晋の師潰(つい)え、戎馬濘(でい)して止まる。公慶鄭に号(さけ)びて曰く、「我を載せよ」と。慶鄭曰く、「善を忘れて徳に背き、又吉卜を廃す、何ぞ我をこれ載せん。鄭の車は以て君の避くるを辱むるに足らざるなり」と。梁由靡韓簡に御し、秦公を輅(むか)えて、将に之を止めんとす。慶鄭曰く、「釈(す)てて来たりて君を救え」と。亦救う克(あた)わず、遂に秦に止めらる。
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『淮南子』人間訓秦の穆公 孟盟をして兵を舉げて鄭を襲わしめ、周を過ぎて東す。鄭の賈人 弦高・蹇他 相い與に謀りて曰く「師 行くこと數千里、數々諸侯の地を絕つ。其の勢 必ず鄭を襲わん。凡そ國を襲う者は、以て備え無しと爲せばなり。今 示すに其の情を知るを以てせば、必ず敢えて進まざらん」と。乃ち鄭伯の命を矯めて、十二牛を以て之を勞う。三率 相い與に謀りて曰く「凡そ人を襲う者は、以て知らずと爲せばなり。今 已に之を知れり。守備 必ず固し。進むも必ず功無からん」と。乃ち師を還して反る。晉の先軫 兵を舉げて之を擊ち、大いに之を殽に破る。鄭伯 乃ち國を存するの功を以て弦高を賞す。弦高 之を辭して曰く「誕きて賞を得ば、則ち鄭國の信 廢れん。國を爲めて信無きは、是れ俗の敗るるなり。一人を賞して國俗を敗るは、仁者の爲さざるなり。不信を以て厚賞を得るは、義者の爲さざるなり」と。遂に其の屬を以て東夷に徙り、終身 反らず。

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