淮南子 / 氾論訓
昔者曹子為魯將兵,三戰不勝,亡地千里。使曹子計不顧後,足不旋踵,刎頸於陳中,則終身為破軍擒將矣。然而曹子不羞其敗,恥死而無功。柯之盟,揄三尺之刃,造桓公之胸,三戰所亡,一朝而反之,勇聞于天下,功立於魯國。管仲輔公子糾而不能遂,不可謂智;遁逃奔走,不死其難,不可謂勇;束縛桎梏,不諱其恥,不可謂貞。當此三行者,布衣弗友,人君弗臣。然而管仲免於累紲之中,立齊國之政,九合諸侯,一匡天下。使管仲出死捐軀,不顧後圖,豈有此霸功哉!
新字:昔者曹子為魯将兵,三戦不勝,亡地千里。使曹子計不顧後,足不旋踵,刎頸於陳中,則終身為破軍擒将矣。然而曹子不羞其敗,恥死而無功。柯之盟,揄三尺之刃,造桓公之胸,三戦所亡,一朝而反之,勇聞于天下,功立於魯国。管仲輔公子糾而不能遂,不可謂智;遁逃奔走,不死其難,不可謂勇;束縛桎梏,不諱其恥,不可謂貞。当此三行者,布衣弗友,人君弗臣。然而管仲免於累紲之中,立斉国之政,九合諸侯,一匡天下。使管仲出死捐躯,不顧後図,豈有此覇功哉!
書き下し
昔者 曹子 魯の爲に兵を將い、三たび戰いて勝たず、地を亡うこと千里なり。曹子をして計 後を顧みず、足 踵を旋らさず、頸を陳中に刎ねしめば、則ち終身 破軍擒將と爲らん。然れども曹子は其の敗を羞じずして、死して功無きを恥ず。柯の盟に、三尺の刃を揄げて、桓公の胸に造る。三戰に亡う所、一朝にして之を反す。勇 天下に聞こえ、功 魯國に立つ。管仲 公子糾を輔けて遂ぐる能わざるは、智と謂う可からず。遁逃奔走して、其の難に死せざるは、勇と謂う可からず。束縛桎梏せられて、其の恥を諱まざるは、貞と謂う可からず。此の三行に當たる者は、布衣も友とせず、人君も臣とせず。然れども管仲 累紲の中より免れて、齊國の政を立て、九たび諸侯を合し、一たび天下を匡す。管仲をして死を出だし軀を捐て、後圖を顧みざらしめば、豈に此の霸功有らんや。
現代語訳
昔、曹子が魯のために兵を率い、三度戦って勝てず、千里の土地を失った。もし曹子が後先を考えず、踵を返さずに、陣中で首をはねていたら、生涯「軍を破られ将を捕らえられた者」で終わっただろう。だが曹子は敗北を恥じず、功なく死ぬことを恥じた。柯の盟の席で、三尺の刃を掲げて桓公の胸元に迫った。三度の戦で失ったものを、一朝にして取り返した。勇は天下に聞こえ、功は魯の国に立った。管仲が公子糾を助けて成し遂げられなかったのは、知恵とはいえない。逃げ走ってその難に殉じなかったのは、勇とはいえない。縛られ枷をはめられてその恥を避けなかったのは、貞節とはいえない。この三つに当てはまる者は、庶民でも友とせず、君主でも臣としない。それでも管仲は縄目から解かれて斉の政を立て、九度諸侯を集め、天下を正した。もし管仲が命を投げ出して後の計を顧みなかったら、この覇業があっただろうか。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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言志四録・言志晩録 第二百四十条 恥を知れば則ち恥無し人は恥無かるべからず。又悔無かるべからず。悔を知れば則ち悔無く、恥を知れば則ち恥無し。
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論語・憲問篇憲、恥を問う。子曰わく、邦に道あれば穀し、邦に道無くして穀するは、恥なり。
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『正法眼蔵随聞記』巻六示して云く、人を愧づべくんば明眼の人を愧づべし、予在宋の時天童の浄和尚、侍者に請するにいはく、元子は外国人たりといへども、器量人なりと云ふて請す、予堅く此を辞す、其故は和国に聞へん為にも、学道の稽古の為にも、大切なれども、衆中に具眼の人ありて、外国人として大叢林の侍者たらんこと、大国に人なきに似たりと難ずることやあらん、最もはぢつべしと思ひて、書状を以て此旨をのべしかば、浄和尚聞て、国を重んじ、人を愧づることを感じ、許して更に請し玉はざりしなり、
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『講孟余話』離婁上 第七章此の章、公孫丑上篇第七章と同一の手段、同一の議論にして、均しく恥の一字を以て人を激励す。恥の一字は孟子喫緊の語なり。故に云ふ「人は以て恥無かるべからず」、又云ふ「恥の人に於ける大なり」(並びに盡心上篇に見ゆ)。然れども恥を知らぬ人に至りては、孟子の説も亦窮すべし。斉の景公の涕出でて呉に女すを見て、一時の権道、保国の良図と思ふの族は、人間に羞恥と云ふことあるを夢にも知らず。斯の人をして路に当たらしめば、国体を失ひ国事を誤ること、豈に限りあらんや。然れども恥は人心必有の物なれば、木石に非ざるよりは恥なきことを得ず。其の恥なきと云ふ者は、真に恥なきに非ず。恥づと雖も是れを処することなき故に、強ひて恥ぢざるの容をなすのみ。其の中心益々自ら恥づるなり。是れに因りて孟子又是れを処するの法を掲示し、遂に五年・七年等の効験を挙げて是れを歓動す。是に於て誰か敢へて羞恥を棄てて効験に趨かざらんや。況んや文王を師とするは甚だ容易なることにて、即ち上章反求在身の説に過ぎず。其の政に発する者は民を養ひ且つ教ふるに過ぎず。其の兵に発する者は民を弔ひ罪を伐つに過ぎず。已に羞恥の甚しきを知り、又効験の易きを知る。誰か敢へて其の図を改めざらんや。如何ぞ今人頑然として移らざる。時に復た孟子あることなし。吾将た誰をか尤めん。悲しいかな。
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『驢鞍橋』卷中又此の恥は、浮世の人知らされば、苦しからずとは云はんや。夢幻なる人間の中の恥をだに愚に思ふは更になし。況や未来永劫の恥に於てをや。此の理をしらさるを、理を知る人と云はんや、義ある人となさんや。さりとては兼て思ひ知り給ふへし。理ある人間ならは、是れを恐るへし。義ある人ならは、勇猛堅固の心釼を以て、生死の敵を截断して、大平に住すへしと云ふはさまざまの異生となり、悪道に輪廻し、世々生々耻を曝さん事、口惜き事に非すや。是れを永劫の苦みと云ふ也。是れをかへりみすと云ふこと有らんや。なに人の知るぞ知らぬぞと云ふ間ならんや。さりとては兼てよふ思ひ知り、勇猛心を以て生死を修し離れて、大安楽に住せよと云ふ事也。是れまてはいさめの分式也。末はおつとつて心の用ゐ様也。
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『慎思録』巻之二人の世に在るや、恥づべき者五つ。寒餓の士、溝壑に転死する者は、与り存せず。人の子為る者、不孝にして父母に順はざる、一の恥づべきなり。人の臣為る者、其の位に居りて素餐し、且つ節に死せざる、二の恥づべきなり。民の父母為りて、其の民を養ふこと能はざる、三の恥づべきなり。学びて道を知ること能はざる、四の恥づべきなり。知りて行ふこと能はざる、五の恥づべきなり。

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