淮南子 / 氾論訓
武王崩,成王幼少,周公繼文王之業,履天子之籍,聽天下之政,平夷狄之亂,誅管、蔡之罪,負扆而朝諸侯,誅賞制斷,無所顧問,威動天地,聲懾四海,可謂能武矣。成王既壯,周公屬籍致政,北面委質而臣事之,請而後為,復而後行,無擅姿之志,無伐矜之色,可謂能臣矣。故一人之身而三變者,所以應時矣。何況乎君數易世,國數易君,人以其位達其好憎,以其威勢供嗜欲,而欲以一行之禮,一定之法,應時偶變,其不能中權,亦明矣。
新字:武王崩,成王幼少,周公継文王之業,履天子之籍,聴天下之政,平夷狄之乱,誅管、蔡之罪,負扆而朝諸侯,誅賞制断,無所顧問,威動天地,声懾四海,可謂能武矣。成王既壮,周公属籍致政,北面委質而臣事之,請而後為,復而後行,無擅姿之志,無伐矜之色,可謂能臣矣。故一人之身而三変者,所以応時矣。何況乎君数易世,国数易君,人以其位達其好憎,以其威勢供嗜欲,而欲以一行之礼,一定之法,応時偶変,其不能中権,亦明矣。
書き下し
武王 崩じ、成王 幼少なり。周公 文王の業を繼ぎ、天子の籍を履み、天下の政を聽き、夷狄の亂を平らげ、管・蔡の罪を誅し、扆を負いて諸侯に朝し、誅賞制斷して、顧問する所無く、威 天地を動かし、聲 四海を懾す。能く武なりと謂う可し。成王 既に壯にして、周公 籍を屬し政を致し、北面して質を委ねて臣として之に事う。請いて而る後に爲し、復して而る後に行い、擅姿の志無く、伐矜の色無し。能く臣なりと謂う可し。故に一人の身にして三たび變ずる者は、時に應ずる所以なり。何ぞ況んや君 數ば世を易え、國 數ば君を易え、人 其の位を以て其の好憎を達し、其の威勢を以て嗜欲に供するをや。而るに一行の禮、一定の法を以て、時に應じ變に偶わんと欲するも、其の權に中たる能わざること、亦た明らかなり。
現代語訳
武王が亡くなり、成王は幼かった。周公は文王の業を継ぎ、天子の位に就き、天下の政を聴き、異民族の乱を平らげ、管叔と蔡叔の罪を誅し、屏を背にして諸侯に朝し、誅と賞を裁断し、誰にも伺いを立てず、威は天地を動かし、声は四海を震わせた。よく武であったといえる。成王が成人すると、周公は位を返し政を渡し、北を向いて臣従の証を捧げ、臣として仕えた。伺いを立ててから行い、報告してから実行し、思うままに振る舞う気もなく、功を誇る様子もなかった。よく臣であったといえる。だから一人の身で三度変わったのは、時に応じたからである。まして君主が何度も代替わりし、国が何度も君を替え、人がその位で好き嫌いを通し、その威勢で欲を満たすとなればなおさらだ。それでいて一通りの礼と一定の法で、時に応じ変化に合わせようとしても、はかりに合わないことは明らかである。
解説
この章句が説くこと
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『淮南子』齊俗訓湯・武の行を累ね善を積むは、及ぶ可きなり。其の桀・紂の世に遭うは、天の授くるなり。今 湯・武の意有りて、桀・紂の時無くして、霸王の業を成さんと欲するは、亦た幾からざるなり。昔 武王 戈を執り鉞を秉りて以て紂を伐ち殷に勝ち、笏を搢み殳を杖きて以て朝に臨む。武王 既に沒し、殷民 之に叛く。周公 東宮を踐み、乘石を履み、天子の位を攝り、扆を負いて諸侯に朝し、蔡叔を放ち、管叔を誅し、殷に克ち商を殘い、文王を明堂に祀り、七年にして政を成王に致す。夫れ武王 先に武にして後に文なるは、意の變に非ず、以て時に應ずればなり。周公 兄を放ち弟を誅するは、不仁に非ず、以て亂を匡せばなり。
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史記 魯周公世家武王既に崩じ、成王少くして、彊葆の中に在り。周公天下の武王の崩ずるを聞きて畔かんことを恐れ、周公乃ち阼を踐み成王に代はりて摂して政を行ひ国に当たる。管叔及び其の群弟国に流言して曰く、「周公将に成王に利あらざらんとす」と。周公乃ち太公望・召公奭に告げて曰く、「我の辟けずして摂して政を行ふ所以の者は、天下の周に畔きて、以て我が先王に告ぐる無きを恐るればなり。武王蚤く終はり、成王少し、将に以て周を成さんとす、我の之が為に此くのごとくする所以なり」と。是に於て卒に成王を相く。
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『淮南子』要略武王 立ちて三年にして崩ず。成王 褓繈の中に在りて、未だ事を用うる能わず。蔡叔・管叔、公子祿父を輔けて亂を爲さんと欲す。周公 文王の業を繼ぎ、天子の政を持し、以て周室に股肱たり、成王を輔翼す。爭道の塞がらず、臣下の上を危うくするを懼る。故に馬を華山に縱ち、牛を桃林に放ち、鼓を敗り枹を折り、笏を搢みて朝し、以て王室を寧靜にし、諸侯を鎮撫す。成王 既に壯にして、能く政事に從う。周公 封を魯に受け、此を以て風を移し俗を易う。孔子 成・康の道を修め、周公の訓を述べ、以て七十子を教え、其の衣冠を服せしめ、其の篇籍を修む。故に儒者の學 生ず。
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荀子・儒効篇大儒の効。武王崩じ、成王幼くして、周公は成王を屏けて武王に及び、以て天下を属ぬ、天下の周に倍かんことを悪めばなり。天子の籍を履み、天下の断を聴き、偃然として固より之を有つが如くにして、天下貪と称せず。管叔を殺し、殷国を虚しくして、天下戻と称せず。天下を兼制し、七十一国を立て、姫姓独り五十三人を居くも、天下偏と称せず。成王を教誨開導し、道に諭らしめて、能く跡を文武に揜う。周公周に帰り、籍を成王に反して、天下周に事うるを輟めず。然れども周公は北面して之に朝す。天子なる者は、少を以て当つべからざるなり、仮摂を以て為すべからざるなり。能なれば則ち天下之に帰し、不能なれば則ち天下之を去る。是を以て周公は成王を屏けて武王に及び、以て天下を属ぬ、天下の周を離れんことを悪めばなり。成王冠し、成人するや、周公周に帰り、籍を反す、主を滅せざるの義を明らかにするなり。周公に天下無し。郷には天下を有ち、今は天下無きは、擅にするに非ざるなり。成王郷には天下無く、今天下を有つは、奪うに非ざるなり。勢を変じ序を次ぐこと、節然たればなり。故に枝を以て主に代わるも越ゆるに非ざるなり。弟を以て兄を誅するも暴に非ざるなり。君臣位を易うるも順ならざるに非ざるなり。天下の和に因り、文武の業を遂げ、主枝の義を明らかにす、抑も亦た変化せり、天下厭然として猶お一のごとし。聖人に非ざれば之を能く為すこと莫し。夫れ是を之れ大儒の効と謂う。
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荀子・儒効篇客に道う有りて曰く、孔子曰く、周公は其れ盛んなるかな。身貴くして愈々恭しく、家富みて愈々倹に、敵に勝ちて愈々戒む、と。之に応えて曰く、是れ殆ど周公の行いに非ず、孔子の言に非ざるなり。武王崩じ、成王幼くして、周公は成王を屏けて武王に及び、天子の籍を履み、扆に負いて立ち、諸侯は堂下に趨走す。是の時に当たりてや、夫れ又た誰にか恭しくせんや。天下を兼制し七十一国を立て、姫姓独り五十三人を居く。周の子孫、苟くも狂惑ならざる者は、天下の顕たる諸侯と為らざる莫し。孰か周公を倹と謂わんや。武王の紂を誅するや、行くの日は兵忌を以てし、東面して太歳を迎う。氾に至りて汎れ、懐に至りて壊れ、共頭に至りて山隧つ。霍叔懼れて曰く、出でて三日にして五災至る、乃ち不可なること無からんや、と。周公曰く、比干を刳きて箕子を囚え、飛廉・悪来政を知る、夫れ又た悪くんぞ不可なること有らんや、と。遂に馬を選びて進み、朝に戚に食し、暮に百泉に宿し、旦を牧の野に厭う。之を鼓して紂の卒郷を易え、遂に殷人に乗じて紂を誅す。蓋し殺す者は周人に非ず、殷人に因るなり。故に首虜の獲無く、難を蹈むの賞無し。反りて三革を定め、五兵を偃せ、天下を合し、声楽を立つ。是に於て武象起こりて韶護廃る。四海の内、心を変じ慮を易えて以て之に化順せざる莫し。故に外闔閉ざさず、天下を跨ぎて蘄ぐ無し。是の時に当たりてや、夫れ又た誰をか戒めんや。
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『淮南子』主術訓主道の員なる者は、運轉して端無く、化育すること神のごとく、虛無因循にして、常に後れて先んぜざるなり。臣道の員なる者は、運轉して方無く、是を論じて當に處り、事を為すに先んじて倡え、職を守ること分明にして、以て成功を立つるなり。是の故に君臣 道を異にすれば則ち治まり、道を同じくすれば則ち亂る。各々其の宜しきを得、其の當に處れば、則ち上下 以て相い使う有るなり。夫れ人主の治を聽くや、心を虛しくして志を弱くし、清明にして暗からず。是の故に群臣 輻湊して並び進み、愚智賢不肖と無く、其の能を盡くさざる莫き者は、則ち君は臣を制する所以を得、臣は君に事うる所以を得たり。國を治むるの道 明らかなり。文王は智にして問うを好む、故に聖なり。武王は勇にして問うを好む、故に勝てり。夫れ眾人の智に乘ずれば、則ち任ぜざる無し。眾人の力を用うれば、則ち勝たざる無し。千鈞の重きは、烏獲も舉ぐる能わざるなり。眾人 相い一にすれば、則ち百人にして餘力有り。是の故に一人の力に任ずる者は、則ち烏獲も恃むに足らず。眾人の制に乘ずる者は、則ち天下も有つに足らず。