淮南子 / 道應訓
蹠之徒問蹠曰:「盜亦有盜乎?」蹠曰:「奚適其無道也!夫意而中藏者,聖也;入先者,勇也;出後者,義也;分均者,仁也;知可否者,智也。五者不備,而能成大盜者,天下無之。」由此觀之,盜賊之心,必托聖人之道而後可行。故老子曰:「絶聖棄智,民利百倍。」
新字:蹠之徒問蹠曰:「盗亦有盗乎?」蹠曰:「奚適其無道也!夫意而中蔵者,聖也;入先者,勇也;出後者,義也;分均者,仁也;知可否者,智也。五者不備,而能成大盗者,天下無之。」由此観之,盗賊之心,必托聖人之道而後可行。故老子曰:「絶聖棄智,民利百倍。」
書き下し
蹠の徒 蹠に問いて曰く、「盜にも亦た道有るか」と。蹠曰く、「奚ぞ其れ道無きに適かんや。夫れ意して中に藏する者は、聖なり。先に入る者は、勇なり。後に出づる者は、義なり。分の均しき者は、仁なり。可否を知る者は、智なり。五つの者 備わらずして、能く大盜と成る者は、天下に之れ無し」と。此に由りて之を觀れば、盜賊の心も、必ず聖人の道に托して而る後に行う可し。故に老子曰く、「聖を絶ち智を棄つれば、民の利 百倍す」と。
現代語訳
盗跖の手下が跖に問うた、「盗みにも道はありますか」。跖は言った、「どうして道がないことがあろう。見当をつけて中にあるものを言い当てるのは聖である。先に踏み込むのは勇である。後から出るのは義である。分け前が均しいのは仁である。やれるかどうかを見分けるのは智である。この五つが備わらずに大盗になれた者は、天下にいない」。これによって見れば、盗賊の心も、聖人の道に乗ってはじめて行えるのである。だから老子は言った、「聖を絶ち智を棄てれば、民の利は百倍になる」。
解説
盗みの五徳が、そのまま聖・勇・義・仁・智で説明されます。しかも一つでも欠ければ大盗にはなれない、と。徳目そのものは中立で、向きが違うだけで盗みの技術にもなる。だからこそ引かれる老子の一句が「聖を絶ち智を棄つれば」になります。徳を掲げることが、それを装う者の道具まで整えてしまう、という見方です。
この章句が説くこと
盗にも亦た道有るか奚ぞ其れ道無きに適かんや意して中に蔵する者は聖なり先に入る者は勇なり後に出づる者は義なり分の均しき者は仁なり可否を知る者は智なり五つの者備わらずして能く大盗と成る者は天下に之れ無し聖を絶ち智を棄つれば民の利百倍す徳目
関連する章句
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荘子・胠篋将に胠篋(きょきょう)・探嚢(たんのう)・発匱(はっき)の盗を為さんとして守備を為さば、則ち必ず緘縢(かんとう)を摂(おさ)め、扃鐍(けいけつ)を固くす。此れ世俗の所謂知なり。然り而して巨盗至れば、則ち匱(ひつ)を負い篋(はこ)を掲げ嚢(ふくろ)を担いて趨(はし)り、唯だ緘縢・扃鐍の固からざるを恐る。然らば則ち郷(さき)の所謂知なる者は、乃ち大盗の為に積む者ならざるか。故に嘗みに之を論ぜん。世俗の所謂知なる者は、大盗の為に積まざる者有らんか。所謂聖なる者は、大盗の為に守らざる者有らんか。何を以て其の然るを知るか。昔者(むかし)斉国は鄰邑(りんゆう)相望み、鶏狗の音相聞こえ、罔罟(もうこ)の布く所、耒耨(らいどう)の刺す所、方(ほう)二千余里なり。四竟(しきょう)の内を闔(と)じて、宗廟社稷を立て、邑・屋・州・閭・郷曲を治むる所以の者、曷(なん)ぞ嘗て聖人に法(のっと)らざらんや。然り而して田成子(でんせいし)一旦にして斉君を殺して其の国を盗む。盗む所の者は豈に独り其の国のみならんや。並びに其の聖知の法をも与(とも)に之を盗む。故に田成子は盗賊の名有れども、身は堯・舜の安きに処る。小国も敢えて非とせず、大国も敢えて誅せず。十二世斉国を有(たも)つ。則ち是れ乃ち斉国を竊(ぬす)み、並びに其の聖知の法をも与にして、以て其の盗賊の身を守るに非ざるか。嘗みに之を論ぜん。世俗の所謂至知なる者は、大盗の為に積まざる者有らんか。所謂至聖なる者は、大盗の為に守らざる者有らんか。何を以て其の然るを知るか。昔者龍逢(りょうほう)は斬られ、比干は剖(さ)かれ、萇弘(ちょうこう)は胣(さ)かれ、子胥(ししょ)は靡(ただ)る。故に四子の賢にして身は戮(りく)を免れず。故に盗跖の徒、跖に問いて曰く、「盗にも亦た道有るか」と。跖曰く、「何くに適くとして道無からんや。夫れ室中の蔵を妄(みだ)りに意(はか)るは、聖なり。入るに先んずるは、勇なり。出づるに後(おく)るるは、義なり。可否を知るは、知なり。分かつこと均しきは、仁なり。五者備わらずして能く大盗と成る者は、天下未だ之れ有らざるなり」と。是に由りて之を観れば、善人は聖人の道を得ざれば立たず、跖も聖人の道を得ざれば行われず。天下の善人は少なくして不善人は多ければ、則ち聖人の天下を利するや少なくして天下を害するや多し。
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呂氏春秋・當務②跖の徒、跖に問いて曰く、「盜に道有りや。」跖曰く、「奚ぞ啻に其れ道無からんや。夫れ關の內を妄意して、藏を中つるは、聖なり。入るに先んずるは、勇なり。出づるに後るるは、義なり。時を知るは、智なり。分かつに均しきは、仁なり。此の五者に通ぜずして、能く大盜を成す者は、天下に有る無し。」備に説いて六王・五伯を非とし、以為らく、「堯に不慈の名有り、舜に不孝の行い有り、禹に淫湎の意有り、湯・武に放殺の事有り。五伯に暴亂の謀有り。世皆之を譽め、人皆之を諱むは、惑いなり。」故に死して金椎を操りて以て葬らる。曰く、「下、六王・五伯を見ば、將に其の頭を毃たんとす。」辨此くの若きは辨無きに如かず。
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老子 第19章聖を絶ち智を棄つれば、民の利は百倍す。仁を絶ち義を棄つれば、民は孝慈に復す。巧を絶ち利を棄つれば、盗賊有る無し。此の三者は以て文と為すに足らず、故に属する所有らしむ。素を見わし樸を抱き、私を少なくし欲を寡なくす。
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『淮南子』詮言訓善を爲せば則ち觀られ、不善を爲せば則ち議せらる。觀らるれば則ち貴を生じ、議せらるれば則ち患を生ず。故に道術は以て進みて名を求む可からずして、以て退きて身を修む可し。以て利を得可からずして、以て害を離る可し。故に聖人は行を以て名を求めず、智を以て譽を見さず。法は自然に修まり、己に與る所無し。慮は數に勝たず、行は德に勝たず、事は道に勝たず。爲す者に成らざる有り、求むる者に得ざる有り。人に窮する有るも道に通ぜざる無し。道と爭えば則ち凶なり。故に『詩』に曰く、「識らず知らず、帝の則に順う」と。智有りて無爲なるは、智無き者と道を同じくす。能有りて無事なるは、能無き者と德を同じくす。其の智なるや、之を告ぐる者 至りて、然る後に其の動くを覺る。之を使う者 至りて、然る後に其の爲すを覺る。智有るも智無きが若く、能有るも能無きが若し。道理 正しと爲すなり。故に功 天下を蓋うも、其の美を施さず。澤 後世に及ぶも、其の名を有たず。道理 通じて人偽 滅ぶるなり。
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