淮南子 / 齊俗訓
凡以物治物者不以物,以睦;治睦者不以睦,以人;治人者不以人,以君;治君者不以君,以欲;治欲者不以欲,以性;治性者不於性,以德;治德者不以德,以道。原人之性,蕪濊而不得清明者,物或堁之也。羌、氐、僰、翟,嬰兒生皆同聲,及其長也,雖重象狄騠,不能通其言,教俗殊也。今三月嬰兒,生而徙國,則不能知其故俗。由此觀之,衣服禮俗者,非人之性也,所受於外也。夫竹之性浮,殘以為牒,束而投之水,則沉,失其體也。金之性沉,託之於舟上則浮,勢有所支也。夫素之質白,染之以涅則黑;縑之性黃,染之以丹則赤。人之性無邪,久湛於俗則易。易而忘本,合於若性。
新字:凡以物治物者不以物,以睦;治睦者不以睦,以人;治人者不以人,以君;治君者不以君,以欲;治欲者不以欲,以性;治性者不於性,以徳;治徳者不以徳,以道。原人之性,蕪濊而不得清明者,物或堁之也。羌、氐、僰、翟,嬰児生皆同声,及其長也,雖重象狄騠,不能通其言,教俗殊也。今三月嬰児,生而徙国,則不能知其故俗。由此観之,衣服礼俗者,非人之性也,所受於外也。夫竹之性浮,残以為牒,束而投之水,則沈,失其体也。金之性沈,託之於舟上則浮,勢有所支也。夫素之質白,染之以涅則黒;縑之性黄,染之以丹則赤。人之性無邪,久湛於俗則易。易而忘本,合於若性。
書き下し
凡そ物を以て物を治むる者は物を以てせず、睦を以てす。睦を治むる者は睦を以てせず、人を以てす。人を治むる者は人を以てせず、君を以てす。君を治むる者は君を以てせず、欲を以てす。欲を治むる者は欲を以てせず、性を以てす。性を治むる者は性に於いてせず、德を以てす。德を治むる者は德を以てせず、道を以てす。人の性に原づくに、蕪濊にして清明を得ざる者は、物 或いは之を堁せばなり。羌・氐・僰・翟、嬰兒 生まるるに皆な聲を同じくす。其の長ずるに及びてや、重象狄騠すと雖も、其の言を通ずる能わざるは、教俗 殊なればなり。今 三月の嬰兒、生まれて國を徙れば、則ち其の故俗を知る能わず。此に由りて之を觀れば、衣服禮俗なる者は、人の性に非ざるなり、外に受くる所なり。夫れ竹の性は浮くも、殘して以て牒と為し、束ねて之を水に投ずれば、則ち沈む。其の體を失えばなり。金の性は沈むも、之を舟上に託すれば則ち浮かぶ。勢に支うる所有ればなり。夫れ素の質は白きも、之を染むるに涅を以てすれば則ち黑し。縑の性は黃なるも、之を染むるに丹を以てすれば則ち赤し。人の性に邪無きも、久しく俗に湛れば則ち易わる。易わりて本を忘れ、性の若きに合す。
現代語訳
およそ物で物を治める者は、物ではなく和らぎによる。和らぎを治める者は和らぎではなく人による。人を治める者は人ではなく君による。君を治める者は君ではなく欲による。欲を治める者は欲ではなく性による。性を治める者は性によらず徳による。徳を治める者は徳ではなく道による。人の性にさかのぼると、荒れ濁って清らかで明るくならないのは、物がそれに埃を積もらせているからである。羌・氐・僰・翟の赤子は、生まれたときはみな同じ声である。育つにつれて、幾重にも通訳を重ねても言葉が通じなくなるのは、教えと習わしが違うからである。いま生後三月の赤子が、生まれてから国を移れば、もとの土地の習わしを知ることはできない。これによって見れば、衣服も礼も習わしも、人の性ではなく、外から受け取ったものである。竹の性は浮くものだが、削って札にして束ね、水に投げ入れれば沈む。もとのかたちを失ったからである。金の性は沈むものだが、舟に載せれば浮く。勢いに支えられているからである。白い生地も、黒い染料で染めれば黒くなる。絹の性は黄色いが、朱で染めれば赤くなる。人の性に邪はないが、長く習わしに浸かれば変わる。変わって元を忘れ、それが性であるかのようになる。
解説
この章句が説くこと
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『呻吟語』内篇・修身・入る所を慎み、接する所を慎む廟に入れば敬を期せずして自ら敬し、朝に入れば肅を期せずして自ら肅たり。是を以て君子は入る所を慎むなり。嚴師を見れば則ち收斂し、狎友を見れば則ち放恣なり。是を以て君子は接する所を慎むなり。
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『講孟余話』滕文公下 第六章「一薛居州、独り宋王を如何せん」。此の章の義極めて明白、比喩極めて的切、而して到底又此の一句に帰す。然れども是れ独り人君の知るべきのみに非ず。卿大夫士に至るまで、争臣争友少なくては、善をなすこと甚だ難し。更に一転して思ふに、心の存する所、身の行ふ所、接する所の事、翫ぶ所の芸、皆善に非ざることなくば、何を以て不善の人たらんや。故に云ふ、「小人間居して不善をなす」と。不善の萌しは必ず無事による者なれば、是れを思ひて、身を孝悌文武の内に漸漬して、他念を生ずるに暇なくすべし。是れ亦荘嶽に置くの意なり。
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孟子・滕文公章句下孟子、戴不勝に謂いて曰く、「子は子の王の善ならんことを欲するか。我明らかに子に告げん。此に楚の大夫有らんに、其の子の齊語せんことを欲すれば、則ち齊人をして諸に傅たらしめんか。楚人をして諸に傅たらしめんか。」曰く、「齊人をして之に傅たらしめん。」曰く、「一齊人之に傅たるも、衆楚人之を咻せば、雖日に撻(むちうつ)ちて其の齊たらんことを求むと雖も、得可からず。引いて之を莊嶽の間に置くこと數年ならば、日に撻ちて其の楚たらんことを求むと雖も、亦た得可からず。子、薛居州を善士と謂い、之をして王の所に居らしむ。王の所に在る者、長幼卑尊、皆薛居州ならば、王は誰と與にか不善を為さん。王の所に在る者、長幼卑尊、皆薛居州に非ざれば、王は誰と與にか善を為さん。一薛居州、獨り宋王を如何せん。」 <語釈> ○「咻」、音はキュウ、義はかまびすしくすること。○「莊嶽」、顧炎武云う、莊は是れ街の名、嶽は是れ里の名。

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