淮南子 / 繆稱訓
人以義愛,以黨群,以群強。是故德之所施者博,則威之所行者遠;義之所加者淺,則武之所制者小矣。鐸以聲自毀,膏濁以明自鑠,虎豹之文來射,猿狖之捷來措。故子路以勇死,萇弘以智困。能以智知,而未能以智不知也。故行險者不得履繩,出林者不得直道,夜行瞑目而前其手,事有所至,而明有所害。人能貫冥冥入於昭昭,可與言至矣。
新字:人以義愛,以党群,以群強。是故徳之所施者博,則威之所行者遠;義之所加者浅,則武之所制者小矣。鐸以声自毀,膏濁以明自鑠,虎豹之文来射,猿狖之捷来措。故子路以勇死,萇弘以智困。能以智知,而未能以智不知也。故行険者不得履縄,出林者不得直道,夜行瞑目而前其手,事有所至,而明有所害。人能貫冥冥入於昭昭,可与言至矣。
書き下し
人は義を以て愛し、黨を以て群し、群を以て強し。是の故に德の施す所の者 博ければ、則ち威の行わるる所の者 遠し。義の加うる所の者 淺ければ、則ち武の制する所の者 小なり。鐸は聲を以て自ら毀れ、膏は濁りて明を以て自ら鑠く。虎豹の文は射を來たし、猿狖の捷は措を來たす。故に子路は勇を以て死し、萇弘は智を以て困しむ。能く智を以て知るも、未だ智を以て知らざる能わざるなり。故に險を行く者は繩を履むを得ず、林を出づる者は直道を得ず。夜行けば目を瞑ぎて其の手を前にす。事に至る所有りて、明に害する所有ればなり。人 能く冥冥を貫きて昭昭に入らば、與に至れりと言う可し。
現代語訳
人は義によって愛し、仲間によって群れ、群れによって強くなる。だから徳の及ぶ範囲が広ければ、威の行われる範囲も遠い。義の及ぶところが浅ければ、武で制せる範囲も小さい。鐸は自分の音によって壊れ、脂は濁りながら明るさによって自分を溶かす。虎や豹の美しい毛皮は矢を招き、猿の身軽さは捕らえる罠を招く。だから子路は勇によって死に、萇弘は知恵によって苦しんだ。知恵によって知ることはできても、知恵によって知らないでいることはできない。だから険しい道を行く者は墨縄のとおりには踏めず、林を出る者はまっすぐな道を進めない。夜歩けば目をつぶって手を前に出す。事のほうに行き着くところがあり、明るさのほうに損なわれるところがあるからである。人が暗いところを貫いて明るいところへ入れたなら、極みを語り合える。
解説
この章句が説くこと
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