淮南子 / 主術訓
聖主之治也,其猶造父之禦。齊輯之於轡銜之際,而急緩之於唇吻之和;正度於胸臆之中,而執節於掌握之間;內得於心中,外合于馬志。是故能進退履繩,而旋曲中規;取道致遠,而氣力有餘。誠得其術也。是故權勢者,人主之車輿也;大臣者,人主之駟馬也。體離車輿之安,而手失駟馬之心,而能不危者,古今未有也。是故輿馬不調,王良不足以取道;君臣不和,唐、虞不能以為治。執術而禦之,則管、晏之智盡矣;明分以示之,則蹠、蹻之奸止矣。夫據除而窺井底,雖達視猶不能見其晴,借明於鑒以照之,則寸分可得而察也。是故明主之耳目不勞,精神不竭,物至而觀其象,事來而應其化,近者不亂,遠者治也。是故不用適然之數,而行必然之道,故萬舉而無遺策矣。今夫禦者,馬體調于車,禦心和于馬,則歷險致遠,進退周遊,莫不如志。雖有騏驥騄駬之良,臧獲禦之,則馬反自恣,而人弗能制矣。故治者不貴其自是,而貴其不得為非也。
新字:聖主之治也,其猶造父之禦。斉輯之於轡銜之際,而急緩之於唇吻之和;正度於胸臆之中,而執節於掌握之間;内得於心中,外合于馬志。是故能進退履縄,而旋曲中規;取道致遠,而気力有余。誠得其術也。是故権勢者,人主之車輿也;大臣者,人主之駟馬也。体離車輿之安,而手失駟馬之心,而能不危者,古今未有也。是故輿馬不調,王良不足以取道;君臣不和,唐、虞不能以為治。執術而禦之,則管、晏之智尽矣;明分以示之,則蹠、蹻之奸止矣。夫拠除而窺井底,雖達視猶不能見其晴,借明於鑒以照之,則寸分可得而察也。是故明主之耳目不労,精神不竭,物至而観其象,事来而応其化,近者不乱,遠者治也。是故不用適然之数,而行必然之道,故万舉而無遺策矣。今夫禦者,馬体調于車,禦心和于馬,則歴険致遠,進退周遊,莫不如志。雖有騏驥騄駬之良,臧獲禦之,則馬反自恣,而人弗能制矣。故治者不貴其自是,而貴其不得為非也。
書き下し
聖主の治や、其れ猶お造父の禦のごとし。之を轡銜の際に齊輯して、之を唇吻の和に急緩し、度を胸臆の中に正して、節を掌握の間に執る。內は心中に得て、外は馬志に合す。是の故に能く進退 繩を履み、旋曲 規に中たり、道を取りて遠きを致して、氣力 餘り有り。誠に其の術を得ればなり。是の故に權勢なる者は、人主の車輿なり。大臣なる者は、人主の駟馬なり。體 車輿の安きを離れて、手 駟馬の心を失いて、能く危うからざる者は、古今 未だ有らざるなり。是の故に輿馬 調わざれば、王良も以て道を取るに足らず。君臣 和せざれば、唐・虞も以て治を為す能わず。術を執りて之を禦すれば、則ち管・晏の智も盡く。分を明らかにして以て之を示せば、則ち蹠・蹻の奸も止む。夫れ除に據りて井底を窺えば、達視と雖も猶お其の晴を見る能わず。明を鑒に借りて以て之を照らせば、則ち寸分も得て察す可し。是の故に明主の耳目は勞せず、精神は竭きず。物 至りて其の象を觀、事 來たりて其の化に應ず。近き者は亂れず、遠き者は治まるなり。是の故に適然の數を用いずして、必然の道を行う。故に萬舉して遺策無し。今夫れ禦者、馬體 車に調い、禦心 馬に和すれば、則ち險を歷て遠きを致し、進退周遊、志のごとくならざる莫し。騏驥騄駬の良有りと雖も、臧獲 之を禦すれば、則ち馬 反って自ら恣にして、人 制する能わず。故に治むる者は其の自ら是とするを貴ばずして、其の非を為すを得ざるを貴ぶ。
現代語訳
聖なる君主の治め方は、名御者の造父の御し方のようなものだ。手綱とくつわのところで揃え、口先の加減で急がせ緩め、基準を胸の内に正し、節目を手のひらの中で握る。内は自分の心に得て、外は馬の気持ちに合う。だから進むも退くも墨縄を踏み、回るのはコンパスに当たり、道を取って遠くへ至って、なお力に余りがある。本当にその術を得ているからである。だから権勢は君主の車であり、大臣は君主の四頭立ての馬である。体が車の安全から離れ、手が馬の気持ちを失って、危うくならなかった者は、古今にいない。だから車と馬が調わなければ、名御者の王良でも道を進めない。君と臣が和さなければ、堯や舜でも治められない。術を執って御すれば、管仲や晏嬰ほどの知恵も出し尽くされる。持ち分を明らかにして示せば、盗跖や荘蹻のような悪も止む。階段に立って井戸の底をのぞけば、目のいい者でも瞳を見ることはできない。だが鏡に明かりを借りて照らせば、寸分まで見きわめられる。だから明君の耳目は疲れず、精神は尽きない。物が来ればその形を見、事が来ればその変化に応じる。近くは乱れず、遠くは治まる。だから、たまたま当たる数によらず、必ずそうなる道を行く。だから万度行っても外れた策がない。いま御者は、馬の体が車に調い、御者の心が馬に和していれば、険しい道を越えて遠くへ至り、進退も周遊も思いのままである。騏驥や騄駬のような名馬でも、下働きの者が御すれば、馬はかえって勝手をして、人には制せられない。だから治める者は、自分が正しいことを貴ばず、悪事ができないようになっていることを貴ぶ。
解説
この章句が説くこと
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孟子・離婁章句上孟子曰く、「離婁の明、公輸子の巧も、規矩を以てせざれば、方員を成すこと能わず。師曠の聰も、六律を以てせざれば、五音を正すこと能わず。堯舜の道も、仁政を以てせざれば、天下を平治すること能わず。今、仁心仁聞有りて、而も民其の澤を被らず、後世に法る可からざる者は、先王の道を行わざればなり。故に曰く、『徒善は以て政を為すに足らず、徒法は以て自ら行わるること能わず。』詩に云う、『愆らず忘れず、舊章に率い由る。』先王の法に遵いて過つ者は、未だ之れ有らざるなり。聖人既に目の力を竭くし、之に繼に規矩準繩を以てす。以て方員平直を為すこと、用うるに勝う可からざるなり。既に耳力を竭くし、之に繼ぐに六律を以てす。五音を正すこと、用うるに勝う可からざるなり。既に心思を竭くし、之に繼ぐに人に忍びざるの政をを以てす。而うして仁天下を覆う。故に曰く、『高きを為すには、必ず丘陵に因り、下きを為すには、必ず川澤に因る。』政を為すに、先王の道に因らずんば、智と謂う可けんや。是を以て惟だ仁者のみ宜しく高位に在るべし。不仁にして高位に在るは、是れ其の惡を衆に播するなり。上に道揆無く、下に法守無く、朝は道を信ぜず、工は度を信ぜず、君子は義を犯し、小人は刑を犯して、國の存する所の者は幸いなり。故に曰く、『城郭完からず、兵甲多からざるは、國の災いに非ざるなり。田野辟けず、貨財聚まらざるは、國の害に非ざるなり。』上、禮無く、下、學無ければ、賊民興り、喪ぶること日無けん。詩に曰く、『天の方に蹶(くつがえす)えさんとする、然く泄泄すること無かれ。』泄泄とは、猶ほ沓沓のごときなり。君に事えて義無く、進退禮無く、言えば則ち先王の道を非る者は、猶ほ沓沓のごときなり。故に曰く、『難きを君に責む、之を恭と謂う。善を陳べ邪を閉づる、之を敬と謂う。吾が君能わずとす、之を賊と謂う。』」
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