淮南子 / 精神訓
且人有戒形而無損於心,有綴宅而無耗精。夫癩者趨不變,狂者形不虧,神將有所遠徙,孰暇知其所為!故形有摩而神未嘗化者,以不化應化,千變萬化,而未始有極。化者,複歸於無形也;不化者,與天地俱生也。夫木之死也,青青去之也。夫使木生者豈木也?猶充形者之非形也。故生生者未嘗死也,其所生則死矣;化物者未嘗化也,其所化則化矣。輕天下,則神無累矣;細萬物,則心不惑矣;齊死生,則志不懾矣;同變化,則明不眩矣。眾人以為虛言,吾將舉類而實之。
新字:且人有戒形而無損於心,有綴宅而無耗精。夫癩者趨不変,狂者形不虧,神将有所遠徙,孰暇知其所為!故形有摩而神未嘗化者,以不化応化,千変万化,而未始有極。化者,複帰於無形也;不化者,与天地倶生也。夫木之死也,青青去之也。夫使木生者豈木也?猶充形者之非形也。故生生者未嘗死也,其所生則死矣;化物者未嘗化也,其所化則化矣。軽天下,則神無累矣;細万物,則心不惑矣;斉死生,則志不懾矣;同変化,則明不眩矣。眾人以為虚言,吾将舉類而実之。
書き下し
且つ人に形を戒めて心に損ずる無き有り、宅を綴ぎて精を耗する無き有り。夫れ癩者も趨ること變わらず、狂者も形 虧けず。神 將に遠く徙る所有らんとすれば、孰か其の為す所を知るに暇あらん。故に形に摩する有りて神は未だ嘗て化せざる者は、化せざるを以て化に應ずればなり。千變萬化して、未だ始めより極まり有らず。化する者は、無形に復歸するなり。化せざる者は、天地と俱に生ずるなり。夫れ木の死するや、青青 之を去るなり。夫れ木を生ぜしむる者は豈に木ならんや。猶お形を充たす者の形に非ざるがごとし。故に生を生ずる者は未だ嘗て死せざるなり、其の生ずる所は則ち死せり。物を化する者は未だ嘗て化せざるなり、其の化する所は則ち化せり。天下を輕んずれば、則ち神に累無し。萬物を細とすれば、則ち心 惑わず。死生を齊しくすれば、則ち志 懾れず。變化を同じくすれば、則ち明 眩まず。眾人 以て虛言と為すも、吾 將に類を舉げて之を實にせんとす。
現代語訳
そのうえ人には、体をそこなっても心に損のないことがあり、住まいを継ぎ替えても精を減らさないことがある。癩を病んだ者も走り方は変わらず、狂った者も体は欠けない。神が遠くへ移ろうとするとき、誰がそのしていることを知る暇があろう。だから体はすり減っても神は変わらないというのは、変わらないもので変わるものに応じるからである。千に変わり万に化しても、はじめから極まりがない。変化するものは、形のないところへ帰る。変化しないものは、天地とともに生きている。そもそも木が死ぬのは、青々としたものがそこを去るからである。木を生かしているものは、木そのものではあるまい。ちょうど、形を満たしているものが形ではないのと同じである。だから生を生む者は一度も死んだことがなく、その生んだものが死ぬのである。物を変化させる者は一度も変化したことがなく、その変化させたものが変化するのである。天下を軽く見れば、神に煩いはない。万物を細かいものと見れば、心は惑わない。生と死を等しく見れば、志は怯えない。変化を同じと見れば、目は眩まない。人々はこれを空言だと思うだろうが、私は例を挙げてこれを裏づけよう。
解説
この章句が説くこと
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『淮南子』精神訓夫れ人の其の壽命を終うる能わずして、中道に刑戮に夭する所以の者は、何ぞや。其の生を生とすること厚きを以てなり。夫れ惟だ能く生を以て為すこと無き者のみ、則ち生を修め得る所以なり。夫れ天地は運りて相い通じ、萬物は總べて一と為る。能く一を知れば、則ち一として知らざる無し。一を知る能わざれば、則ち一として能く知る無し。譬えば吾の天下に處るや、亦た一物為るのみ。識らず、天下の我を以て其の物を備うるか、且た惟だ我無くして物 備わらざる無き者か。然らば則ち我も亦た物なり、物も亦た物なり。物の物と、又た何を以てか相い物とせんや。然りと雖も、其の我を生ずるや、將に以て何をか益さんとする。其の我を殺すや、將に以て何をか損せんとする。夫れ造化なる者 既に我を以て坯と為せり、將に之に違う所無からんとす。吾 安んぞ夫の刺灸して生を欲する者の惑いに非ざるを知らんや。又た安んぞ夫の絞經して死を求むる者の福に非ざるを知らんや。或いは生は乃ち徭役にして、死は乃ち休息なるか。天下茫茫、孰か之を知らんや。
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『淮南子』精神訓夫れ悲樂なる者は、德の邪なり。而して喜怒なる者は、道の過ちなり。好憎なる者は、心の暴なり。故に曰く、其の生や天行、其の死や物化、と。靜かなれば則ち陰と俱に閉じ、動けば則ち陽と俱に開く。精神 澹然として極まり無く、物と與に散ぜずして、天下自ら服す。故に心なる者は、形の主なり。而して神なる者は、心の寶なり。形 勞して休まざれば則ち蹶き、精 用いて已まざれば則ち竭く。是の故に聖人は貴びて之を尊び、敢えて越えざるなり。夫れ夏後氏の璜有る者は、匣匱して之を藏む、寶の至れるなり。夫れ精神の寶とす可きや、直だ夏後氏の璜のみに非ざるなり。是の故に聖人は無を以て有に應じ、必ず其の理を究め、虛を以て實を受け、必ず其の節を窮む。恬愉虛靜にして、以て其の命を終う。是の故に甚だ疏んずる所無くして、甚だ親しむ所無し。德を抱き和を煬め、以て天に順う。道と際を為し、德と鄰を為し、福の始めと為らず、禍の先と為らず。魂魄 其の宅に處りて、精神 其の根を守り、死生 己に變ずる無し。故に至神と曰う。所謂 真人なる者なり、性 道に合するなり。故に有りて無きが若く、實ちて虛しきが若く、其の一に處りて其の二を知らず、其の內を治めて其の外を識らず。太素を明白にし、無為にして樸に復り、本を體し神を抱き、以て天地の樊に游ぶ。芒然として塵垢の外に仿佯し、無事の業に消搖す。浩浩蕩蕩乎として、機械の巧 心に載せられず。是の故に死生も亦た大なり、而も為に變ぜず。天地 覆育すと雖も、亦た之と摟抱せざるなり。
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『淮南子』精神訓瑕無きを審らかにして、物と糅わらず、事の亂るるを見て、能く其の宗を守る。此くのごとき者は、肝膽を正し、耳目を遺れ、心志 內に專らにして、通達して一に耦す。居りては為す所を知らず、行きては之く所を知らず。渾然として往き、逯然として來たる。形は槁木の若く、心は死灰の若し。其の五藏を忘れ、其の形骸を損す。學ばずして知り、視ずして見え、為さずして成り、治めずして辯ず。感じて應じ、迫られて動き、已むを得ずして往くこと、光の耀くが如く、景の放つが如し。道を以て紃と為し、待つ有りて然り。其の太清の本を抱きて、容與する所無く、而して物 能く營む無し。廓惝として虛しく、清靖にして思慮無し。大澤 焚けども熱する能わず、河・漢 涸るるも寒からしむる能わざるなり。大雷 山を毀つも驚かす能わざるなり。大風 日を晦ますも傷なう能わざるなり。是の故に珍寶珠玉を視ること、猶お石礫のごとし。至尊窮寵を視ること、猶お行客のごとし。毛嬙・西施を視ること、猶お䫏醜のごとし。死生を以て一化と為し、萬物を以て一方と為し、精を太清の本に同じくして、忽區の旁らに游ぶ。精有れども使わず、神有れども行わず、大渾の樸に契りて、至清の中に立つ。是の故に其の寢ぬるや夢みず、其の智 萌さず、其の魄 抑えられず、其の魂 騰がらず。終始を反覆して、其の端緒を知らず、太宵の宅に甘暝して、昭昭の宇に覺視し、無委曲の隅に休息して、無形埒の野に游敖す。
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『淮南子』精神訓古 未だ天地有らざるの時、惟だ像のみありて形無く、窈窈冥冥、芒芠漠閔、澒濛鴻洞として、其の門を知る莫し。二神有りて混じて生じ、天を經し地を營み、孔乎として其の終極する所を知る莫く、滔乎として其の止息する所を知る莫し。是に於いて乃ち別れて陰陽と為り、離れて八極と為り、剛柔相い成りて、萬物乃ち形る。煩氣は蟲と為り、精氣は人と為る。是の故に精神は、天の有つ所なり。而して骨骸なる者は、地の有つ所なり。精神 其の門に入り、而して骨骸 其の根に反らば、我 尚お何ぞ存せんや。是の故に聖人は天に法り情に順い、俗に拘われず、人に誘われず、天を以て父と為し、地を以て母と為し、陰陽を綱と為し、四時を紀と為す。天は靜かにして以て清く、地は定まりて以て寧し。萬物 之を失う者は死し、之に法る者は生く。夫れ靜漠なる者は、神明の定まるなり。虛無なる者は、道の居る所なり。是の故に或いは之を外に求むる者は、之を內に失い、之を內に守る有る者は、之を外に失う。譬うれば猶お本と末とのごとし。本より之を引けば、千枝萬葉、隨わざる莫し。
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『淮南子』精神訓居りて容無く、處りて所無く、其の動くや形無く、其の靜かなるや體無し。存して亡きが若く、生きて死せるが若く、出入 間無く、鬼神を役使す。不測に淪み、無間に入り、形を同じくせざるを以て相い嬗るなり。終始 環の若く、其の倫を得る莫し。此れ精神の能く道に登假する所以なり。是の故に真人の游ぶ所なり。吹呴呼吸し、故きを吐き新しきを內れ、熊經鳥伸、鳧浴蝯躩、鴟視虎顧するが若きは、是れ形を養うの人なり、以て心を滑らさず。神をして滔蕩ならしめて其の充を失わず、日夜 傷むこと無くして物と春を為さば、則ち是れ合して時を心に生ずるなり。
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『淮南子』精神訓其の我を生ずるや強いて已むるを求めず、其の我を殺すや強いて止むるを求めず。生を欲して事とせず、死を憎みて辭せず、之を賤しみて憎まず、之を貴びて喜ばず、其の天資に隨いて之に安んじて極めず。吾が生や七尺の形有り、吾が死や一棺の土有り。吾が生の有形の類に比するは、猶お吾が死の無形の中に淪むがごときなり。然らば則ち吾が生や物 以て眾きを益さず、吾が死や土 以て厚きを加えず。吾 又た安んぞ喜憎利害の其の間なる者を知らんや。夫れ造化なる者の物を攫援するや、譬えば猶お陶人の埴を埏るがごとし。其の之を地に取りて已に盆盎と為るも、其の未だ地を離れざるとに以て異なる無し。其の已に器と成りて破碎漫瀾して復た其の故に歸するも、其の盆盎為ると亦た以て異なる無し。夫れ江に臨むの鄉、居人 水を汲みて以て其の園に浸すも、江水 憎まざるなり。苦洿の家、洿を決して之を江に注ぐも、洿水 樂しまざるなり。是の故に其の江に在るや、以て其の園に浸すに異なる無く、其の洿に在るや、亦た以て其の江に在るに異なる無し。是の故に聖人は時に因りて以て其の位に安んじ、世に當たりて其の業を樂しむ。