淮南子 / 精神訓
夫人之所以不能終其壽命,而中道夭于刑戮者,何也?以其生生之厚。夫惟能無以生為者,則所以修得生也。夫天地運而相通,萬物總而為一。能知一,則無一之不知也;不能知一,則無一之能知也。譬吾處於天下也,亦為一物矣,不識天下之以我備其物與?且惟無我而物無不備者乎?然則我亦物也,物亦物也,物之與物也,又何以相物也?雖然,其生我也,將以何益?其殺我也,將以何損?夫造化者既以我為坯矣,將無所違之矣。吾安知夫刺灸而欲生者之非惑也?又安知夫絞經而求死者之非福也?或者生乃徭役也?而死乃休息也?天下茫茫,孰知之哉?
新字:夫人之所以不能終其寿命,而中道夭于刑戮者,何也?以其生生之厚。夫惟能無以生為者,則所以修得生也。夫天地運而相通,万物総而為一。能知一,則無一之不知也;不能知一,則無一之能知也。譬吾処於天下也,亦為一物矣,不識天下之以我備其物与?且惟無我而物無不備者乎?然則我亦物也,物亦物也,物之与物也,又何以相物也?雖然,其生我也,将以何益?其殺我也,将以何損?夫造化者既以我為坯矣,将無所違之矣。吾安知夫刺灸而欲生者之非惑也?又安知夫絞経而求死者之非福也?或者生乃徭役也?而死乃休息也?天下茫茫,孰知之哉?
書き下し
夫れ人の其の壽命を終うる能わずして、中道に刑戮に夭する所以の者は、何ぞや。其の生を生とすること厚きを以てなり。夫れ惟だ能く生を以て為すこと無き者のみ、則ち生を修め得る所以なり。夫れ天地は運りて相い通じ、萬物は總べて一と為る。能く一を知れば、則ち一として知らざる無し。一を知る能わざれば、則ち一として能く知る無し。譬えば吾の天下に處るや、亦た一物為るのみ。識らず、天下の我を以て其の物を備うるか、且た惟だ我無くして物 備わらざる無き者か。然らば則ち我も亦た物なり、物も亦た物なり。物の物と、又た何を以てか相い物とせんや。然りと雖も、其の我を生ずるや、將に以て何をか益さんとする。其の我を殺すや、將に以て何をか損せんとする。夫れ造化なる者 既に我を以て坯と為せり、將に之に違う所無からんとす。吾 安んぞ夫の刺灸して生を欲する者の惑いに非ざるを知らんや。又た安んぞ夫の絞經して死を求むる者の福に非ざるを知らんや。或いは生は乃ち徭役にして、死は乃ち休息なるか。天下茫茫、孰か之を知らんや。
現代語訳
そもそも人が寿命を全うできず、途中で刑や殺しにあって若死にするのは、なぜか。生きることを厚くしすぎるからである。ただ、生を生としてことさらに扱わない者だけが、かえって生を修め得る。そもそも天地は巡って互いに通じ、万物はすべて一つである。一つを知れば、知らないものは何もない。一つを知れなければ、知り得るものは何もない。たとえば私が天下にいるのも、一つの物であるにすぎない。天下が私によってその物を備えているのか、それとも私がいなくても物は何も欠けないのか、それは分からない。とすれば私も物であり、物も物である。物と物とを、何をもって互いに区別しようか。とはいえ、私を生んだからといって何が増えたのか、私を殺したからといって何が減るのか。造化はすでに私を素焼きの器として作った。それに逆らうところはない。私はどうして、鍼や灸をして生きたがる者が惑いではないと分かるだろう。またどうして、首をくくって死を求める者が幸いではないと分かるだろう。もしかすると生は労役であって、死は休息なのかもしれない。天下は茫漠として、誰がこれを知っていようか。
解説
この章句が説くこと
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『淮南子』精神訓且つ人に形を戒めて心に損ずる無き有り、宅を綴ぎて精を耗する無き有り。夫れ癩者も趨ること變わらず、狂者も形 虧けず。神 將に遠く徙る所有らんとすれば、孰か其の為す所を知るに暇あらん。故に形に摩する有りて神は未だ嘗て化せざる者は、化せざるを以て化に應ずればなり。千變萬化して、未だ始めより極まり有らず。化する者は、無形に復歸するなり。化せざる者は、天地と俱に生ずるなり。夫れ木の死するや、青青 之を去るなり。夫れ木を生ぜしむる者は豈に木ならんや。猶お形を充たす者の形に非ざるがごとし。故に生を生ずる者は未だ嘗て死せざるなり、其の生ずる所は則ち死せり。物を化する者は未だ嘗て化せざるなり、其の化する所は則ち化せり。天下を輕んずれば、則ち神に累無し。萬物を細とすれば、則ち心 惑わず。死生を齊しくすれば、則ち志 懾れず。變化を同じくすれば、則ち明 眩まず。眾人 以て虛言と為すも、吾 將に類を舉げて之を實にせんとす。
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『淮南子』精神訓其の我を生ずるや強いて已むるを求めず、其の我を殺すや強いて止むるを求めず。生を欲して事とせず、死を憎みて辭せず、之を賤しみて憎まず、之を貴びて喜ばず、其の天資に隨いて之に安んじて極めず。吾が生や七尺の形有り、吾が死や一棺の土有り。吾が生の有形の類に比するは、猶お吾が死の無形の中に淪むがごときなり。然らば則ち吾が生や物 以て眾きを益さず、吾が死や土 以て厚きを加えず。吾 又た安んぞ喜憎利害の其の間なる者を知らんや。夫れ造化なる者の物を攫援するや、譬えば猶お陶人の埴を埏るがごとし。其の之を地に取りて已に盆盎と為るも、其の未だ地を離れざるとに以て異なる無し。其の已に器と成りて破碎漫瀾して復た其の故に歸するも、其の盆盎為ると亦た以て異なる無し。夫れ江に臨むの鄉、居人 水を汲みて以て其の園に浸すも、江水 憎まざるなり。苦洿の家、洿を決して之を江に注ぐも、洿水 樂しまざるなり。是の故に其の江に在るや、以て其の園に浸すに異なる無く、其の洿に在るや、亦た以て其の江に在るに異なる無し。是の故に聖人は時に因りて以て其の位に安んじ、世に當たりて其の業を樂しむ。
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『淮南子』精神訓今夫れ繇する者は钁臿を揭げ、籠土を負い、鹽汗交々流れ、喘息 喉に薄る。此の時に當たりて、越下に茠うを得れば、則ち脫然として喜ぶ。岩穴の間は、直だ越下の休みのみに非ざるなり。疵瘕を病む者は、心を捧げ腹を抑え、膝上に頭を叩き、踡跼して諦き、夕べを通じて寐ねず。此の時に當たりて、噲然として臥するを得れば、則ち親戚兄弟 歡然として喜ぶ。夫れ修夜の寧きは、直だ一噲の樂しみのみに非ざるなり。故に宇宙の大なるを知れば、則ち劫かすに死生を以てす可からず。養生の和を知れば、則ち縣くるに天下を以てす可からず。未生の樂しみを知れば、則ち畏れしむるに死を以てす可からず。許由の舜より貴きを知れば、則ち物を貪らず。牆の立つは、其の偃るるに若かず、又た況んや牆を為らざるをや。冰の凝るは、其の釋くるに若かず、又た況んや冰を為さざるをや。無より有に蹠き、有より無に蹠く。終始 端無く、其の萌す所を知る莫し。外內に通ずるに非ずんば、孰か能く好憎無からんや。外無きの外は、至って大なり。內無きの內は、至って貴し。能く大貴を知らば、何くに往くとして遂げざらん。
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『淮南子』精神訓今夫れ窮鄙の社や、盆を叩き瓴を拊ち、相い和して歌い、自ら以て樂しと為す。嘗試みに之が為に建鼓を擊ち、巨鐘を撞けば、乃ち性 仍仍然として、其の盆瓴の羞ずるに足るを知る。『詩』『書』を藏し、文學を修めて、至論の旨を知らざれば、則ち盆を拊ち瓴を叩くの徒なり。夫れ天下を以て為す者は、學の建鼓なり。尊勢厚利は、人の貪る所なり。之をして左に天下の圖を據え、右手に其の喉を刎ねしむれば、愚夫も為さず。此に由りて之を觀れば、生は天下より尊きなり。聖人は食は以て氣に接するに足り、衣は以て形を蓋うに足り、情に適いて餘を求めず。天下無きも其の性を虧かず、天下有るも其の和を羨とせず。天下有るも、天下無きも、一實なり。今 人に敖倉を贛り、人に河水を予え、饑えて之を餐い、渴して之を飲むも、其の腹に入る者は簞食瓢漿に過ぎず。則ち身は飽きて敖倉は之が為に減ぜざるなり。腹は滿ちて河水は之が為に竭きざるなり。之有るも飽を加えず、之無きも之が為に饑えず。其の篅𥫱を守り、其の井を有つと、一實なり。人 大いに怒れば陰を破り、大いに喜べば陽を墜し、大いに憂うれば內崩れ、大いに怖るれば狂を生ず。穢を除き累を去るは、未だ始めより其の宗を出でざるに若くは莫し。乃ち大通と為す。目を清くして以て視ず、耳を靜かにして以て聽かず、口を鉗して以て言わず、心を委ねて以て慮らず。聰明を棄てて太素に反り、精神を休めて知故を棄て、覺めて昧きが若く、生きて死せるが若し。終われば則ち未生の時に本づき反りて、化と一體と為る。死の生と、一體なり。
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『淮南子』精神訓古 未だ天地有らざるの時、惟だ像のみありて形無く、窈窈冥冥、芒芠漠閔、澒濛鴻洞として、其の門を知る莫し。二神有りて混じて生じ、天を經し地を營み、孔乎として其の終極する所を知る莫く、滔乎として其の止息する所を知る莫し。是に於いて乃ち別れて陰陽と為り、離れて八極と為り、剛柔相い成りて、萬物乃ち形る。煩氣は蟲と為り、精氣は人と為る。是の故に精神は、天の有つ所なり。而して骨骸なる者は、地の有つ所なり。精神 其の門に入り、而して骨骸 其の根に反らば、我 尚お何ぞ存せんや。是の故に聖人は天に法り情に順い、俗に拘われず、人に誘われず、天を以て父と為し、地を以て母と為し、陰陽を綱と為し、四時を紀と為す。天は靜かにして以て清く、地は定まりて以て寧し。萬物 之を失う者は死し、之に法る者は生く。夫れ靜漠なる者は、神明の定まるなり。虛無なる者は、道の居る所なり。是の故に或いは之を外に求むる者は、之を內に失い、之を內に守る有る者は、之を外に失う。譬うれば猶お本と末とのごとし。本より之を引けば、千枝萬葉、隨わざる莫し。
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『淮南子』精神訓夫れ悲樂なる者は、德の邪なり。而して喜怒なる者は、道の過ちなり。好憎なる者は、心の暴なり。故に曰く、其の生や天行、其の死や物化、と。靜かなれば則ち陰と俱に閉じ、動けば則ち陽と俱に開く。精神 澹然として極まり無く、物と與に散ぜずして、天下自ら服す。故に心なる者は、形の主なり。而して神なる者は、心の寶なり。形 勞して休まざれば則ち蹶き、精 用いて已まざれば則ち竭く。是の故に聖人は貴びて之を尊び、敢えて越えざるなり。夫れ夏後氏の璜有る者は、匣匱して之を藏む、寶の至れるなり。夫れ精神の寶とす可きや、直だ夏後氏の璜のみに非ざるなり。是の故に聖人は無を以て有に應じ、必ず其の理を究め、虛を以て實を受け、必ず其の節を窮む。恬愉虛靜にして、以て其の命を終う。是の故に甚だ疏んずる所無くして、甚だ親しむ所無し。德を抱き和を煬め、以て天に順う。道と際を為し、德と鄰を為し、福の始めと為らず、禍の先と為らず。魂魄 其の宅に處りて、精神 其の根を守り、死生 己に變ずる無し。故に至神と曰う。所謂 真人なる者なり、性 道に合するなり。故に有りて無きが若く、實ちて虛しきが若く、其の一に處りて其の二を知らず、其の內を治めて其の外を識らず。太素を明白にし、無為にして樸に復り、本を體し神を抱き、以て天地の樊に游ぶ。芒然として塵垢の外に仿佯し、無事の業に消搖す。浩浩蕩蕩乎として、機械の巧 心に載せられず。是の故に死生も亦た大なり、而も為に變ぜず。天地 覆育すと雖も、亦た之と摟抱せざるなり。