淮南子 / 覽冥訓
逮至夏桀之時,主暗晦而不明,道瀾漫而不修,棄捐五帝之恩刑,推蹶三王之法籍。是以至德滅而不揚,帝道掩而不興,舉事戾蒼天,發號逆四時,春秋縮其和,天地除其德,仁君處位而不安,大夫隱道而不言,群臣准上意而懷當,疏骨肉而自容,邪人參耦比周而陰謀,居君臣父子之間,而競載驕主而像其意,亂人以成其事。是故君臣乖而不親,骨肉疏而不附,植社槁而墵裂,容台振而掩覆,犬群嗥而入淵,豕銜蓐而席澳,美人挐道墨面而不容,曼聲吞炭內閉而不歌,喪不盡其哀,獵不聽其樂,西老折勝,黃神嘯吟,飛鳥鎩翼,走獸廢腳,山無峻幹,澤無窪水,狐狸首穴,馬牛放失,田無立禾,路無莎薠,金積折廉,璧襲無理,磬龜無腹,蓍策日施。
新字:逮至夏桀之時,主暗晦而不明,道瀾漫而不修,棄捐五帝之恩刑,推蹶三王之法籍。是以至徳滅而不揚,帝道掩而不興,舉事戻蒼天,発号逆四時,春秋縮其和,天地除其徳,仁君処位而不安,大夫隠道而不言,群臣准上意而懐当,疏骨肉而自容,邪人参耦比周而陰謀,居君臣父子之間,而競載驕主而像其意,乱人以成其事。是故君臣乖而不親,骨肉疏而不附,植社槁而墵裂,容台振而掩覆,犬群嗥而入淵,豕銜蓐而席澳,美人挐道墨面而不容,曼声呑炭内閉而不歌,喪不尽其哀,猟不聴其楽,西老折勝,黄神嘯吟,飛鳥鎩翼,走獣廃脚,山無峻幹,沢無窪水,狐狸首穴,馬牛放失,田無立禾,路無莎薠,金積折廉,璧襲無理,磬亀無腹,蓍策日施。
書き下し
夏桀の時に逮びて、主 暗晦にして明らかならず、道 瀾漫として修まらず、五帝の恩刑を棄捐し、三王の法籍を推蹶す。是を以て至德滅びて揚がらず、帝道掩われて興らず、事を舉ぐれば蒼天に戾き、號を發すれば四時に逆らい、春秋 其の和を縮め、天地 其の德を除く。仁君 位に處りて安からず、大夫 道を隱して言わず、群臣 上意に准らえて當を懷き、骨肉を疏んじて自ら容れらる。邪人 參耦比周して陰謀し、君臣父子の間に居りて、競いて驕主を載せて其の意に像り、人を亂して以て其の事を成す。是の故に君臣 乖きて親しまず、骨肉 疏くして附かず。植社 槁れて墵裂し、容台 振れて掩覆し、犬 群れ嗥えて淵に入り、豕 蓐を銜えて澳に席く。美人 道に挐り面を墨めて容れられず、曼聲 炭を吞み內に閉じて歌わず。喪には其の哀を盡くさず、獵には其の樂を聽かず。西老 勝を折り、黃神 嘯吟し、飛鳥 翼を鎩われ、走獸 腳を廢し、山に峻幹無く、澤に窪水無く、狐狸 穴に首し、馬牛 放失し、田に立禾無く、路に莎薠無し。金は積みて廉を折り、璧は襲ねて理無く、磬龜 腹無く、蓍策 日に施く。
現代語訳
夏の桀の時代になると、君主は暗くて明らかでなく、道はしまりなく乱れて修まらず、五帝の恩と刑を投げ捨て、三王の法と記録を蹴倒した。そのため極みの徳は滅びて上がらず、帝の道は覆われて興らず、事を起こせば天に背き、号令を出せば四季に逆らい、春秋はその和らぎを縮め、天地はその徳を取り去った。仁のある君は位にあっても安んじられず、大夫は道を隠して語らず、群臣は上の意向に合わせて当たりを取ろうとし、身内を遠ざけてまで自分の身の置き所を作った。邪な者は組んで馴れ合い陰謀をめぐらし、君臣父子のあいだに割り込んで、競って驕った君主を担ぎ上げその意向をなぞり、人を乱して自分の事を成した。こうして君と臣は離れて親しまず、肉親は疎くなって寄りつかない。社の木は枯れて土は裂け、儀式の台は揺れて崩れ、犬は群れて吠えながら淵に入り、豚は敷き藁をくわえて水際に伏せる。美人は道に取り残され顔を汚して受け入れられず、美しい声の者は炭を呑んで口を閉じ歌わない。喪では哀しみを尽くさず、狩りでは楽を聞かない。西王母はかんざしを折り、黄帝の神はうめき、飛ぶ鳥は翼を削がれ、走る獣は脚を痛め、山に高い幹はなく、沢にくぼんだ水はなく、狐は穴に頭を突っ込み、馬牛は放たれて失われ、田に立つ稲はなく、路に草もない。金は積んでも角が欠け、玉は重ねても筋が通らず、占いの亀に腹はなく、筮竹は日ごとに散らばる。
解説
この章句が説くこと
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