淮南子 / 天文訓
攝提格之歲:歲早水晚旱,稻疾,蠶不登,菽、麥昌,民食四升,寅。在甲曰閼蓬單閼之歲:歲和,稻、菽、麥、蠶昌,民食五升,卯。在乙曰旃蒙。執徐之歲:歲早旱晚水,小饑,蠶閉,麥熟,民食三升,辰。在丙曰柔兆。大荒落之歲:歲有小兵,蠶小登,麥昌,菽疾,民食二升,巳。在丁曰強圉。敦牂之歲:歲大旱,蠶登,稻疾,菽、麥昌,禾不爲,民食二升,午。在戊曰著雝。
新字:摂提格之歳:歳早水晩旱,稲疾,蠶不登,菽、麦昌,民食四升,寅。在甲曰閼蓬単閼之歳:歳和,稲、菽、麦、蠶昌,民食五升,卯。在乙曰旃蒙。執徐之歳:歳早旱晩水,小饑,蠶閉,麦熟,民食三升,辰。在丙曰柔兆。大荒落之歳:歳有小兵,蠶小登,麦昌,菽疾,民食二升,巳。在丁曰強圉。敦牂之歳:歳大旱,蠶登,稲疾,菽、麦昌,禾不為,民食二升,午。在戊曰著雝。
書き下し
攝提格の歲は、歲早くに水あり晚くに旱し、稻疾み、蠶登らず、菽・麥昌んなり。民の食四升、寅なり。甲に在るを閼蓬と曰う。單閼の歲は、歲和し、稻・菽・麥・蠶昌んなり。民の食五升、卯なり。乙に在るを旃蒙と曰う。執徐の歲は、歲早くに旱し晚くに水あり、小饑あり、蠶閉じ、麥熟す。民の食三升、辰なり。丙に在るを柔兆と曰う。大荒落の歲は、歲に小兵有り、蠶小しく登り、麥昌んに、菽疾む。民の食二升、巳なり。丁に在るを強圉と曰う。敦牂の歲は、歲大いに旱し、蠶登り、稻疾み、菽・麥昌んに、禾爲らず。民の食二升、午なり。戊に在るを著雝と曰う。
現代語訳
摂提格の年は、年の初めに水害があり後半に旱があり、稲は病み、蚕は当たらず、豆と麦は盛んである。民の食は四升、寅である。甲にあるのを閼蓬という。単閼の年は、年が和やかで、稲・豆・麦・蚕がみな盛んである。民の食は五升、卯である。乙にあるのを旃蒙という。執徐の年は、年の初めに旱があり後半に水害があり、小さな飢えがあり、蚕は繭を作らず、麦は熟す。民の食は三升、辰である。丙にあるのを柔兆という。大荒落の年は、年に小さな戦があり、蚕は少し当たり、麦は盛んで、豆は病む。民の食は二升、巳である。丁にあるのを強圉という。敦牂の年は、年が大いに旱し、蚕は当たり、稲は病み、豆と麦は盛んで、稲は実らない。民の食は二升、午である。戊にあるのを著雝という。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『淮南子』天文訓協洽の歲は、歲に小兵有り、蠶登り、稻昌んに、菽・麥爲らず。民の食三升、未なり。己に在るを屠維と曰う。涒灘の歲は、歲和し、小雨行き、蠶登り、菽・麥昌んなり。民の食三升、申なり。庚に在るを上章と曰う。作鄂の歲は、歲に大兵有り、民疾み、蠶登らず、菽・麥爲らず、禾蟲つく。民の食五升、酉なり。辛に在るを重光と曰う。掩茂の歲は、歲小しく饑え、兵有り、蠶登らず、麥爲らず、菽昌んなり。民の食七升、戌なり。壬に在るを玄黓と曰う。大淵獻の歲は、歲に大兵有り、大いに饑え、蠶開き、菽・麥爲らず、禾蟲つく。民の食三升。
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『淮南子』天文訓戌を成と爲し、少德を主る。亥を收と爲し、大德を主る。子を開と爲し、太歲を主る。丑を閉と爲し、太陰を主る。太陰寅に在れば、歲名を攝提格と曰い、其の雄を歲星と爲し、斗・牽牛に舍り、十一月を以て之と晨に東方に出で、東井・輿鬼を對と爲す。太陰卯に在れば、歲名を單閼と曰い、歲星は須女・虚・危に舍り、十二月を以て之と晨に東方に出で、柳・七星・張を對と爲す。太陰辰に在れば、歲名を執徐と曰い、歲星は營室・東壁に舍り、正月を以て之と晨に東方に出で、翼・軫を對と爲す。
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『淮南子』天文訓太陰巳に在れば、歲名を大荒落と曰い、歲星は奎・婁に舍り、二月を以て之と晨に東方に出で、角・亢を對と爲す。太陰午に在れば、歲名を敦牂と曰い、歲星は胃・昴・畢に舍り、三月を以て之と晨に東方に出で、氐・房・心を對と爲す。太陰未に在れば、歲名を協洽と曰い、歲星は觜雟・參に舍り、四月を以て之と晨に東方に出で、尾・箕を對と爲す。太陰申に在れば、歲名を涒灘と曰い、歲星は東井・輿鬼に舍り、五月を以て之と晨に東方に出で、斗・牽牛を對と爲す。太陰酉に在れば、歲名を作鄂と曰い、歲星は柳・七星・張に舍り、六月を以て之と晨に東方に出で、須女・虚・危を對と爲す。
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『淮南子』天文訓星部の地名は、角・亢は鄭、氐・房・心は宋、尾・箕は燕、斗・牽牛は越、須女は吳、虚・危は齊、營室・東壁は衛、奎・婁は魯、胃・昴・畢は魏、觜雟・參は趙、東井・輿鬼は秦、柳・七星・張は周、翼・軫は楚なり。歲星の居る所は、五穀豐昌なり。其の對を衝と爲し、歲乃ち殃有り。當に居るべくして居らず、越えて他處に之けば、主死し國亡ぶ。太陰春を治むれば則ち柔惠温涼を行わんことを欲し、太陰夏を治むれば則ち布施宣明ならんことを欲し、太陰秋を治むれば則ち脩備繕兵ならんことを欲し、太陰冬を治むれば則ち猛毅剛彊ならんことを欲す。三歲にして節を改め、六歲にして常を易う。故に三歲にして一たび饑え、六歲にして一たび衰え、十二歲にして一たび康し。
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『淮南子』天文訓困敦の歲は、歲に大霧起こり、大水出で、蠶・稻・菽・麥昌んなり。民の食三斗、子なり。癸に在るを昭陽と曰う。赤奮若の歲は、歲に小兵有り、早くに水あり、蠶出でず、稻疾み、菽爲らず、麥昌んなり。民の食一升。朝夕を正すには、先ず一表を東方に樹て、一表を操りて卻きて前表を去ること十歩にして、以て日の始めて出づる北廉を參望す。日直ちに入らば、又た一表を東方に樹て、西方の表に因りて以て日を參望し、方に北廉に入らば則ち東方定まる。兩表の中と、西方の表とは、則ち東西の正なり。日冬至には、日は東南の維に出で、西南の維に入る。春分・秋分に至れば、日は東の中に出で、西の中に入る。夏至には、東北の維に出で、西北の維に入り、至れば則ち正南なり。
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史記 天官書敦牂の歳は、歳陰午に在り、星酉に居る。五月を以て胃・昴・畢と晨に出づ、開明と曰ふ。炎炎として光有り。兵を偃す。唯公王に利あり、兵を治むるに利あらず。其の次を失へば、応有りて房に見はる。歳早ければ、旱。晩ければ、水。叶洽の歳は、歳陰未に在り、星申に居る。六月を以て觜觿・参と晨に出づ、長列と曰ふ。昭昭として光有り。兵を行るに利あり。其の次を失へば、応有りて箕に見はる。涒灘の歳は、歳陰申に在り、星未に居る。七月を以て東井・輿鬼と晨に出づ、大音と曰ふ。昭昭として白し。其の次を失へば、応有りて牽牛に見はる。作鄂の歳は、歳陰酉に在り、星午に居る。八月を以て柳・七星・張と晨に出づ、長王と曰ふ。作作として芒有り。国其れ昌え、穀熟す。其の次を失へば、応有りて危に見はる。旱有りて昌え、女喪有り、民疾む。閹茂の歳は、歳陰戌に在り、星巳に居る。九月を以て翼・軫と晨に出づ、天睢と曰ふ。白色にして大いに明らかなり。其の次を失へば、応有りて東壁に見はる。歳水あり、女喪あり。大淵献の歳は、歳陰亥に在り、星辰に居る。十月を以て角・亢と晨に出づ、大章と曰ふ。蒼蒼然として、星躍るが若くして陰に旦に出づ、是を「正平」と謂ふ。師旅を起こせば、其の率必ず武く、其の国徳有りて、将に四海を有たんとす。其の次を失へば、応有りて婁に見はる。困敦の歳は、歳陰子に在り、星卯に居る。十一月を以て氐・房・心と晨に出づ、天泉と曰ふ。玄色にして甚だ明らかなり。江池其れ昌え、兵を起こすに利あらず。其の次を失へば、応有りて昴にあり。赤奮若の歳は、歳陰丑に在り、星寅に居る、十二月を以て尾・箕と晨に出づ、天皓と曰ふ。黫然として黒色甚だ明らかなり。其の次を失へば、応有りて参に見はる。当に居るべくして居らず、之に居りて又左右に揺れ、未だ当に去るべからずして之を去り、他星と会すれば、其の国凶なり。居る所久しければ、国に徳厚有り。其の角動き、乍ち小さく乍ち大きく、若しくは色数々変ずれば、人主憂ひ有り。

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